第65話 知らないお姉さん

 俺は、今日は大学にいた。広場のベンチに腰を掛けて、涼しい風に浸っていた。

 あの日から、何も変わらない。結局、有沙さんは俺に何も話してくれない。静音さんや七瀬さんも、いつも通り変わらない。そしてあっという間に時は過ぎ、大学の夏休みが終わった頃には9月中旬をきっていた。彼女たちの文化祭は、10月の始まりだったっけ。あと半月だ。


「はぁ」

「あんた、どうしたの?」


 急に声をかけてくれたのは、知らない女の子だった。金髪肩上に切られた綺麗なボブに白い肌。可愛いけど、チャラそうで、しかも初対面の相手に”あんた”って、怖くないわけない。


「答えられないくらい悩み抱えてんの? 大丈夫?」

「あ、はい……。い、いや、別にそこまで悩んでませんけど」


 嘘だ。空き時間があるたびに彼女たちのことを考えてしまっているくらい心配はしてる。

 金髪美人は俺の隣に座って、がさつに足を組んだ。ひいいいい、この時間は人が少なくて助かる。


「あたし、3年の藤石月菜ふじいしつきな。あんたは?」


 まさか、立花以外に声をかけてくれる人がいるなんて思ってもいなかった。本名言ったら引かれるよなぁ。ドン引きされて、今流行りのSNSで流されるかも。


「1年のリツです」

「苗字は?」

「ひ、秘密です」

「変わってんね」


 今すぐ帰りたいけど、無視できない。


「どんな悩み? お姉さんが聞いてあげっから話してみ」


 赤の他人になんでそこまでできるんだろう。勇気のある人なんだな。どうせ暇つぶしだろうけど、さりげなく相談してみようかな。いやでも迷惑じゃ……。うーん。


「大丈夫です。一人で解決します」

「……あんた、あたしの妹と同じ反応するんだな」


 妹?


「甘えるのが迷惑だと思ってんなら勘違い。勝手に決めつけんなよ。ちょっとでいいから話してみ?」


 言い方はきついけど、妹がいるだけあるなってくらい一つ一つの言葉が胸に刺さった。少しだけ、話してみようかな。


「知り合いが、多分辛い悩みを抱えているんです。でもその子、みんなの前でずっと笑ってくれてるんです。辛い悩みを聞いてあげたいけど、聞き方わからないから、話してくれるのを待ってようと思って。そうしてたら、いつの間にか2週間くらいすぎてました」


 藤石先輩は、少しだけ辛そうな顔をしていた。感情移入しやすい人なのかな。優しいな。


「迷惑かけたくないから話せないんじゃないか?」


 先輩は派手に組んでいた足をほどいて、両足を地面につけた。


「一人っ子のお嬢ちゃんなら、なおさらさ」


 一人っ子__俺もそれにあてはまる。迷惑をかけたくないから話せない、っていうのは少しだけわかるかもしれない。けど俺に話さない理由にはならないんじゃ……。


「あ、俺は頼りないから話せないんですかね……」

「馬鹿野郎。どうしてそうなんだよ」


 うっ。背中にヤリが刺さったみたいだ。


「そのお嬢ちゃん、リツのこと好きか?」

「好かれているとは思います」

「そういうんじゃ……。まあいっか。どれくらい仲いいんだ?」


 どれくらい? どれくらいだろう。出会ってからのことを思い出してみた。まず俺と遥夏のツーショット写真を使って脅迫された(まだ返してもらってない)。


「俺を見かけるたびに、話しかけてくれます」


 勝手に俺のイチゴ・オレを飲んだこともあった。あと体育祭の時に、俺に髭をつけてきた。あれは気遣い、ではないな。フェスの時だって車の中でよく俺のことからかってきたし。


「そこまで仲が良いとは言えなかった時でも、よく俺のことをからかってきます」


 パーティが始まる前は、着ていた黒いドレスを褒めてほしそうだったっけ。


「褒めてあげると嬉しそうに笑ってくれます」


 脅迫してでも俺を夏祭りに誘ってくれた。ぬいぐるみをとってほしいって甘えてくれたんだよな。ビーチも3人で行けばいいのに、俺は強制参加だったな。いつの間にか俺も行くことになってた。


「甘えてくれるし、良い具合に俺のこと振り回してくれます」


 印象的なことはまだある。


「俺が風邪ひいた時は、1日に3回も電話くれて心配してくれました」


 そしてこの前、俺の前で泣き崩れた。


「最近、一度だけ俺に弱い部分を見せてくれました」


 有沙さんは俺に居場所をくれたようなものだ。彼女が俺の過去を、真実を知らなければ、俺に関わってくれなかったら、絶対静音さんや七瀬さんと今みたいに話せなかったと思う。特に七瀬さんはもっと。


__あれ、なんでだろう。思い返すと、有沙さんはどこにでもいる気がする。


「その子、弱いんだな」


 藤石先輩は俺の胸蔵を掴んで、顔を近づけてきた。ヘアオイルのせいか、ほんのりとフルーツの匂いが漂ってきた。


「リツ。あんたから聞きに行きな」


 それは、俺から有沙さんに、何があったのか聞けってことか。


「困らせませんか?」

「少なくともその子は、あんたのこと待ってる。赤の他人のあたしでもわかるよ」


 俺にはまったくわからないから混乱した。でも藤石先輩の目は真っすぐで絶対にそらせなかった。そらしたら後悔しそうな自分がいた。


「今度はあんたが、あの子を迎えに行きな」


 その日、俺はすぐ事務所に向かった。先輩は講義があるからとすぐに行ってしまったからお礼を言えなかったけど、同じ大学ならいつでも会える。来週のこの時間帯にまた会いに行こう。

 事務所に到着したら、すぐにタイムカードを確認した。有沙さんは出勤している。急いでレッスン室に向かうと誰もいなかった。休憩室に行くと、静音さんと七瀬さんが椅子に座っていて、驚いたように俺を見た。事情は話さなかったけど、有沙さんの居場所を聞いたら、わからないと言われた。トイレに行くとも言ってないみたいだから、どこか別の場所にいるらしい。屋上に行っても誰もいないし、どの部屋を見ても有沙さんはいなかった。でも、まだ探していない場所が一つある。


 この事務室だ。


 部屋に入ろうとドアを押すと、鍵がかかっていなかったから微かに開いた。中の電気は消してあるけど、ここにいる気がする。ゆっくりドアを開けて足を踏み入れた。


「有沙さん」


 見つけた。俺がいつも座っている席に座り、腕をデスクにおいて頭をそこにうずめていた。俺がいないときはいつもここで休憩してたのかな。有沙さんはゆっくり顔をあげた。


「どうしているの? 今日、出勤日じゃないよね」


 俺を見て、嬉しそうな顔をするわけでもなく嫌な顔をしているわけでもなかった。恥ずかしそうな顔もしていない。ただ、少しだけ笑顔のない顔だった。



「有沙さんと話したいことがあったから来たんだ」

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