第53話 たった1本のコーラが最強

 本格的なリハーサルが始まった。俺と大智さんは客席に座っていた。

 1グループめから実際にマイクを持って軽く声だしをしている。楽しそうに歌う人もいたし、ちょっとおふざけする人もいて面白かった。歌の途中にギャグを入れてメンバーに背中を叩かれて𠮟られているところは、大智さんと二人で笑った。

 3グループめが終わると、やっとアンクリの出番が来た。今回参加するアイドルグループは系統が違うから見ていて飽きない。


「リツ。七瀬があんなに笑うのはステージに立っている時だけなんだぜ」


 午前もあの笑顔を見たけど、歌っていると歌っていない時ではまったく違う。本物のアイドルが目の前にいることに胸が熱くなった。思わず見とれる。明日はもっと最高のライブになるだろうな。

 アンクリが終わった後、遥夏がステージに立った。でも遥夏は歌わなかった。そして一歩たりともその場から動かず、ただただ真っすぐ前を向いていた。それだけでもドキドキして、緊張した。それは大智さんも一緒だった。

 リハーサルが終わった後は、スタッフ内で機械のチェックなどをした。特に異常が見られず、アイドルたちも不満はなかった。だからもう帰ることになった。意外とあっという間に終わったリハーサルだったけど貴重な体験をした。


「お疲れ様です。では明日、頑張りましょう!」


 おー! と大きな声が大広間に響く。アンクリは他のアイドルグループと仲よさそうに会話をしていた。みんなすぐには帰らずその場に留まっている中、遥夏は帰ろうとしていた。だから有沙さんが遥夏を捕まえて帰らせなかった。


「一人で帰ろうとしてる~? 有沙とお茶しようよー」

「明日のために早く寝るから帰るよ」

「やだやだ! 連絡先だって、交換してないのに……」


 その話を唯一俺だけが聞いていたと思う。

 有沙さんは以前も言っていた。あの報道以来、遥夏とまともに話してないと。遥夏が番号を変えたからっていうのもあるけど、それにしても有沙さんとは連絡をとってもいいんじゃ?


「はい、名刺の裏に連絡先書いてある」

「いいの?」

「いいよ。有沙は大切な友達だもん」


 微笑ましい会話だ。

 二人の会話を聞いて一人でほっこりしていると、俺に声をかけた人がいた。


「君、名前はなんていうんだ?」


 びっくりして声の主に視線を向けると板橋さんだった。俺の後ろにいたから気配を感じなかった。戦場にいたら一瞬で首をとられていると思う。


「リツって言います」

「……フルネームを聞きたい」

「どうしてですか?」


 この人は人のことをよく見ている。


「なんだか、気になってな」


 だからか、俺は警戒心を隠せなかった。なんとかこの場を切り抜けられないかと思っていた時、助け船がやってきた。


「板橋。車だして」


 遥夏だ。助け船をだしたわけではないと思うけど、助かった。

 板橋さんはメガネをクイッとあげて、遥夏の後ろを追いかけ始める。


「危機一髪、ですね」

「うん。危なかった……」


 フルネームなんて考えてなかった。そもそも名前をリツにしたのが間違いだった?


「私、先に車に戻ってていいですか?」

「え? いいけど、みんなと話さなくていいの?」

「話したいんですけど、疲れてしまいまして……」


 そうか。早朝から車内でリハーサルに向けてずっと音楽を聴いて確認してたもんな。こっちに着いてからも昼食以外まともに休んでない。


「じゃあ、一緒に戻ろう」


 有沙さんと七瀬さんに、先に車に戻ると伝えようとしたけど、楽しそうに他のアイドルと話していたから話しかけにくかった。だからメッセージを送って、静音さんと二人で車に戻った。


「何か飲む?」

「水が飲みたいです」

「買ってくる。待ってて」


 自販機は確か入口のそばにあったような……、あ、あった。


「あ、遥夏……」


 自販機に遥夏がいる。俺が呼ぶとこっちを向いた。周りに一般人がいないと思っていたからか、何も変装をしていなかった。今から飲み物を買おうとしていたからまだ手には財布しか持っていない。お疲れさま、と声をかけると当たり前だけど無視された。遥夏は自販機と向き合って何を飲もうか悩んでいる。その後ろから自販機にある飲み物を眺めると、イチゴオレがないことに気づいた。だから遥夏は何を飲もうか悩んでいるんだ。しばらく待っていると、遥夏は俺の前から退けた。


「買わないの?」

「先どうぞ」


 イチゴオレがないだけで頭を抱えるところは変わってないなぁ。

 俺は静音さんのぶんの水と、有沙さんに向けた緑茶、七瀬さんの珈琲を買った。自分のはまだ水があるから買う必要がない。


「ありがとう、もう買ったよ」


 遥夏にそう言った後、待たせている静音さんのもとに急ごうとした。その時、止められた。


「待って」


 遥夏が俺を止めるのは珍しくて驚いた。同時に嬉しかった。どうしたの? と少し期待して遥夏の目の前まで歩く。遥夏は自販機でコーラを買って、俺の胸に突き付けた。


「借りはつくりたくないの」


 借り、と聞いて思い当たることはパーティの帰りのことだ。俺が最後のイチゴオレを買ってしまったから、遥夏の買うぶんがなくなって、だから俺が最後の一つをあげた。


「借りって、あはは。別にいいのに」


 相変わらず……


「変わってないな。そういうところ」


 少しだけ、昔に戻れた気分で楽しかった。遥夏の表情は特に変わってなかったけど、俺が笑った時に少し驚いたように目を見開いていたのは気づいた。


「ありがとう。大事に飲む」


 めっちゃ嬉しい。

 遥夏は何も買わずに車に戻ろうとした。


「あ、明日、頑張って。見てるから」


 たとえ無視されても、頑張ってという一言だけは伝えたかった。もちろん予想通り無視されたけど嫌じゃない。遥夏からコーラをもらえたことが嬉しすぎて嫌な気持ちなんてどっかにいった。


「なに、一人でニヤけてるの」



 !?



「な、七瀬さん……」

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