第72話 文化祭_変わらぬ人

「ど・こ・に! 行ってたんですか!!」


 七瀬さんと二人で静音さんの元に行くと、怒られた。七瀬さんがいなくなった後、俺も静音さんと有沙さんに黙って七瀬さんを探しに行ったせいで心配をかけた。あの後、ずっと俺たちのことを探してくれていたんだろうな。


「ごめん。パンケーキの半額券、みんなで使おうって言ったら……」

「許します」


 はは、ちょろい。


「……二人で何をしていたんですか」

「んー、なんでもないよ。ね、七瀬さん」


 七瀬さんはいつも通り黙って頷くのかと思ったら、何故か対抗するように口にし始めた。


「二人の秘密。ね、律貴」


 平然とした顔をされたけど、俺の中ではそれがドキッとした。


「あ、う、うん」


 さっきのことを急に思い出すと恥ずかしくなる。女の子の手をあんな風に自分からとったことなんて、遥夏以外にない。それも2年も前の話だ。あんなにも人を包みたくなるような態度をとられたら、少しくらいは触れたくなってしまう。でも七瀬さんはどうして俺の手を握り返してくれたんだろう。


 気になる。


「へー、そうですか。隠し事ですか」


 あ、すねてる。


「話すことでもないでしょ。それより有沙はどこ?」

「有沙もいなくなったんですよ。二人で七瀬とリツ君を探している最中にはぐれてしまったみたいです」


 はぐれたんじゃない。わざとはぐれたんだ。有沙さんは人のことよく見てるから、静音さんとはぐれるわけない。それに、はぐれたら大きな声で静音さんの名前を呼ぶだろう。何かを見つけてそっちに走ったんだな。でも何を見つけたんだろう。静音さんからこっそり離れないといけなかったこと、なんて、想像できない。


「俺、探しに行ってくるよ。二人は一緒にいて。見つけたら連絡する」


 ちょっと待ってください、と静音さんに止められる前に走って有沙さんを探しに行った。


「……七瀬がリツ君の名前を呼ぶところを、初めて見ました」

「心境の変化よ」


 俺が探しに行った場所は、校舎から少し離れた場所にある図書館だった。中に入ると、司書や委員は誰もいなかった。誰もいないのに鍵が開いているのもおかしいから、すぐに図書館を出るのをやめた。ここに来たのは久しぶりだ。


(遥夏と写真を撮った場所は、確か……)


 そこを右に曲がって、すぐのところだ。


(……あっ)


 びっくりして、足を止めた。俺は、白い帽子を左手に持ち、マスクを外し、呆然と立っている遥夏の後ろ姿に対面した。棚に並ばれた多くの本の中、一冊の本を見つめている。何を考えているのか、俺に気づいていない様子だった。

 このまま声をかけずに離れるか、それとも声をかけるか。俺は今日、遥夏を見かけても声をかけないと決めていた。この日が終われば、有沙さんから報道の真実を聞けるっていう予定があるから、いつもより落ち着いている。

 ていうか何を見ているんだろう。凄い真剣な眼差しで、まるで何かを思い出しているような顔だ。遥夏の視線の先を見てみると、とても見覚えのある本だった。どこかで見たことがあるけど思い出せない。なんだっけ。


(あ、そうだ。あの時、この場所で俺が借りた本)


 2年前、まだ付き合う前に俺が借りたい本があると言ったら遥夏もついてきた。借りたい本というのは、弁当のレシピ本だ。遥夏は家庭に困っていない。とても幸せで、裕福に過ごしていたけど、母親が体調を崩してしまった時期があった。それが夏休み中だ。遥夏はレッスンで忙しかったけど、お母さんの作ってくれたお弁当があったから頑張れていると言った。でもそのお母さんのお弁当がしばらく食べられなくなる。お父さんは料理が大の苦手だから、コンビニで買うしかなかった。それを聞いた時に俺が作ってやろうと思ったんだ。俺はデジタルに慣れてないから、本を読むしかなかったんだけど、高校の図書館で借りたほうが無料で利便性がいい。だから俺は、大好きな先輩に寂しい思いをさせたくなくてあの本を探しにここに来たんだ。

 遥夏はそれを覚えている。だからこの本を眺めている。

 俺はそれが嬉しくて、つい声をかけてしまった。


「懐かしいね。その本」


 こっちを見た遥夏は、目を見開いていた。ここに来ると思っていなかった、という顔だ。でも逃げなかった。俺がこうして遥夏のそばに近づき、例の本の帯を軽く指先でなぞっても、俺の隣から避けることはなかった。


「覚えててくれてたんだな。俺、忘れかけてたよ。大切な思い出なのに……」

「なんのことだかさっぱり」


 知らないふりをされても、遥夏はまだここから離れなかった。こうして二人で並んでいると昔を思い出す。高校時代の制服を着てここに立っているようだ。俺は、聞こうと思っていなかったことを遥夏に聞いていた。


「遥夏は俺のこと、本当に、本気で好きじゃなかった?」


 信じたいんだよなぁ。遥夏に嘘をつかれたことは事実だ。遥夏は何もしてないのに、あの報道は自分が仕組んだものだと嘘をついた。そんなことするわけないって、俺なら一瞬で見抜ける嘘なのに。それでも頑なに、俺のことを避けたり、好きじゃないって言ったり、さようならって言ったり……。今だって俺から離れればいいのに、どうして離れないんだろう。好きでもない、赤の他人だと思っている奴の近くにいて居心地がいいのだろうか。何を考えているのかわからなかった。あの時の遥夏も、何を考えながら俺のそばにいたんだろう。本当に俺のこと好きじゃなかったのかな。俺は、彼女から愛を感じていたんだけどな。

 遥夏は口を開けた。


「記憶って、絆なんだよ。ずっと繋がってるんだよ」


 遥夏はまったく別の話をしだした。例の本を見つめている。


「忘れてしまえば、それは、また新しい思考や出来事を記憶した時」


 今度は俺を見た。


「人ってね、忘れるために記憶してるんじゃない。記憶するために忘れるんだよ」


 遥夏は少しだけ眉間にしわをよせると悔しそうだった。なんでそんなことを言いだしたのかわからない。質問の答えと違う。何が言いたいんだ。


「私はあの時のまま変わってない」


 それってどういう意味? そう聞こうとした時、図書館の扉が開く音がした。その音を聞いてすぐ、遥夏は帽子を被って歩き出した。追いかけようと思ったけどやめた。


「遥夏。ここにいたのか」

「もう出よう。この後も打ち合わせでしょ」

「ああ」

「有沙と何話してたの?」

「ん、軽い挨拶さ」


 有沙さんは、板橋さんを見つけて話しかけに行ったのか。軽い挨拶にしては結構時間かかっている気がするのは気のせいか。二人が図書室を出て行った後、俺はこの場で崩れるように座り込んだ。本棚に背中をつけて、体育座りをした。頭を腕の中におさめて少しの間考え込んだ。


【記憶するために忘れるんだよ】

【私はあの時のまま変わってない】


 この言葉がひっかかる。わからない。どういう意味だろう。



「はぁぁ、わっかんね」



 その時、俺に声をかけた人がいた。

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