第32話 ヴァンルージュ

 近くにいた男性陣が、1階のデッキに視線を向けながら遥夏の話をしていた。ここは2階だ。そこの階段から下に行けるけど、一目につきそうだから行くのはやめよう。


「変態。ここでも騒ぎを起こす気?」


 七瀬さんはいつものように鋭い目つきを俺に向けた。


「ここには貴方の顔を知っている人が半分以上もいる。危険だと思わないの?」


 確かにそうだ。遥夏のことになると周りのことを忘れることがあるから、肝に銘じておかないといけない。


「そうだよね」


 チャンスだと思ったけど、今回は話すことさえ無理かな。

 俺はグラスに入ったシャンメリーを一気飲みして、そばに来たウェイターさんに渡した。


「すみません。もしかして、UnClearの青葉さんですか?」


 好青年のモデルのような人が、七瀬さんに声をかけた。たれ目が印象的でイケメンすぎる。


「僕、青葉さんの大ファンなんです。会えて光栄です」


 ここにいるのも邪魔だと思い、少し離れて手すりに手を置き、海を眺めていた。デッキでパーティとか初めてすぎて、どうすればいいのかわからない。特にお腹は空いてないから、飲み物を堪能しようと思い近くにいたウェイターさんのトレイからグラスを取った。


「はぁ」


 ため息をついた時、近くから俺と同時にため息をついた人がいた。声からして女の人だ。横を向くと、ワインレッドのドレスを着た女性が、俺と同じ態勢で海を眺めていた。


 遥夏だ。


「っ」


 今、軽く声をかけてもいいかな。この姿ならバレないよね。板橋さんは周りにいないし。


「ふぅ」


 深呼吸して彼女に近づくと、俺に気づいてこっちに身体を向けた。


「……なんでっ」


 遥夏が最初にもらした言葉からして、すぐに俺だって気づいたみたいだ。

 何から話していいかわからず挨拶だけした。


「こ、こん、にちは」

「こんにちは」


 普通に返してくれた。

 この調子で少しずつ距離を詰めた。


「今日は逃げないんだ」

「人がたくさんいるから」

「板橋さんは?」

「体調を崩して家で療養中よ」

「そっか」


 初めて遥夏から質問した。


「スーツはどこへ?」

「か、貸したんだ。さむがってる人がいたから」

「そういうところは変わってないね。なんでここにいるの?」


 連続で質問されると少し強張ったけど、遥夏はいつも通り冷静だった。だから俺も少し落ち着いて、また話し出した。


「遥夏に会うために、芸能事務所でバイトを始めたんだよ。それで今日、アンクリの護衛で招待された」

「そう。じゃあ、8月のアイドルフェスも来るのね」

「うん」


 いつもみたいに話せているけど、まだ少しだけ壁があるように感じた。


「あのさ……」

「そのウィッグ、様になってるよ」


 本題に入ろうと思って、2年前の話を切り出そうとしたら、話をさえぎられてしまった。


「2年前と変わったね。体育祭の時も、今だって」


 体育祭の時からそんなに変わったかな。


「少し成長した子犬君は、もう臆病な性格を克服したのかな」


 俺を横目に、少しだけ口角をあげてくれた。昔を思い出しながら俺を見ているように見えたからつい抱きしめたくなった。


「し、してないよ。睨まれただけで怯えて、怖くなる。でも遥夏のことを思い出すと怖くない。頑張ろうって思えるんだ」


 今なら聞ける。


「ねえ。2年前の報道は、遥夏が仕組んだものじゃないよね」


 気持ちのいい風が緩やかに吹いて、髪をなびかせた。

 遥夏はずっと黙っていて何も言ってくれなかった。だからもう一押しして突き止めてみた。


「私が仕組んだものだよ」

「っ。俺と過ごした時間が全部嘘っていうのも本当? 俺はあんなメール、遥夏が送ってきたって信じてない」


【あなたといた時間は全部嘘。あなたなんて好きでもなんでもない】


 遥夏の眉毛が、少しだけピクッと動いた。


「遥夏の口から全部聞かせて。メールじゃなくて……」

「私はリツのことなんとも思ってないよ。今までも、これからもない」


 遥夏は俺の手から優しく赤ワインの入ったグラスを奪った。


「何飲もうとしてるの。未成年君」


 辛くなってきた。

 今までも、これからもないって、そんなこと遥夏が言うかな。信じられないし、少しだけ怒りがわいてきた。

 ああ、喉が痛い。でも頑張って声を出した。


「っ。なんとも思ってないなら、その名前で呼ぶなよ」


 少しきつめに言い放つと、遥夏は悲しそうに眉を八の字にした。こんな顔するってことは、俺のことなんとも思ってないっていうのは嘘だ。



「俺は」



 言いかけた時、遥夏の後ろから駆け足で来た男性が、遥夏の肩に当たった。

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