第90話 先輩の助け船
「助けてほしい」と、彼はやっと私たちに弱音を吐いて頼ってくれた。親に捨てられたこともあって、人への甘え方がよくわかっていなかったのだと思う。私も人に甘えるタイプではない、と思ってるから少しだけわかる。
でも、助ける、とは言ったものの具体的な案は考えていない。
「弁護士は使えないしー」
喫茶店のテーブルを、制服を着た三人で囲んで座った。有沙は疲れたようにテーブルに顎を乗っけている。静音はダージリンティーを口にした。対して私は、まだメニュー表を眺めていた。このままでは話が一向に進まなそうだったから、話を変えた。
「いったん、この話は置こう」
「なんでよー。喫茶店で話そうって話したじゃん」
「6時間目の体育で疲れ切ってるんだから、糖分補給してから話そう。そのほうが効率良い」
私は珈琲とショートケーキを頼んだ。
「ななちゃん。甘い物大丈夫?」
「最近、慣れてきた」
ずっと黙っている静音に目をやると、真剣な顔で下を向いていた。考え事をしている時の顔だから声をかけないようにしたけど、静音は自分から口を開き始めた。
「私に良い案があります」
両手を膝の上に置いて、私たちをジッと見つめた。
「でもこの案には穴があるので、対策は必要ですよ」
♦♦♦
講義が終わると、俺と立花以外の学生はみんなこの室内から出て行った。
「律貴ー、もう女遊びやめた?」
「やめたよ。連絡先も全部削除した」
あの夜から1週間が経ったけど、もう遊んでいない。変な噂でも回ってしまうかと思っていたけどそんなこともなく、平穏に学生生活を送っている。
「変装もしないで遊んじゃってさぁ。名バレしたって僕は助けられないぜ?」
「そうだよな。ごめん」
「はは、冗談。ずっと友達だぞ~。てことで今日泊り行くから」
「……はっ、しょうがないな」
100人の友達より1人の親友。って、こういうことだよな。
「ありがとう。広樹」
「うええ、広樹だって?」
急に辛辣。
「俺だけ名前呼びされてもさ」
「別にいいんだけど。急に名前はきついっしょー」
まじか。
その時、講義室の扉が開いて、誰かが入って来た。目をやると、藤石月菜先輩だった。凄い久しぶりに見たけど、あまり変わってないな。いつも通りお洒落でちょっと露出した服を着て、綺麗に伸びた長脚を見せている。月菜先輩はこっちに近づくなり、俺の目の前で立ち止まった。
「あんた、”リツ”か? いや、中村律貴か?」
そうですけど……、と言おうとした時違和感を覚えた。俺はいつも変装した状態でしか月菜先輩と会ったことがないから、今の俺に馴染みがない。アイドルである日菜さんの姉となると、中村律貴のことなんて警戒しているに決まっている。
「……はい」
どんなに嫌われようとも嘘はつけない。
一度ついた嘘は、隠し通すためにまた嘘をつく必要がある。俺はそんなに器用じゃないから言い逃れはできない。それに、もしここで嘘をついたとしても、月菜先輩のことだ、すぐに見破ってしまう。
「はあああ。なんだよ、早く言え! 馬鹿者!!」
シャツの襟部分を掴まれて上にあげられた。ちょっと首が締まってきついかもしれない。
「ご、ごめんなさ……」
「本当のことを言えば、あたしがお前を警戒するとでも思ったのか?」
「は、はい。そうです、本当に、ごめんなさい……!」
月菜先輩は俺の襟から手を離してため息をついた。
「あたしは知ってたぞ。お前は何もしてないってな」
「……え?」
ドアのほうから、次の時間にこの講義室を使う学生や教授が見えたから、俺たちは駅の近くにある喫茶店に移動した。
「えっと、つまり、妹の日菜さんを危険から守るために、俺のことを調べていたら真実にたどり着いたと?」
「ざっとそういうことだ」
月菜先輩はあの報道が出てからすぐに日菜さんを心配して、毎回事務所の前まで迎えに行っていたらしい。その時に事務所の人間と少しずつ仲良くなって、俺の存在を知った。俺のことを尾行していた時期もあったみたいだけど、まったく気づかなかった。
「黒幕は遥夏ちゃんのマネージャーさんでしたね~」
「あのクソ眼鏡。あいつは、クソな飼い主だ」
遥夏の飼い主、ということだろうか。
「日菜の所属する事務所の社長の知り合いに記者がいるんだが、偶然にも板橋とその記者を洒落たカフェで見かけたんだよ。人気のない外の席に腰を下ろして、二年前の報道の話を軽くしていた」
♢
「記事を書いてくださって、本当に感謝しています。借金の返済に関しては手続きが完了しましたら、ご自宅に書類をお送りします」
「ありがとうございます……」
「どうしてそんな顔をしていらっしゃるんです。伊草さんは我が社に貢献してくださいました。大手事務所社長の中村を蹴落としてくれた唯一の存在です。伊草さんのおかげで私共は救われたんですよ」
「っ」
「大丈夫。責任はすべて中村がとります。気にすることはありませんよ」
♢
「あの報道が板橋の仕組んだものだと知った時は驚いたな。
あいつは口が達者だ。自分さえよければよい。あいつと遥夏ちゃんが一緒にいるところを尾行していた時も、遥夏ちゃんはあいつの視線に怯えるように気の抜けた顔をしていた。あいつは遥夏ちゃんのことを道具としか見ていない目をしていた。自分に利益が生めば誰でも使う。その中でも大人気アイドルの遥夏ちゃんは、板橋にとって大きな利益になる。だから遥夏ちゃんに執着するんじゃないかと、あたしは踏んでいる」
月菜先輩は、真剣に俺たちの話をしていた。遥夏が窮地に立たされている事実を、俺よりも早くに理解している。俺が家の中で籠っている間、生きるのに必死になっている間に、月菜先輩は被害に及ぶかもしれない妹のために頑張っていた。
そう考えると、俺は本当に臆病な奴というか、何もできていない気がしてきた。アイドル事務所でアルバイトできるのは立花のおかげだし、有沙さんたちがいなかったからここまで来れていないし……。助けられてばかりなのが悔しいな。
月菜先輩は俺を見かねて、心を読んできた。
「自分は臆病で使えない奴だとでも思っている顔をしてるな」
「……そうです。臆病って、みんなにも言われます。遥夏にだって言われましたし……」
こうやっていつも弱気になってる自分も嫌いだ。嫌いなのに治せないところも大嫌いだ。
「臆病じゃない。それは、あんたの人生が物語っている。
高校で虐めを受けたけど、意思は保てていたんじゃないか? だから今ここにいる。大学に入ってからも、遥夏ちゃんに会うためにそのバイトを始めて、実際に遥夏ちゃんとコンタクトをとれている。
彼女と別れる結果になり一度は挫折したものの、君はまだ諦めないで前に進もうとしている」
「でもそれは、あの三人のおかげです。彼女たちがいなかったら、俺は今頃……」
「やかましい」
月菜先輩は俺の頬に両手をあてた。
「お前は今、前に進もうとしている。それだけで充分、臆病じゃないと言える。
お前がどんなに文句を言おうが否定しようが、あたしが言うんだからそうなんだよ。わかったか?」
決定権は俺にないってことか。でも月菜先輩の言葉は信頼できる。
「……わかりました」
月菜先輩は珈琲を飲んだ。そして、さて、と話題を少しだけ変えた。
「その三人の作戦というのは、どういったものなんだ?」
「それがまだわからないんですよね~。律貴も聞いてないんでしょ?」
「うん。俺も一緒に考えたかったんだけど、しばらくはバイト行かないし、あの三人は学校あるしで会う時間がなぁ」
すると月菜先輩は首をかしげた。
「向こうの席に座っている可愛い女の子たちは幻か? 幽霊か?」
視線の先を見るように後ろを向くと、ずっと奥の席に変装をした彼女たちが座っていた。俺達には気づいていない様子で、真剣に話をしていた。
「世の中は広いようで狭いな」
「あ、あれもしかして有沙ちゃん? ちょっと見ただけじゃ気づかないな」
ウィッグを被って変装しているけど、顔だけは変えられないのが難点だな。制服だってそのままだし、周りにバレたら、今の時代はインターネットにすぐ回るから気を付けないといけないのに。
でも三人はいつもと違う様子だった。いつも以上に真面目な顔をしている。あの顔は、ファンのためにフェスを成功させようと努力している時のものだった。笑わないで、必死に考えて紙に書きだしている。
目の前に座る月菜先輩は少しだけ笑みを見せた。
「お前のために必死な顔をしてくれる友達は、生涯をかけて大切にするんだな」
ああ、もしかしてあの子たちは学校帰りにこの喫茶店に寄って、俺のために考えてくれているのか。俺がくよくよしている間に、俺のために。
「……っ」
一分一秒、無駄にしてられないな。
「さてと、あたしもお前のために一泡吹かせてやろうじゃないか」
月菜先輩は立ち上がると、彼女たちのもとに向かった。そしてポケットから何かを取り出して渡していたけど、何を渡しているのかはわからなかった。そしてこっちに戻るように足を動かすと、三人に俺がいることがバレて驚いた顔をされた。最初に立ち上がって俺の元に来たのは静音さんだった。
「律貴君」
なぜか泣きそうだったけど、少し希望を宿した瞳をしていた。
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