第61話 ”好き”じゃない

♦♢♦♢




 もう約束の時間なのに、有沙はまだ来ない。


 昼間、板橋の車で事務所まで移動した。駐車場で車を停め、しばらく車内で落ち着いていた時に、川端社長がスタイルのいい女の人を高そうな車に乗せているところを見てしまった。これは、まずい。


「遥夏。もうすぐ打ち合わせの時間だ。行くぞ」

「うん」


 川端社長が昼間から女の人とドライブをすることはよくあって、そういう時はいつも家に行く。そのたびに、有沙が辛そうな顔をしていた。

 昔、そういうことがあるたびに有沙はよく私に電話をかけてくれたっけ。でも2年前の報道以来、スマホを新規契約してしまってから連絡をとれなくなった。凄くたまに会うことはあったけど話せなかった。

 有沙の家庭事情を理解している私が、有沙を一人にさせてしまったんだ。でも8月のフェスをきっかけに連絡先を交換できたからよかったわ。幼馴染のあの二人がいるから助けられていると思うけど、その二人もそれぞれ家庭事情があるらしい。もし、今日、あの子が苦しんでいたらどうしよう。


「板橋。今日のスケジュールは?」

「打ち合わせが終わった後、13時~16時にモデル撮影。17時からはまた別の打ち合わせがある」

「17時からの打ち合わせは別日にずらして」

「ドラマの打ち合わせだぞ」

「それよりも大切なことがあるの。打ち合わせを別日にずらしたって、売上に支障はないんだからいいじゃない」


 板橋との口論はずっと続いた。けどなんとか押しに押して、スケジュールを調整することができた。16時になって撮影が終わると、すぐ有沙に電話をかけた。1時間後に駅前に集合と強制して電話を切った。板橋に運転してもらって、17時に駅前に着くと、有沙はまだ来なかった。するとメッセージがきて、”ごめんね、10分遅れる”ときた。何かあったのかしら。


「板橋。ここで降りるわ」

「気をつけるんだぞ」


 車から降りて、人目につかなそうな場所に身をひそめた。10分すると有沙はやってきた。走ってきたから息があがっていた。有沙は息を整えると、にっこりと笑って私に謝った。


「遅れてごめんね!」

「大丈夫?」

「大丈夫だよー。体力あるほうだし」

「そうじゃなくて……」


 目が腫れている。泣いた後の顔をしている。


「二人で出かけるの2年ぶりだね。どこに連れて行ってくれるの~?」


 頑張って、元気なところを私に見せようとしてくれている。前は悲しいことがあったらすぐに言ってくれた。こんな風に泣いたところをバレないように、笑顔を取り繕う子ではなかった。少なくとも私にそんなことするような子じゃなかった。


「有沙が大好きなパスタのお店。タクシーで移動しましょ?」


 これも全部、私のせいかしら。

 タクシーでお店まで移動した。店内は人がたくさんいたけど、個室をとってあったからすぐに移動した。有沙は暑そうに帽子を脱いだ。私は注文したものがテーブルに届いた後、帽子を外した。


「美味しい~! ここのお店初めて来たけど、気にいったよー」

「よかった。私もこのお店好きなんだ」


 何を話せば、いいのかしら。

 そんなことを考えながら食事をしていると、有沙は言った。


「今日、パパが家に帰ってくるってこと知ってて有沙のこと誘ったの?」


 勘がいいからすぐに気づかれた。


「うん、そうだよ」

「ありがとう。すっごい救われたよ」


 有沙は安心したように微笑んだ。でもその笑顔の裏に憎悪があるのか気になった。聞きたかったけど、この場所で聞くのはやめた。デザートも頼んで食べた後、二人で夜の街を散歩した。近くに誰もいない小さな公園を見つけたから、二人でベンチに座った。その時に私は有沙に口を開いた。


「2年間、何も言わずに離れたことを怒ってないの?」

「怒ってなーいよ!」


 ずっと下を向いている私の腕に、有沙はしがみついてきた。


「ななちゃんとしずちゃんがいたから大丈夫。それにね、あの報道以来、パパが知らない人をつれてくる頻度が減ったんだよ。今日はびっくりしちゃったけど」

「……本当に大丈夫?」

「うん!」


 私に向けたその笑みは、どうしても仮面にしか見えないのは私だけかな。


「それなら、どうして目が腫れているの? 私に会うまで泣いてたんじゃないの?」


 こんなに顔が近いから、はっきり見える。少しだけ目がむくんでいる。

 有沙は、正直に話し始めた。


「大丈夫なのは本当だよ。さっきまで、律貴さんがそばにいてくれたから」


 律貴、その名前を聞いて思い浮かぶのはあの子だけ。一つ下の、私を愛してくれた唯一の存在。

 さっきまでの出来事を有沙から聞いた。外を飛び出した有沙を彼が助けたんだ。有沙は彼の存在に安心して涙を流した。だから待ち合わせ場所に遅れたし、こんなに目が腫れている。


「律貴さんが怒鳴った時はびっくりしちゃった」


 私は彼に怒鳴られたことが一度もない。そう思うと、なぜか両の拳を軽く握った。


「もう冷えてきたから帰ろっか」

「……うん」

「今日はうちに泊まって。明日は学校ないでしょ?」


 有沙は安心した顔をして、ちょっとだけ笑った。

 帰り際に、有沙は私に聞いてきた。私にとってリツはどんな存在だったか、って。そう言われると、どんな人だったんだろう。わからない、と伝えると笑われた。何がツボだったのかわからないけど、とにかく笑ってた。


「律貴さんのこと、好きじゃなかったの?」


 毎日のように二人で過ごした。でもいつも優しかった。彼は、笑うとクシャっとする顔と、落ち込んだ時は犬みたいにしょげるわかりやすい顔をよくする。臆病で、お人好しで、自分の気持ちよりも私の気持ちを最優先に考えていた。私の気持ちには鈍感だったし、少しすれ違うこともあったけど、それでも私たちは良いカップルだったと思う。



(……好きじゃなかった)



 好き、ではない。彼は奇跡みたいな人だった。




♦♢♦♢

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