第29話 伊草静音の7月7日

 以前と同じ、駅前にある端っこのベンチに座っていると、変装をした静音さんがやってきた。


「おはようございます。リツ君」

「おはよう、静音さん」


 静音さんは俺に願い事をした。行ってみたいところがある、と。その場所には今日、静音さんの誕生日に行くことで意味があるらしい。だから今その場所に向かっている。

 電車に揺られること10分。アンクリと俺の4人で水着を買いに行ったあの駅で降りて、静音さんについて行った。


「ここです」


 ただのパチンコ屋さんだ。

 裏道にある隠れた店でも、物珍しい店でもない。どこにでもあるパチンコ屋だ。

 静音さんは俺の腕をしっかりつかんだ。


「私の母は、ギャンブル依存症なんです」


 少し震え交じりの声で過去の話をした。


「私の両親は紅茶専門店を営んでいましたが、赤字で潰れたことが原因で借金を背負って生きることになりました。その、赤字になった理由が母なんです。

 ある日、母は友人から誘われてパチンコに行きました。その場所は母にはとても楽しく感じたようです。家事や店番を終えた後、毎日のようにここに訪れていました。

 でも、とうとう壊れた時期が来てしまったんです」


♦♢♦


 父は怒ることが嫌いな人だったので、怒鳴り声をあげませんでした。

「店の金を持ち出してまですることだったのか?」

「……ごめんなさい」

 私はただただ、俯いて謝る母を陰で見ていました。

「離婚しよう。静音が気の毒だよ。こんなこと言いたくないけど、君の影響を受けてほしくない。故郷に帰ってくれ」

 父はとても優しい人だったので、離婚という言葉を発した時は驚きました。それからは離婚届けを出して母は九州に帰りました。


♦♢♦


「両親が離婚してからもう2年が経ちますが、母は私に会いに来てくれません。父は変わった様子もありません」


 静音さんの心優しい性格はお父さんに似たんだ。

 そういえば、七瀬さんも2年前に両親を亡くしたんだ。俺も2年前に遥夏と別れたし、何かと縁があるのかな。


「このお店に行きたかったのは、大好きな母の大好きな場所だからです。でも、ゲーム関連の店を見るたびに過去を思い出して気分が悪くなるので来れませんでした。有沙や七瀬には迷惑をかけてばかりで頼みにくくて……」


 それで俺に頼んだのか。


「なんで今日じゃないと駄目なの? いつでもいいと思うけど」

「離婚した日が2年前の今日なんです。だから丁度いいんですよ」


 聞かないほうが良かった。

 静音さんはずっと俺の腕を掴んでいたけど、それだけだと守られている気がしないんじゃないかと思って手をつなぐことにした。


「り、リツ君?」

「入ろう」


 パチンコ店に入ろうとゲートをくぐった瞬間、静音さんは俺の手をおもいっきり握った。


(え、あれ、痛い。ちょっ、骨が砕ける……!)


 静音さんよりも先に俺がギブアップしそうなんだけど。

 こんなに力強かったっけ? 腕を掴まれていた時のほうがまだましだったよ。

 やっぱり静音さんには強烈なギャップがあるな。


「り、リツ君。顔色が悪いですよ」

「う、うん。大丈夫だよ。静音さん、少し肩の力抜こっか。特に握力」苦し紛れに出した声はおじさんみたいだ。


 静音さんは段々、力を抜いてくれたから安静にできた。

 店内はゲームの音で騒がしい。入るのは初めてだけど、こんなに音が大きいとは思ってもいなかった。静音さんはあたりを見回しながら様子を見ていた。


「座ってみる?」

「……少しだけ」


 座って画面と対面すると、なんとも言えないような顔をしていた。

 しばらく店内を見た後は店を出て、近くの公園に寄った。子どもが滑り台で遊んだり、ジャングルジムで遊んでいた。

 俺たちはたまたま空いていたベンチに座った。


「息が止まりそうでした」


 俺は別の意味で息が止まるかと。


「母が好きだった場所にしても、私は好きにも嫌いにもなれそうにありません。だから母に共感することはできませんね」


 静音さんは少しだけ微笑んだ。


「でも、思い出したんです。今までの私の人生を」


 今まで、というのは現在も含まれていた。


「私は、両親のおかげでこの世に生まれてきました。両親が学校に通わせてくれたおかげで有沙や七瀬と出会いました。

 そして、両親が離婚したから今のUnClearが生まれました」


 ん?


「不謹慎なことを言いますが、家族がバラバラになったから有沙と七瀬の3人でアイドル活動ができています。リツ君にも会うことができました。

 なので、悲しんでいる暇があるなら感謝しないといけません。こうやって思うことができたのはリツ君のおかげなので、リツ君にも感謝です。ありがとうございます」


「い、いいえ」満面の笑みを見せてくれて、心がほっこりした。

 でも気になることがあった。


「離婚したからアンクリが生まれたってどういうこと?」

「え? 社長や大ちゃんから聞いていないんですか?」


 静音さんは驚いたように目を見開いた。


「いや、何も。俺はただのバイトだし」

「……そう、ですよね。世間にも公開していないことなので知っていたらおかしいですね。すみません」


 ”世間にも公開していない”?


「世間にも公開してないって、どうして?」

「……詳しくは話せませんが、私達3人には共通していることがあります。それがきっかけで UnClear が誕生したんです」


 それを聞いた瞬間、絶対に静音さんは詳しく話してくれないと確信した。自分一人だけが関わっているわけではないからだ。

 有沙さんや七瀬さんに、いつも他のメンバーのことを聞くと、”自分のことじゃないから”と話してくれない。静音さんも自分の話はできるけど他の2人の話は自分のことではないから言えないと思う。

 でも今、静音さんは離婚したからアンクリが生まれたと言った。となると、もしかしたら3人の家庭事情がアンクリを生んだ可能性がある。

 七瀬さんと静音さんは2年前に家庭で何か問題があったことが共通している。有沙さんも2年前に何かあったんだ。

 それが3人をつなぎ合わせた。


__あれ、頭痛くなってきた。


「そろそろ帰りますか」

「そうだね」


 電車に乗った。以前と同じであまり人が乗っていない。

 電車に揺られながら、さっきの静音さんの言葉を思い出した。


【両親のおかげでこの世に生まれてきました】


 俺の両親も俺のことをヒモとしか思ってなかったけど、あの二人が俺を生まなければ遥夏には会えてない。今、アンクリにも会えていない。そんなこと考えもしなかった。

 静音さんのおかげで、初めて親に感謝できた。


「静音さん。誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」


「生まれてきてくれてありがとう」


 しばらく返事はこなかった。心配して静音さんを見ると、泣いていた。声を殺して、精一杯我慢して泣いていた。



「ハンカチ、どうぞ」


 

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