第103話 俺のアイドルだった
どこにいるの、りつ。
私は楽屋を走って出て、建物内にいるりつを探しに行った。1階から隅々まで探しているのにどこにもいない。ライブの後だからとても疲れているせいで足の裏が痛い。あまり走りたくないのに、こんなに一生懸命走って探してしまうのはりつが原因だ。
無意識に、私はりつに早く会いたがっているんだと思う。
でも、この建物内にはいそうになかった。だから私は別館を探しに行った。りつがいそうなところなんて想像もつかない。このだだっ広いところでりつが行きそうなところなんて……。
「あっ」
まさか、と思い、私は思い当たる場所に向かった。
「はあ、はあ」
VIP室。有沙たちが私の楽屋に来れた時、関係者しか入れない建物にりつはいると思っていた。でもどこの部屋にもいない。となると、一部の観客が立ち寄れるここしかない。
心臓の鼓動が、凄く早く動いている。胸に手を充てなくてもわかるくらい、周りに聞こえているんじゃないかというくらい、うるさく動いている。
「りつ……」
ガチャッ。ドアを開けっぱなしにして中に入り、真っ暗な辺りを見渡した。端っこの何もないところまで隅々まで見渡したのに、人のいる気配はなかった。
「っ、はあ」
しゃがみこんで尻を着く。
「いないじゃん、馬鹿」
もう疲れ果てて立てそうにない。
その時、私が開けっ放しにしていたドアから差し込んでいた光に影が差した。その影はそれ以上動かず、私の背中にいる。
もしかして、と期待した。
「遥夏?」
りつは私の名前を呼んだ。ちょっとだけ驚いてるように聞こえるけど、優しくて安心した。
会えたはいいけど、これからどうしよう。りつはこんな私を見て寄り添ってくれるかな。こんな最低な元カノに優しくしてくれるのかな……。
怖かったけど、私の予想は外れた。
「ど、どうしたの? 体調悪い?」
りつは凄く心配してくれている。君のために走ってきたとも知らずに、床に尻をついて俯いている私に寄り添って、背中を撫でて、顔を覗き込もうとしてくれた。私はそれに応えて、俯いていた顔をあげてりつと目を合わせた。
「汗、すご」
「……君は、もっと他に言うことないのかな」
「あ、ああ、えっと、ハンカチ使う? ていうか、そこのソファに座ろ」
♦
VIP室内には、テーブルを囲むように長いソファが設置してある。俺は、疲れて動けない遥夏を持ち上げてソファに運んだ。おまけにちょうど今買ってきた水を遥夏に渡して飲んでもらうと、少し落ち着いたようだった。
「なんでここに? 楽屋にいるんじゃなかったっけ」
「君を探しに来た」
素直にそう言われると、恥ずかしくなった。
「あ、ありがとう」
汗だくになるまで、倒れこむまで探してくれていたんだ。てっきり有沙さんたちが、俺がVIP室にいることを伝えていたのかと思っていた。本当は遥夏がこの建物を出た時に話しかけようと思っていた。けど、ちょうどいい。
「俺も伝えたいことがあるんだ」
♦
りつが私に話したいことと言ったら、私のことはもう好きではなくなったとか、もう会いたくないとか、そういうマイナスな告白だと思う。
怖い。でもそれでいいんだ。自業自得だもんね。
「板橋さん」
その名前を聞いてビクッと肩をはねた。
「逮捕されたんだって。これで遥夏も楽になれるから、よかったな」
「うん……」
「あのさ。聞きたいことがあるんだけど」
聞きたいことなんて、あるのかしら。
嫌いになったなら嫌いって言ってくれればいいのに。もう私と関わりたくないならそう言ってくれれば……。
「俺が遥夏のことを好きって言ったら、また付き合ってくれる?」
……?
「嫌いに、なってないの?」
「え? なってないよ。そりゃ、最初はびっくりしたけど……」
なんで、この人はこんなにも普段通りの顔ができるんだろう。
「私、板橋と身体の関係を持ったんだよ? 嫌いでしょ、こういう人間」
混乱してきて、声が震えた。
「身体の関係を持ったのは、俺と別れた後の話だろ?」
「それはそうだけど……」
「付き合ってない状態で、性的暴行を受けた好きな人を嫌いにならないよ。むしろ心配するでしょ」
想定外の出来事で処理できない。
「俺は変わらず、遥夏が好きだよ」
「……やめてよ」
顔が熱い。
そんな優しい笑顔を、私に向けないで。好きなんて言わないで。
「私はりつのこと、好きじゃ……」
好きじゃない。
私がそう言わないと、ずっと終わらない。
「っ。好きじゃないよ。私は、君とは付き合わない」
少し強めに言った。
「世間に真相が回ったとしても、私がアイドルを辞めて自由になったとしても」
喉がつっかえて震える。
「私は君と恋人同士の関係に戻らない」
りつと離れても、後悔しない。私はずっと前から、りつと関わらないようにするって決めたんだ。私と関わるからりつは不幸になる。また私と付き合ったら不幸が続いてしまうかもしれない。そんなの私が耐えられない、お互いのためにも関わらないほうがいいんだよ。
「そっか。じゃあ、ここで”さよなら”だね」
りつはソファから腰を上げて、VIP室から出て行こうとドアのぶに手をかけた。
「好きじゃない俺のために二年以上も我慢させてごめんね。今までありがとう」
そう言ってこの部屋から出て行ってしまった。
(あっけなすぎじゃない?)
もっと反論してくるかと思った。それでも私と付き合いたい、って言ってくれるのかと思った。でも違った。あっけなく終わってしまった。
こう望んだのは私よ。ずっと思ってたことを伝えられて、私のことを諦めてくれたんだよ。これでいいのに、なんでムズムズするの。心の中をかき乱される気分になるの。こんな感情いらないよ。
これで全部終わったんだから、追いかける必要はない。
(……追いかけないと、本当にこれで終わってしまうんだ)
いいんだよ。何、後悔しようとしてるの。
ああ、どうしよう。高校時代の、りつとの思い出が頭をよぎる。
__仕事で嫌なことがあった時に八つ当たりをしてしまっても離れないでいてくれた。
__愚痴は最後まで聞いてくれたし、絶対に笑顔で慰めてくれた。
__ちょっと冷たくしたら犬みたいにしょげるところが好きで、ずっと続けたらすねられたこともあったのに、それでも笑ってくれていた。
__私がりつのために作ったお弁当に砂糖を入れ過ぎた卵焼きが入っていた時も、甘い物が得意じゃないくせに美味しいよって笑って食べてくれた。
__そのくせ、今は私が好きだからという理由だけでイチゴオレを飲んでるんだよね。
今も、ずっと私のことを好きでいてくれている。こんな私に対して優しい笑顔で好きだよって言ってくれる唯一の存在。
もう一生、出会えないかもしれない人。
私はそんな人を、愛おしくてたまらない人を、自分から手放したんだ。
「……っ!」
そう思ったら、勝手に身体が動いてしまっていた。疲れている足を頑張って動かして立ち上がり、ドアに身体を押し当てるように開けた。左右を見渡すと、もうりつはいなかった。
エレベーターを見るとこの4階から3階、2階へと移動している最中だった。多分、りつが乗っている。私はエレベーターを待たずに階段で急いで下に降りた。途中で足がつっかえて転んでしまい、足をひねってしまった。凄く痛かった。でもそんな痛みよりも、心の痛みのほうが酷くて、りつのことしか考えられなかった。1階に着いてすぐに外に出ると、目の前にりつがゆっくり歩いていた。私はその背中めがけて、足を引きずりながら急いだ。
「りつ……!」
涙があふれて止まらない。
「りつ!!」
私は、名前を呼ばれてこっちを振り返ったりつの胸に飛びつくように抱きついた。
はあ、はあ、はあ……。
疲れて息が切れそうになっているのと泣いているせいで、吐息までも震えている。
「わた、し……、りつのこと、ずっと、好き」
まだ息が整っていないのに話すから聞こえにくいかもしれない。でも頑張って伝えた。
「りつは私といたら傷つくんじゃないかって、怖かったの。だから今日で縁を切ろうと思った。でも駄目だった……」
もう全部伝えてしまおう。
「りつのこと考えるたびに、ムズムズする。会いたくて仕方なくなる」
これが私の最後の告白だ。
「嫌いじゃない。私だって、私のほうが、大好きだよ!」
情けなく涙を流しながら伝えると、りつは私のことを強く抱きしめてくれた。
暖かい。ずっと私が欲しかった温かさ。家族や友達とは違う、りつだからこそ感じるこの体温がとても好き。
そして、りつは自信満々に言った。
「知ってるよ」
既視感。
三年前、りつに告白された時に私もそう答えたなって思い出した。
「遥夏はいつも俺が好きって言うたびにやめてよって言うけど、さっきみたいに耳を赤くして恥ずかしそうにするんだよ。でも俺以外の男にそんな対応したことないだろ?」
断言されたけどその通り。他の人にはそもそも好きと言われる前に関係を断つから、今までりつ以外に告白されたことがない。
「だから意地悪した。俺が簡単に離れていけば、遥夏は追って来てくれるんじゃないかと思って」
私と顔を合わせた。
「冷たいこと言ってごめん」
「ううん。嫌いって言ったり、好きって言ったり、わがままでごめんね」
本当に、私はわがままだ。
「そうだな。俺のアイドルはわがままだ」
「っ」
「でもそこが好きなんだよ。もっと俺のこと頼ってよ。これからも、俺のそばでわがまま言ってほしい」
今こんなに幸せな気分なのは、世界で私しかいないんじゃないかな。そう自惚れるくらい、りつに感謝している。
「遥夏、俺ともう一度付き合いませんか?」
これはいい場面だと思う。だからすぐに返事を言えばいいものの、どうしても気になってしまったことがあったから突っ込んだ。
「なんで敬語?」
「き、緊張して」
「今更することある? 上がり症君」
もう両想いなんだから緊張する必要ない。
「返事は……」
りつが言いかけたその口を、私の口でふさいだ。
りつの唇はちょっとだけ乾燥していたから、あとでリップを貸さないとね。
「私はアイドルじゃないよ」
嬉しそうに顔を赤らめたりつは、いつもみたいに優しく微笑んだ。
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