第70話 文化祭_表情
一通り回った。お化け屋敷に3回くらい入ったり、アイスを食べたり、クイズを解いたり、楽しかった。文化祭ってこんなに楽しかったっけなって、過去を思い出した。高校2年生の文化祭は、私服に変装した遥夏と一緒に回っていた。誰にもバレることなく、二人で楽しい文化祭を過ごしたんだ。去年の思い出がなさすぎて忘れてしまっていたけど、俺にも楽しかった思い出があったな。
でも、こんな風に間接キスをする機会なんてなかった。
「それ、捨ててくるよ」七瀬さんの手から俺のイチゴオレを取る。
「まだ飲んでないけど」
「あ、ごめん」
「あと少ししかないから貴方が飲んでいいわ」
え? 本当に言ってるのか? 俺がこれに口をつければ、俺から、か、間接キスをしたことになるんじゃないか?
「私と間接キスは嫌?」
……なんだ、わざとやってるのか。また前みたいにからかってきてるのかと思ったけど、そういう雰囲気ではなかった。俺が本気で嫌がっているように見えるから、ちょっと不服そうな顔をするのかな。
「嫌じゃないけど、ここ学校だよ」
七瀬さんにイチゴオレを持たせると、大人しく全部飲み干して俺に預けた。すると、有沙さんが急に用事を思い出した。
「あ! 有沙、会う人いるんだった。少しだけ抜けるね~」
「私たちは体育館にいますね」
「りょうかーい!」
俺もこの飲み干したイチゴオレを捨てるべく、一度二人から離れた。二人は先に体育館に向かって席をとってくれるみたいだから、急いで捨てに行った。1階まで降りて、燃えるゴミに紙パック、燃えないゴミにストローを捨てた。体育館に戻ろうとすると、思わぬところを見てしまった。この廊下の先、人気のない、端っこの階段の下にいる。
有沙さんと白い帽子を深く被った女の人が、二人で話していた。
多分、あれは遥夏だ。有沙さんは何やら真剣な顔だったから、俺は気づかれる前に体育館に向かおうと階段に足をかけたら声をかけられた。横を向くと、あの人だ。
「君、アンクリのスタッフ、リツ君じゃないか」
遥夏のマネージャー、板橋さん。相変わらず綺麗に磨かれた四角い黒縁眼鏡に、黒のスーツを着ている。この人の私服はスーツかと言いたくなるくらい見慣れてしまっていた。あまりにも真っすぐな目に、俺は息をのんだ。
「板橋さん」
「名前を覚えてくれていて嬉しいよ。今、アンクリとコラボをさせていただいるのだが、本当に真面目な子たちばかりだ」
仕事話をしに俺に声をかけたのか、それともただの挨拶か、嫌な予感がした。
「ところで君、どうしてここにいるんだ? 私は遥夏のボディガードだが、君は入る義理がないだろう。生徒のボディガードは学校内ではしないと思うのだが……」
ああ、どう言い訳しよう。七瀬さんの両親代わりに来た、って言ったら彼女の家庭事情を軽く漏らしたことになってしまう。ここは適当に誤魔化すしかない。
「ちょっと色々ありまして」
何が色々だ。まったく具体的じゃないから納得した顔の一つもされない。むしろ疑われているんじゃないかな。早くこの場から去りたい。
「待たせている人がいるので失礼します」
「ああ、引き留めて悪いね」
階段を上って2階にあがり、体育館に繋がる経路を急いだ。その時、ずっと、板橋さんに背中を見られているような気がして落ち着かなかった。体育館に着いて足を止めた頃には、そこまで走ってないのに息があがった。視界が歪んで、なんだか不調のようだった。板橋さんの、あの鋭い目が頭から離れない。同時に2年前の悪夢が頭の中をよぎって、気分が悪かった。
「リツ君?」
名前を呼ばれて振り向くと、静音さんがいた。心配そうに俺の顔を覗き込んでくれて、何かを察して俺の背中を撫でてくれた。
「いったん、深呼吸しましょうか」
言われた通り、深く息を吸って、ゆっくり吐いた。すると少しだけ落ち着いた。今は一人じゃないからそこまで怖くなかった。
「ありがとう、静音さん」
「いいえ。お話、聞きましょうか?」
「いや、大丈夫だよ。もう落ち着いた」
不思議だな。静音さんに声をかけられるとすぐに落ち着くし、さっきまでの不安がなくなっていた。彼女たちの中ではお母さんみたいな役割をしている理由がわかる。俺の実母はここまで心配してくれなかったから、余計にお母さんの存在ってこんな感じかなって考えてしまった。
「座りましょう。七瀬も待ってますよ」
「うん」
七瀬さんのいるところにいると、真ん中の二席を挟むように、左に七瀬さん、右に静音さんが座った。俺はこの真ん中の二席のどちらに座ればいいのか、かなり悩んでしまった。正直、端っこに座りたい。けどわざわざ立たせるのも申し訳ない。難しい選択だなぁ。
「あ。リツ君、こっち座っていいですよ」
困っている俺に気づいた静音さんは、隣の席を案内してくれた。ホッとして静音さんの隣に座ったけど、これでよかったのかな。七瀬さんを見ると、背筋を伸ばして綺麗に座っていた。でもさっきよりも元気がなさそうだった。斜め下をジッと見つめて、何か考え事をしているような顔つきだった。すると、後ろから誰かに目隠しをされた。
「っ!?」
「だーれだ」
この透き通っているけど少し強気な声は、絶対、先輩だ。
「つ、月菜先輩です」
「正解だ。ちょっと声低くしたのによくわかったな」
「わかりますよ」
月菜先輩は俺の真後ろに座っていた。隣には日菜さんも座っていて、笑顔で軽く手をふってくれたから軽く頭をさげて返した。それを見た月菜先輩は、日菜にちょっかいを出すな、と頭にチョップをしてきた。妹愛を感じるような強い痛みが走る。
「もう少し優しくしてくださいよ」
「誰がお前の言うことなんぞ聞くか。ん? お前のお姫様はまだ来ないのか?」
お姫様って、有沙さんのことか。
「なんなんですか、お姫様って」
「有沙はまだ帰ってきていませんよ」
「静音ちゃんじゃないか! 可愛いなぁ。握手してくれ」
かなり無理矢理握手をさせられていた。七瀬さんがいることにも瞬時に気づいて握手を求めたけど、1回目は無視されていた。考え事をしているから周りの声が届いていないんだ。
「七瀬さん。ほら、先輩が握手したいって」
「え? あ、すみません……」
作ったような愛想のない笑顔を向けると、先輩は七瀬さんと握手した後、ポッケから紙切れを出して七瀬さんにあげた。パンケーキの半額券だ。
「さっき人助けしたらもらったんだ。あげよう」
「あ、ありがとうございます」
やっぱり、先輩はお姉さんだな。先輩なりに元気づけようとしてくれているんだ。それでも七瀬さんは、また暗い顔に戻った。ここで、静音さんだったらすぐに七瀬さんの異変に気付いて声をかけるはずだけど、今はかけなかった。体育館だから、あとで声をかけるつもりなのかな。
有沙さんが戻ってきたら、軽音楽による演奏を楽しんだ。大体20分くらいだったと思う。でも、こっそり七瀬さんを見るとずっと下を向いていた。舞台発表が終わった後は、みんな音楽を聴いた後で気持ちよさそうだった。席を立って体育館を出て行くと、一度立ち止まって話し合った。
「次どこ行くー? って、ななちゃんは?」
七瀬さんは、いなくなっていた。
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