第63話 アイドルの恋事情

♦♢♦♢



「依織君?」


 土曜日の昼過ぎ、仕事をしているリツさんがいる事務室に入った。


「お久しぶりです」


 リツさんはいつも僕の笑顔を見て眩しいような顔をしてくれる。嬉しいな。


「どうしたんですか?」


 静音ちゃんはリツさんが好きだ。昨日の反応は間違いない。あの子は隠そうとするとすぐそれが裏目に出るからわかりやすい。それが良いところでもあるけど、僕には辛かった。

 僕はリツさんがどういう人なのか詳しくは知らない。けど良い人だと思う。どこかで見たことのあるかのような優しい目つきは、僕だって好きだ。でも静音ちゃんの好きなタイプとは少し違う気がした。静音ちゃんのタイプは男らしい人だ。失礼だけど、僕が知っているリツさんにその要素があるとは思えなかった。だから静音ちゃんの好きなタイプを変えたかもしれないリツさんを徹底的に分析して、静音ちゃんの好きなタイプを整理することにした。


「リツさんってお付き合いされたことありますか?」

「えっ!?」


 急に話を切り出したのが悪かったな。でもリツさんは答えてくれた。


「い、一度だけ、あります」


 耳まで顔を赤くしていて可愛いなぁ。


「へえ。今も続いて?」

「いえ。結構前に別れました」


 悲しそうな顔をして首をかいた。犬っぽい。


「今は好きな人いないんですか?」

「今は……」


 リツさんは口ごもった。言いにくいのか、言えないのか、それとも他の理由か。あんまり問い詰めるのもよくないか。


「すみません。急に恋バナに付き合ってもらっちゃって」

「あ、いえ……」


 リツさんは犬系だけど、これだけだと性格が見えてこない。臆病な一面があることは確かだから、そういうところが支えてあげたくなったとか? 静音ちゃんって母親みたいだもんなぁ。


「お仕事中に失礼しました。じゃあ僕、戻りますね」


 結局、よくわからないな。まあ、静音ちゃんの好きな人になろうとしても、僕にはその素質がないから無理なんだけどさ。だから告白もフラれそうになったわけだし。

 ああ、そうだ。最後に一つ、とても鈍感そうなリツさんに言ってみよう。


「リツさん、アンクリと仲いいですよね。もしかしたら下心持たれてるかもしれませんよ?」


 どういう反応か。予想としては戸惑ってくれると思ったんだけど、逆だった。まったく戸惑っていなくて、むしろ……


 なんとなく察しているかのように、少しだけ口角をあげていた。でもその表情はすぐに消えて、ははっ、と小さく笑った。


「好意をもたれることは、好きですよ」


 一番丁寧な言い方。


「……あは。でも、両想いじゃないと苦しむだけですよ」 


 静音ちゃんには苦しんでほしくない。

 もう休憩時間が終わるからこの部屋を出た。すると静音ちゃんが目の前にいた。すぐにドアを閉めて、静音ちゃんの名前を呼んだ。びっくりした。もしかして今の話聞かれてた?


「リツさんと何を話していたんですか?」


 あはは、見破られてる。話の内容は聞いてなかったっぽいけど、昨日の今日だから流石に疑ってもしかたない。


「良い話だよ。そろそろ行かないと秋に怒られるから、またね」


 どこが良い話だ。


「待ってください。リツ君には私の気持ち、何も言わないでください」

「……言わないよ」


 言えるわけない。告白だって阻止したいんだ。

 でも勘のいい静音ちゃんはわかっていない。自分の好きな人のことになると途端に鈍くなるところは、ずっと変わらない。だから少しだけ泳がせてみた。


「でも、彼、そんな鈍感じゃないかもね」


 僕は静音ちゃんを応援したのか、したくないのか、どっちなんだろ。こんなこと言ったら静音ちゃんは彼をもっと意識するだろうに。

 この部屋から離れて一人になった時に、ため息をついた。



「はぁ」



 アイドルやめたら、僕のこと気になってくれるかな。

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