第33話 憎んでない

「っ!?」


 かなり強めにあたったのと、ヒールを履いていたせいで遥夏は態勢を崩した。だから前から支えてやった。


 __あれ、胸が冷たい。


「大丈夫? 遥夏」

「なんとか。あっ……!」


 さっき遥夏が俺から取った赤ワインが、べったりシャツについていた。七瀬さんにスーツを貸しておいてよかった。スーツもシャツも、どちらも濡れるよりましだ。


「ごめんなさい。すぐに洗濯してもらわないと……」

「いいよ」

「でも」

「いいから……!」


 なんでか今は優しくされたくなかった。

 遥夏は申し訳なさそうな顔をしてくれているのに、俺はそれに応えられなくて、ずっとうつむいたままだった。


「ごめん。少し言い方キツかった」

「……憎んでないの?」

「憎むほどのことでもなくない?」


 ワインがかかったくらいで憎むって、どんだけ俺は心が狭いんだ。遥夏にわざとワインをかけられても別に憎む気にもならない。


「違う。2年前、私のせいで酷い目に遭ったでしょ。憎んでないの?」


 ああ、そういうこと。


「……馬鹿だなぁ」


 なんでか笑えてきてしまった。

 遥夏は俺が笑った顔をしているのを見て、目を見開いていた。いつもなら”馬鹿”って言ってくるけど、今は何も言わなかった。

 もうあの時とは違うことを思い知らされている気分だ。


「お客様。大丈夫ですか?」


 ウェイターが俺を心配して来てくれた。


「はい。大丈夫です」

「シャツの予備をご用意致します」

「あ、いえ。いいです」


 高級なシャツを借りるのは肝が据わらない。

 もうこのまま控室に戻って一人でいたほうが、気分が楽になりそう。


「あれ? リツさーん! って、ありゃ? 遥夏ちゃん……」

「有沙」


 そういえばこの二人は知り合いだ。姉妹みたいな関係だった。

 ちょうどいいタイミングに来てくれて助かる。


「有沙さん。俺、控室に行く」

「え?」

「じゃあ」


 二人を置いて、とぼとぼ歩きながら控室に向かった。

 スタッフに声をかけて、アンクリの控室に向かわせてもらった。部屋の中は豪華で、ていうか広かった。部屋中、赤色が主流になっている。俺は真っ赤なソファに座って、ぐったり身体の力を抜いた。


「はぁ」


 ドレスを着た遥夏は綺麗だった。いつもワインレッドのドレスを着ているイメージがなかったから、この仕事をしているおかげで見られるものだ。

 意外と話せたし、重要な話も、少しはできた。


 でも遥夏の本音がわからない。

 俺のことをなんとも思ってないって言うくせに、昔と変わらず愛称で呼んできた。俺のことを目障りだと思うなら、ワインを俺にぶっかけたってあんなに心配するわけない。それに俺の話だって真剣に聞くわけない。

 転びかけた遥夏を支えた時、どさくさに紛れて抱きしめればよかった。


【憎んでないの?】


「なんでそんなこと聞いてきたんだろ……」


ガチャッ__部屋に誰か入ってきた。


「七瀬さん?」


 黙って俺のことを見ていた。ちょっと怖い。

 こっちに来るなりソファに置いてあったクッションをもって、俺の顔にぶん投げてきた。


「ぶっ!」


 強い。

 でも七瀬さんは、まだ2つあったクッションを手に、俺の顔面に投げてきた。


「い、痛い。微妙に痛いよ。七瀬さん」


 クッションを投げ終わると、疲れたのか俺の隣に座った。


「さっき遥夏さんに聞いたら、貴方が中村律貴だってことを知っていた」


 俺はこの部屋に来る間に二人で話してたのか。


「知っていながら貴方とあんなに近い距離で話すのはおかしい。セクハラしてきた相手とあの距離で話そうなんて思わない。


……わからない。教えて。遥夏さんとどういう関係なの?」



 七瀬さんは真実に近づいてきた。

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