第77話 俺にできること

「1月20日の17時、私は携帯ショップで板橋さんを見かけた」


 ……?


「遥夏さんのスマホのカバーは覚えてるかい?」

「は、はい。真っ黒のカバーです。スマホはカメラが3つ付いていました」


 伊草さんはため息をついた。


「板橋さんは黒のカバーをつけた、カメラが3つ付きのスマホを手に、携帯ショップで店員とやり取りをしていた」


 板橋さんって、ガラケーじゃなかったっけ。遥夏が言っていた。板橋さんはガラケーだから、メールでやりとりをしないといけないのが面倒だって。送信取り消しやスタンプを送れないのが欠点だと愚痴をこぼしていた。

 すると、静音さんは何かを思い出したように手を叩いた。


「そういえばお父さん、新しいスマホを買いに行ってましたね」

「ああ。ガラケーはもう古い時代だったから、流石に買い替えようと思ってね」


 有沙さんは疑問を口にした。


「え、ねえねえ。板橋さんは遥夏ちゃんのスマホを持って何してたの?」

「新しい機種のスマホを買っていたよ」

「1月20日は、遥夏ちゃんがその年で初めての生放送歌番組だったはず……、あ、やっぱり」


 有沙さんは過去のニュースを見せてくれた。18時から始まる生放送の歌番組で遥夏は一言も声を発さず、問題となったニュースだからよく覚えていたらしい。これに対して、遥夏の様子がおかしいのは俺のせいだと罵倒するコメントが寄せられていたことも。


「携帯ショップにいたのは17時。遥夏ちゃんは生放送が始まる1時間前に外出できないよ。衣装の準備とか、お化粧の時間があるもん」


 ここで有沙さんは何かに気づいたように、慎重に話し始めた。


「律貴さんにあのメールを送ったのは、遥夏ちゃんじゃなくて板橋さんじゃない? 律貴さんともう関わらせないために板橋さんが送った。でも遥夏ちゃんに気づかれたらまずいからすぐにスマホを解約したのかも」


 あ、それはありえる。


「パーティの時、遥夏にあのメールの話をしたら不思議そうに眉毛を動かしてた」

「じゃあそうだよ。遥夏ちゃんは不審に思ったりわからないことがあると、いつも眉毛を動かす癖がある。つまり、板橋さんは遥夏ちゃんに内緒で律貴さんにメールを送ったってことになるよ」


 そこまでして、板橋さんは父さんを突き落としたかったのか。


「でも、どうして遥夏さんのスマホを持っていたんでしょう。遥夏さんは怒らないのでしょうか」

「ふむ。早くスマホを解約するよう、上に言われていたけど時間がなくてできなかった。だから板橋さんが代わりに行ったとか……」


 ここで、有沙さんの顔から笑みが消えた。


「てっきりパパが指示を出したのかなって思ってたけど、板橋さんが動いてたんだ」


 鳥肌たってきた~、と有沙さんは両腕を擦った。俺は背中に悪寒が走った。

 板橋さんとはフェスや文化祭の時に話しかけられたくらいだったけど、今考えたら、あの場で俺が中村律貴だってバレていたらまた変な報道を流されていたかもしれなかったんだ。ここで、俺はあることを思いだした。


「そういえば、遥夏が俺と話してくれた時、いつも板橋さんはいなかった。体育祭の時は板橋さんが近くにいたから話してくれなかったけど、クルーズパーティの時は板橋さんが休みだったから、大勢の人を前にしても俺と話してくれた。フェスで怪我の手当てをしてくれた時も板橋さんは既に車で待機していたから室内にはいなかった。文化祭の時に図書館で話した時も、板橋さんが有沙さんと話していて自分のそばにいないから俺と話してくれた」


 なんだ。けっこうわかりやすかったのに、俺は気づかなかったんだ。


「となると、加藤さんも脅されていた可能性が高い。板橋さんに何かで脅されたから、君にきつい態度をとり続けた」

「遥夏さんも被害者ということになりますね」


__遥夏も苦しんでたんだ。


「あー、くそ。馬鹿だな、俺……」


 大好きなのに気づいてやれなかった。

 悔やんでいると、遥夏が文化祭で言っていたことを思いだした。





「記憶って、絆なんだよ。ずっと繋がってるんだよ」


「忘れてしまえば、それは、また新しい思考や出来事を記憶した時」


「人ってね、忘れるために記憶してるんじゃない。記憶するために忘れるんだよ」


「私はあの時のまま変わってない」





 この言葉の意味を考察した。


 人はを記憶するために、昔の思い出を忘れる。


 でも遥夏は、あの時のまま変わっていない。あの時っていうのは、俺と過ごした日々のことだ。


「律貴さん?」


 有沙さんは心配そうに俺の名前を呼んだ。気づいた時には、俺は泣いていた。少しだけ溜まった涙が頬を伝う。


__2年間、遥夏も自分を殺して生きてきたんだ。

 笑わないアイドルになったのは、ずっと、ずっと、無理してたからなんだ。


「俺、好きな人の気持ち、なんもわかってなかった。今やっと理解できた気がする」


 腕で涙を拭いて、前を向いた。


「俺、遥夏に会ってきます。遥夏の話を聞きたい」

「でもどうやって話すんですか? 事務所に会いに行くのは危険かと」

「それは大丈夫。良い考えがあるんだ」


 有沙さんは俺の考えを既に読んでいた。


「遥夏ちゃんとアンクリのコラボ週間を使うんだよね?」


 俺は自信満々に頷いた。


「有沙さん。グラビアの撮影はもう終わってる?」

「大体終わってるけど、あと来週の下着とシャワーの撮影くらいだよ~。大ちゃんに頼んで律貴さんに来てもらうようにしてみるね!」

「ありがとう」

「七瀬の着物撮影も来週にありますよ! 1週間に2回も会えるのはまたとない機会です」

「だが、板橋さんがいるとなると、中村君も話しかけにくいんじゃないかい?」


 それはそうだ。でもそんなこと言っていられない。


「どうにかして遥夏と話せるように頑張ります」


 2年も無駄にしてしまった。この2年をはやく埋める必要がある。




「遥夏の隣にいるためなら、なんだってします」

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