第88話 身体は頑固、心は正直
俺は、大学でも遥夏のことを考えないようにするために、第三者に頼ってみることにした。
飲み会に誘われて、女の人に気を向けられてしまったあの時から、俺の生活は少し狂った。
「中村君。今から一緒に遊び行こうよ」
「ごめんね。今日は約束あるから」
隣の講義室に行って、先約のあった女の子に話しかけに行った。
「誘ってくれてありがとう。どこ行きたいの?」
「ここらへん、食べ歩きしたいんだよね」
とにかくなんでもよかった。なんでもいいから、誰でもいいから、どこでもいいから連れて行ってほしかった。加藤遥夏という存在を記憶の奥にしまいたかった。先になって遥夏を見た時、ああ、あんなこともあったな、ってちょっとだけ笑えるような記憶にさえなってくれればよかった。
「甘い物美味しかった~。たこ焼き食べない?」
「……」
「中村君?」
「ん? うん、いいね」
二人でたこ焼き屋に入り、奥のテーブル席に座った。壁で隣のテーブル席と仕切られているのは嬉しいな。あまり顔を見られないで済むし。
スマホを取り出して時間帯を見ると、もう18時だった。これが今日の夜ご飯になりそうだ。注文したたこ焼きの材料が届いたら、俺が目の前にいるこの子の分までたこ焼きをつくってあげた。
「作ってもらっちゃっていいの?」
「うん。火傷するかもしれないじゃん」
「中村君って本当に優しいよね」
俺のすべてを知らないのに、優しいって言えるんだ。
「ありがとう」
臆病な俺は反抗することが怖いから、こうして笑って済ましている。こんなだから女の子が寄ってくるのかな。俺みたいな高身長で、平和そうで、優しそうに見えて、尻に敷けるような男が隣にいると扱いやすいのかな。
そういえばこの子の名前なんだっけ。昨日メッセージのやり取りをしたけど、名前なんて見てなかったな。
「美味しそう! 中村君、料理得意?」
「得意かはわからないけど、毎日自炊はしてるよ」
「え? 一人暮らし?」
「うん」
焼けたタコ焼きを皿に盛って、彼女の前に置く。俺も自分の分をとって食べようとした。「いただきます」熱いたこ焼きを息で少し冷まして口に運ぼうとした時、彼女は言った。
「明日、お互いの手作り弁当、交換しない?」
__ガタン!!
「!?」
隣のテーブルから大きな音がした。店員がタオルをもってやってきたから、水を零してしまったのかもしれない。
「びっくりした。あはは。ね、どう? 私と手作り弁当交換」
……そんなこと言われるのは初めてだ。多分俺がこのお願いを了解してしまったら、俺もこの子のことが好きだと言っているようなものになってしまう気がする。手作り弁当の交換なんて、遥夏ともしたことがないのに。
__あ、また彼女のことを考えてしまった。
「……ごめん。昼はコンビニ派なんだ」
「えー、そっか」
この子は着飾らないし、思ったことは素直に言う。見た目をクールキャラにしたら七瀬さんみたいだ。良い子だと思う。
それでも、この子じゃあの人を忘れられない。
(クズだな、俺)
人を利用して元カノを忘れようとするなんて、馬鹿みたいだ。わかってるのにこんな日々を繰り返してしまうのは、もうどうでもよくなったからなのか。どうすればいいのか、わからなくなってしまったからかも。
(臆病で、クズで、無力で、醜い奴だ)
「中村君。あーん、して」
「え?」
__ガタン!!
また隣のテーブル席から大きな音がした。
「お客様、大丈夫ですか?」
焦ったように近くに女性店員が寄ってきていた。本当に大丈夫かな。
「あーん、してくれる?」
この子は、隣の騒音を気にも留めず、ずっと俺のことを見ていた。
「しないよ。そういうのは恋人としなね」
優しく言えば、許してくれる。
♢
「有沙。水零しすぎ」
「ななちゃんだって零したじゃーん」
あまりにも律貴さんと一緒にいる女の人が攻撃力高くて驚いちゃった。有沙なら断られたって攻めるけどね。
「ななちゃん。帰らなくていいの? 空君、家で待ってるでしょ?」
「今日から移動教室で明日までいない」
「懐かしいー。どこ行ってるの?」
「長野」
もう水を零すことはなかった。
20時を回ると、律貴さんたちはやっと外に出たから、有沙たちも会計を済ましてすぐに後を追った。でも二人は一向に解散しなくて、気づいたら律貴さんのマンション前まで来ていた。有沙たちは壁に隠れてこっそり二人の会話を盗み聞きしようとした。その時、後ろから声をかけられた。
「何してるんですか?」
びっくりして叫びそうになったけど、ななちゃんに口を手で塞がれて助かった。よく見たらしずちゃんだった。どうしてここにいるんだろ。
「位置情報を見たら、二人ともまだ尾行をしていたようなので来てみました」
「今律貴のマンション前で何か話してるから、聞く。静かにしてて」
「了解です。私の地獄耳が役に立つ時が来たようですね」
静かに聞いていると、女の人が、有沙たちがあんまり聞きたくなかった話をしだした。
「ねえ、今日は帰りたくないな」
有沙たちは三人で目を合わせた。
律貴さんはなんて答えるんだろう。怖い。
「公園でも寄る?」
「そういう意味じゃないよ」
女の人の帰りたくないを、有沙は知ってる。パパが家に連れてくる女の人がよく言ってる言葉だ。間違ってなかったら、貴方の家に泊りたいという意味。けど律貴さんは疎いから気づいてなかった。
すると、女の人は律貴さんに抱きついた。
「一晩、一緒にいたい」
あー、堂々としてる。でもあの人はきっと本気で律貴さんを好きじゃない。身体の関係になれる相手が欲しいだけ。だから断れなそうな律貴さんを誘った。でもたこ焼き屋で、あの人の誘いを上手く交わしていたから今回も大丈夫だと思うけど、失恋して傷心中の律貴さんならOKしちゃいそう。
(嫌だ)
「ちょっ、有沙……!?」
気づいたら、有沙は二人の間に入っていた。女の人を律貴さんから突き放して、彼の手を握った。
「誰、貴方……」
変な人に見えても仕方ない。だって黒髪ショートのウィッグに、黒のキャップを被ってマスクしてるんだもん。
でもここから離れなかった。
「絶対、駄目。律貴は、私と一晩過ごすんだから」
言っちゃった。
♦♦♦
正直、家にいれたくはなかった。誰聞疲れるのも困った。だから有沙さんに助けられて、凄くホッとした。この後、女の人は去るように帰って行き、後から静音さんと七瀬さんまでやって来た。なんでここにいるんだろう?
「もう20時半だよ。なんでみんなここに……」
「律貴さんのこと追ってきたの」
俺を追ってきた? どこから追ってたんだ。でも今の場面を見られていたのは気まずいな。
「……いったん、うち来る?」
とりあえず、ここで話すのもなんだからマンションにいれた。
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