第97話 非通知電話
有沙に録音データを送信してから、2週間が経過した。
明日はクリスマスライブ当日。私とりつが付き合った日だ。
「遥夏さん。お疲れでしたら寝ていただいても問題ないですよ。リハーサルまで時間ありますし、万全な状態で迎えたいと思いますから!」
スタッフさんは優しい。
「ありがとうございます。そうさせていただきます」
控室で、少しだけ寝よう。
♢
車の中。
私は板橋に身体を押さえつけられて、無意識に遊ばれた。
(気持ち悪い、気持ち悪い、こんな奴、この世から消えてしまえばいいのに)
♢
「はっ!!」
目が覚めると、控室にいた。そうだ、私、寝たんだっけ。
それにしても最悪な夢ね。
初めて板橋に抱かれた時の夢だ。もうあれから2年経つんだ。忙しいことを理由に身体の関係は避けてきたけど、最近はやたらと私を欲してくるから夢にまで出てきてしまったんだと思う。
私が板橋に尽くす代わりにりつに手を出さないことを約束した誓約書は、サインと印鑑だけでは成立しなかったみたいだった。
あの時、板橋は、仕事で疲れ切って車の中で眠っている私の身体に勝手に触ってきたんだ。あいつは自分のネクタイを使って私の口元を覆った。強く結ばれて痛かったな。でも眠っていた時は本当に気づかなくて、起きたらその状態だったんだよね。心の中では抵抗したし、力をだして板橋を押そうとしたのに、ピクリとも動かなかった。
私の初めては、クソ野郎に奪われた。
♢
「きもい!! 何すんのよ!!」
思いっきりビンタをしたのに板橋は笑っていた。
「私のもとで働くと誓ったんだろう? これも仕事さ。文句あるか?」
「こういうことするなんて聞いてない!! 最悪、本当に最悪。貴方みたいな人にこんな……!」
押さえつけられた手首が少しだけ痛む。
「愛しの彼のためなら、なんでもできるだろう。彼だって、お前なんか忘れて他の女と寝る時が来る。男って生き物は単純なんだよ」
「りつは単純じゃない!」
「単純だよ。単純だからお前に恋をした」
♢
ああ、思い出しただけで吐き気がする。りつを罵倒されたにも関わらず、あの後の私は何も言い返せずに、ただただお風呂に入ってたくさん身体を洗っていた気がする。でも、もうそれもおしまい。伊草さんが記事を書けたみたいだから、上の許可が下り次第すぐに世間に出回る。
これで私は、自由になれるかもしれない。
本当は記事が世間に出回る前に、りつに、板橋と身体の関係をもってしまったことを話さないといけない。りつは幻滅するよね、私のことなんて嫌いになるよね。
私に幻滅して離れていく彼の背中が見える。
大切な人が離れていった後、一人になった私は滑稽に思える。
♦♦♦
「リツさん! 明日、12月25日の朝に記事が出るって!」
やった、やったぞ。これでまた前みたいに……、いや、大人気アイドル様と2年前みたいに戯れるのは無理かもしれないけど、話せる可能性はあるんだよね。
「はああ」
しゃがみこんで、息を着いた。まだ記事は出ていないのに安心しきってしまう。
「……リツさん。明日の遥夏ちゃんのライブ行くよね」
「うん。行くよ」
「有沙たちも行くんだ~。VIP席用意してあって、よかったら一緒に来る?」
「いやいや、一般席でとってるから流石に……」
「しずちゃんのパパが遥夏ちゃんのライブチケット取れなかったみたいだから、一般席はしずちゃんのパパに譲ってほしいなー。そしたら、リツさんこっちで見れるよ?」
この子はちゃんと用意してくるな。
「じゃあ、お言葉に甘えてそうしようかな」
「うん!」
バイトから帰った後、明日のライブのための準備をした。まあ、そんなに準備することはないけど、遥夏のライブに行くのは久しぶりというか、もう2年くらい行ってないから緊張するんだよな……。
明日朝に記事が出たら、会場内はどうなるんだろう。ファンのみんなはどういう反応をするんだろう。もしかしたら、板橋さんだけじゃなく遥夏のことを罵倒する人まで出てくるんじゃないか。それは困るけど、わかってくれる人は、いるよな。遥夏だって好きで俺から離れているわけじゃないんだ。板橋さんが元凶で、遥夏は囚われていただけなんだから。
遥夏のことも心配だけど、伊草さんのほうが心配かもしれない。警察に出頭すると言っていたけど、どうなってしまうんだろう。伊草さんがいなくなったら、静音さんは七瀬さんの家に世話になるのかな。一人は、流石に嫌だと思うし。
あ、有沙さんは? お父さんが捕まって、家計が崩れてしまえば有沙さんは自分の持ち金で生きていくことになるよな。お母さんだってどこにいるかわからないし。
(……俺は、どうなるんだろう)
真実が世間に出回れば、俺の両親の耳にも届くはずだ。
どういう反応をするんだろう。俺のことを少しでも心配してくれるのかな。一度、家に帰ってみてもいいかもしれないけど、もう俺は捨てられたようなものだから会いに行っても意味ないか。向こうから会いに来るなんてことあるわけないし。
そんなことを考えていると、電話がかかって来た。非通知だから怪しかったけど、なんとなく出てしまった。
「もし、もし……」
おそるおそる出ると、相手は何も話さなかった。でも10秒くらいすると、口から息を吸う音が聞こえた。
『あの……』
……遥夏?
「遥夏?」
『う、うん。私、遥夏』
「なんで、急に?」
びっくりしすぎて、上手く話せなかった。
『明日朝に記事が出る前に……』
遥夏の声は、少しだけ震えていた。喉に何かつっかえているのかというくらい、怖がっているようにも聞こえた。
『君に、話さないといけないことがある』
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