第85話 嫌いも好きのうち

「早くして、リツ。疲れてるの」


 七瀬さんの背中に回って、肩に手を添えた。


「ここらへん?」

「そこ。もうちょっと強く」


 気持ちよさそうだった。まあ肩揉むと顔色良くなったりもするから、撮影にはいいのか。


「それ、気持ちいい」七瀬さんは上半身の力を抜いて、真後ろにいた俺に体を預けた。

「これだと肩揉めないよ」

「もういい。疲れたから私のこと支えといて」


 甘えん坊め。目の前にいる遥夏は、無言で、1度もこっちを見ようとしなかった。それでいいんだけど、俺が七瀬さんにこうしているのを見て何も思わないかなって、嫉妬してほしいと思ってる自分がいた。


「おーい。イチャイチャしてんなよ、お二人さん」


 大智さんに声をかけられても、七瀬さんは動揺しなかった。


「七瀬がやらせたんだな。ったく、お前ら最近、リツに甘えすぎなんだよ。俺にも甘えてみやがれ!」

「体格はこの人のほうが落ち着く。大ちゃんは暑苦しい」

「おい、逆だろうが。ガタイの良い奴に身を任せろっての」


 てことは、俺は貧弱ってことか? くっ、微妙に傷つく。


「意外と力のある人を頼りたい年頃なのよ」


 あ、そういうこと。でも貧弱に見えるのは悲しいな。鍛えてみようかな……。


「ははっ。七瀬、お前柔らかくなったな」

「セクハラ」

「いや馬鹿か。性格のこと言ってんだよ」


 監督が、もう撮影を始めると声をかけてきてくれたから、七瀬さんと遥夏は所定の位置についた。

 でも遥夏は、また様子がおかしかった。それが原因で撮影を止めた。


「遥夏ちゃん。ちょっと表情硬いねー。緊張してる?」

「……すみません」

「いいよいいよ。休憩挟も!」


 すると、遥夏は前のようにまた1人になろうと場所を移動した。


「行ってきたら?」


 七瀬さんは俺の背中を押した。


「行ってきなさい」

「……うん」


 遥夏を追いかけた。遥夏は屋台の中にはいなくて、外に出ていた。一般人に見つかったら大変なのに、どうしてわざわざ外に出たのか分からないけど、それだけ一人になりたかったんだな。

 急いで探していると小道を見つけて、そこに遥夏がいた。一人でベンチに座っている。


「遥夏」


 俺を見る度に、呆れ顔をされた。


「私に関わらないでって言ったの覚えてないの?」

「……仕事だから、って言い訳しとく」


 俺は遥夏の隣に座った。


「今度はどうしたの?」

「優しくしないで」


 遥夏に両手で身体を押された。


「隣に来ないで。あっち行って」


 ここに板橋さんはいないのに、どうしてこんなに俺のことを避けたいんだろ。

 こうして身体を押されても、力が弱いからビクともしない。俺はその両手を優しく握った。


「行かないよ。一人にしない」

「っ、もう、嫌い……。大っ嫌い」

「俺は好き」

「うるさいよ」


 そう言ってるけど、遥夏は俺の手を振りほどかなかった。なんでこんな感情になってるんだ?

 あ、思い当たることといえば、さっきの七瀬さんとのやり取りだな。七瀬さんの肩をもんでた時、七瀬さんが俺に身を任せた時、遥夏は横を向き、ずっと下を見ていた。俺はその意味を、もしかしたら知ってる。確信はないけど……。


「俺と七瀬さんの仲に、嫉妬した?」


 これ以外にあてはまることはない。

 遥夏は俺の目から視線をそらして、また下を向いた。それが愛おしくて、俺は我慢できなかった。


「!」


 遥夏を抱きしめた。

 ああ、この匂いだ。俺があのクリスマスにプレゼントした香水。ずっとつけてくれている。


「俺のこと好きなくせに、引き離そうとするなよ」


 好きじゃなかったら、この香水は使ってない。

 好きじゃなかったら、嫉妬はしない。

 好きじゃなかったら、この行動を嫌がるはず。


「その着物、凄い似合ってるよ。綺麗で、可愛くて、抱きしめるのをずっと我慢してた」


 この状態で頭を撫でた。


「俺が好きなのは遥夏だけだよ」


 永遠にこうしていたいな。なんて、続くわけがなかった。

 少しすると、「何してるんだ」と俺たち以外の声が聞こえて一瞬心臓が止まった。遥夏から離れて後ろを見ると、監督だった。


「アンクリのスタッフだったよな。大切なモデルに何をしてる?」


 まずい。何か言い訳を探していた時、遥夏が口を開いた。


「虫のせいです」

「虫?」

「近くに虫がいたから、びっくりして彼にくっついたんです。そうしたら、彼が私を安心させるように背中を撫でてくれた。それだけです」

「ああ、なんだ。そうだったのか。一応、板橋君には報告を……」

「しなくていいです。そこまで私に干渉する理由はありませんよね。それとも私の言うことが信じられませんか」

「い、いや、そういうわけじゃないんだ。気分を害してしまったらすまない。もうすぐ休憩が終わるから戻ろう」

「はい。すぐに行きます」


 俺のことを、庇ってくれた。


「ありがとうございました。過保護なスタッフ君」


 遥夏は監督の後ろを歩いた。俺はその隣を歩いて、その返事をした。


「どういたしまして」


 その後の撮影は、すごく順調に進んだ。遥夏の調子が良くなり、猛スピードで撮影を終わらした。


「ありがとうございました! この後、もう1件仕事が入ってるので私はここで失礼するよ」


 監督やスタッフさんたちは撤収し始めた。七瀬さんと遥夏も着替えを終えると、あとは帰るだけだったんだけど……。


「私、寄るところあるから。遥夏さんを乗せて先に帰って」

「え? いや、駄目だ。俺もついてくよ」

「いい。大ちゃんがいるから」

「おうよ! だから加藤さんを送ってやってくれ」


 遥夏が乗っていた行きの車はなんだったんだ?


「……わかりました」


 車に乗り込むと、遥夏は既に席に座っていた。後部座席でゆっくりしている。


「さっき庇ってくれてありがとう。助かったよ」


 返事はなかったけど、気にしなかった。

 車を出す前に、遥夏に聞きたいことを聞いた。



「……前に言ってたよね。俺の気持ちには応えれないって。


それってどうして? 板橋さんに何言われてるの?」



 何も言ってくれなかった。とりあえず人が増えてきたから車を出すことにして、少し遠回りしながら遥夏の家の近くまで向かった。

 でも、最後まで話してくれなくて、もう遥夏の家の近くまで来てしまった。その時、遥夏は口を開いた。

 

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