第73話 文化祭_愛言葉

「りーつーきさん」


 有沙さんの声に、顔をあげた。


「こんなところでどうしたのー?」


 俺の隣に座り込むなり心配してくれた。

 今あったことを話そうかな。遥夏の言葉の意味を、有沙さんならわかるかもしれない。でもやめた。これは誰かに頼ることじゃない。俺が考えないといけない。俺が理解してあげたい。俺が理解しないといけないんだ。

 でも、大好きな人の言葉の意味がわからない。ああ、どうしよう。泣きたくなってきた。


「なんでも、ないよ」


 少しだけ声が震えてしまった。このままだと本気で泣きそうだったから、頑張って泣かないように目を強く瞑った。すると、有沙さんはそんな俺の心を読み取って、こんなことを言った。


「律貴さんって怖いから泣かないんでしょ?」


 横に座っている有沙さんに視線を向けると、平然とした顔をしていた。特に笑うこともなく、ただ不思議そうに首をかしげている。


「一人で泣くと独りぼっちを感じるから泣かない。有沙たちと一緒」


 有沙たち__七瀬さんと静音さんも含まれてるんだろうな。

 間違ってる? と、有沙さんに聞かれて違うとは言えなかった。間違ってないよ、と言ったら有沙さんは何も返してこなかった。そして、いつの間にか俺は過去の話をしだしていた。


「報道以来、立花以外優しくしてくれる人がいなくなったんだ。みんなから虐められて、家に帰っても孤独で、俺の居場所はなかった。

 でも俺、泣かなかったんだよ。あの時からずっと泣いてないんだ。一人で泣くと独りを感じるからっていうのもあるけど、何より、本当に独りになった気がして、俺自身が壊れる気がしているから」


 だから、と続けた。


「泣きそうになっても、我慢してる」


 べらべらと過去の話をしてしまったから、迷惑をかけたかもしれない。別に聞きたくなかったかも。でも有沙さんは優しかった。


「何かを我慢してるお人好しの律貴さんは、甘えて良い相手がわからないんだね」


 俺の頭に手を置いて撫でてくれた。


「有沙は律貴さんに救われたよ。律貴さんがいてくれるから凄い楽しいよ」

「いきなり有沙さんたちの前に現れて、邪魔だと思わなかった?」

「思わないよ」


 なんで思わなかったんだ。でも、思えば有沙さんは最初から俺のことを歓迎してくれていた。俺の正体を知っていたとしても、写真を捕られて脅迫されたこともあったけど、ずっと優しかった。元々そういう人なんだ。


 両親に愛されなかった有沙さんは、それ以上の愛を俺たちに与えてくれている。


「有沙、律貴さんのこと好き。だから有沙の前では甘えてほしいなー」


 少し顔を赤らめて、照れくさそうにそう言った。対して、俺は涙をこぼした。ぶわっと溢れてきて、俺の頬を伝った。そんな俺を見て有沙さんは目を大きく見開いて、ちょっとだけ口を開けた。


「ご、ごめん。なんか、とまらない……」


 有沙さんは俺のことを前から抱きしめて、頭をなでてくれた。



「周囲の理解がないだけで、人は簡単に壊れちゃうんだよね。


 それなのに今まで我慢してきた律貴さんは偉いよ。有沙が律貴さんだったら、もうここにいないと思う」



 こんな風に優しく抱きしめられて、心が満たされるくらい温かい愛を感じたのはいつぶりだっけ。もう考えられないくらい、記憶がぐちゃぐちゃだ。今までの苦しみに終止符を打たれたように、一気に世界が変わった。



【記憶するために忘れるんだよ】



 今ならその意味がわかるかもしれない。

 泣いて落ち着いた後でも、有沙さんは俺の背中を撫でてくれていた。女の子ってこんなにいい匂いするんだなって、変態みたいなこと考えてしまった自分が痛々しい。


「律貴さんは有沙の腰に、手、まわさないのー?」


 それをしたらお互い抱きしめあうことになるから恥ずかしいから絶対にしない。


「う、うん」

「抱きしめてほしいって言ったら抱きしめてくれる?」


 また、大胆なことを言ってくれる。


「私も今まで辛かった」


 一人称が私に変わった瞬間、有沙さんの”自信がない”っていう弱い部分が見えたような気がした。それを感じ取ったから、断れなかった。

 ゆっくり有沙さんの腰に手を回して背中を撫でる。


「頭は~? 撫でてよー」


 甘え上手だな……。

 触るのを躊躇ったけど、一度触れると慣れた。ふわふわしていて、何より頭が小さいことに驚いた。元々顔が小さいとは思っていたけど触ると実感する。


「眠くなってきたー。寝ていい?」

「駄目だよ」


 その時、俺のスマホに電話がかかってきた。ポケットから取り出して画面を見ると静音さんからだった。まずい、忘れていた。有沙さんを見つけたら連絡するんだった。もう30分以上も立っているから心配されているに違いない。


「もしもし。静音さん、連絡できなくてごめん。有沙さんと合流したよ。今、図書館にいるから……。え?」


 静音さんと七瀬さんも図書館の近くにいるから、こっちに来てくれるみたいだった。それを有沙さんに伝えると、不満そうに両頬を膨らませていた。


「もうちょっと二人でいたかった~」


 有沙さんは俺の首に腕を回し始めたから、流石にもう駄目だと思って軽くあしらった。すねた顔をされたけど、別に怒ってはいなそうだった。図書館のドアが開く音がすると、静音さんの声が聞こえた。


「有沙~! リツくーん!」


 司書さんがいないことを良いことに大きな声で俺たちを呼んだ。行こう、と有沙さんに声をかけて歩き始めると、急に後ろから腕をひかれて足を止めた。


「あ、律貴……」


 七瀬さんの声が聞こえてすぐにそっちを見た時には、俺の頬に有沙さんの口が当たっていた。さっき感じた、ふわっとした甘い香水の匂いがする。変に緊張する。


「またしようね」


 誤解させるような言葉を、七瀬さんに聞こえる音量で言ったせいで、七瀬さんの顔が曇り始めたのがわかった。


「あ、こんなところにいたんですか。有沙はもう私たちから離れないでください!」


 静音さんはこっちにやってきて有沙さんの両腕をがっしり掴んで離さなかった。有沙さんは笑いながら謝っていたけど反省はしていなそうだ。七瀬さんは俺の隣に立って、こっちをジッと見てくる。


「何してたの?」

「ちょっと、励ましてもらってた。変なことはしてない」

「どうだか」


 あまり信じていなそうだった。ていうか、怒ってるように見える。前からよくそういうことがあったけど、意外と七瀬さんは甘えん坊なところがあって、少しは俺に懐いてくれている気がする。だから遥夏や有沙さんに妬いて、俺に不愛想な顔を向けるんだ。

 軽く、七瀬さんの頭に手をおいた。


「はは。妹はできたみたい」


 可愛いな。兄をとられた妹を見ているみたいだ。すると、七瀬さんはこっちを見て頬を赤らめていた。


「妹は嫌」


 頭を撫でられて照れたから頬が赤いんだ。それにしても、妹は嫌、ってどういうことだろう。妹じゃなくて、何だったらよかったんだろう。

 ゆっくり七瀬さんの頭から手を離して、自分の首にあてた。妹以外の選択肢を考えると、一つだけ七瀬さんが求めるようなものがあったけど言わなかった。こっちが恥ずかしくなってきてしまった。そんな俺に気づいた静音さんと有沙さんはこっちに来て問い詰めた。


「七瀬と何してました?」

「やらしいことしてたでしょー」

「し、してない。断じて」



 文化祭は、こんな感じで幕を閉じた。

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