第8話 身の毛がよだつ

 七瀬さんは眠そうな目をうっすら開いて、俺のことを睨みつけた。この距離で睨まれると鳥肌立つな。


「訴えてやる。クズ。変態」

「ち、違います! シートベルトをしてなかったから、つけようと思って。起こすのは悪いかなって」


 信じてくれないかと思ったけど、俺がシートベルトをつけさせようとしているのを見ていたから信じてくれた。


「起こしてくれて構わない。寝起きの機嫌が悪いのは静音だけ」

「き、気をつけます」

「邪魔、どいて。自分でする」


 急いでどくと、しっかりシートベルトをしてくれた。

 またエンジンをかけて出発すると、七瀬さんは珈琲を口にした。


「ブラック、いつも飲んでるんですか?」

「貴方に関係ある?」


 うう、言葉が痛い。


「貴方が買ったものは絶対いらないって決めてるけど、珈琲は飲む。水分補給は大切だから」


 そんなこと決めてたのか、悲しい。


「甘い物でも飲めばいいのに」


 七瀬さんは急に黙り込んだから、チラッと見ると、視線を下に向けていた。俺、何かまずいこと言ったかな。

 信号が赤に変わった時、ゆっくりブレーキを踏んで一時停止した。その時に七瀬さんは口を開いた。


「貴方は、なんでいつもイチゴオレばかり飲むの」


 その質問に、頭の中が真っ白になった。

 その質問をされると思っていなかったし、それは俺にとっては地雷みたいなものだからだ。

 地雷なら飲むなよって話だけど。


「……なんでだと思いますか?」


 この質問の答えは誰にも言いたくないから、あえて考えさせることにした。

 七瀬さんは呆れたのかため息をついた。


「わからないから聞いてる」


 青信号に変わり、前の車が動き出したからブレーキを離して前進した。


「その質問するってことは、俺のこと知りたいってことですよね」

「気持ち悪いからその言い方やめてくれる?」本気で嫌な顔をされた。


 でも、こうでも言わないと話を逸らすことができない。


「もういい。忘れて」


 七瀬さんの扱い方を、少しだけ理解できたかもしれない。

 事務所に着いてみんなを起こした。静音さんは本当に寝起きの機嫌が悪くて、起こされた時不服そうだった。


「今日はありがとう~、リツさん」

「私のことを迎えに来てくれて助かりました。ありがとうございます」


 七瀬さんからお礼の言葉はなかったけどあまり気にしてない。

 俺はまだ帰らず、圭さんに挨拶だけしておこうと社長室に行くことにした。

 すると、有沙さんもついてきた。

 社長室に行くと、圭さんは疲れたようにソファに寝そべってテレビを見ていた。歌番組を見ているのか、部屋中にボーカルの声が響いている。


「え!? リツに、川端さん? ごめんね、うるさいよね」急いでテレビを消そうとしていた。

「消さなくていいですよ。挨拶しようと思ってきただけなので」

「あ! 今日の歌番組? 私も見る!」ソファに腰かけた。


 圭さんのデスクには、大量の紙が置いてあった。もしかして、全部仕事なのかな。

 一人でこなすって大変だ。


「リツ。今日の現場スタッフ仕事、どうだった?」

「あ、えっと、楽しかったっていうか、勉強になったっていうか……」


 俺がもごもごしていると、有沙さんが俺のことを褒め始めた。


「リツさん、大活躍だったんだよー。迷子になって遅刻しかけた静音ちゃんを探しに行ってくれたの。おかげで監督さんに頭下げなくて済んだんだ~。あと、有沙の飲み物を買って来てくれたの!」


 子供のように無邪気に話す有沙さんを、圭さんは優しい笑顔で聞いていた。

 まるで親と子だ。


「うんうん。本当に大活躍だね。よかった。次はライブのスタッフ仕事だよ」

「頑張ります」


 今日は仕事と言っても何もしてない。

 ただ見ていただけだから、ライブのスタッフはしっかり仕事をしよう。


「僕、まだ仕事あるからさ。もう帰りなよ」

「えー。テレビ見たい」

「えー。10分だけね」

「わーい」


 この二人の波長は合うなぁ。


「あ、遥夏ちゃんが出てる~!」


 ”遥夏”

 

 その名前にすぐ反応してテレビに目を向けると、衣装を着てマイクを両手に持った遥夏が映っていた。

 今日も歌番組にでてるんだ。先月も映ってなかったっけ。


「可愛い~! 有沙も遥夏ちゃんみたいになりたくて、前髪の分け目、同じにしたんだよ」


 確かに、こっちから見て前髪を右に流している。有沙さんは巻いているけど。


「リツ」心配した顔で俺を見た。


 俺はそれに対して、笑顔で返した。

 遥夏を見るだけであの報道を思い出すけど、別に辛くはない。


『あなたといた時間は全部嘘。あなたなんて好きでもなんでもない』


 もしあのメールが本当に遥夏の送ったものだとしたら、見るに堪えないくらい辛いけど。

 遥夏の曲が終わると、有沙さんは飽きたようにソファから立ち上がった。


「有沙、もう帰るね。パパとママ、待ってるから」

「気をつけて。お父さんによろしく伝えておいてほしい」

「はーい」


 社長室をでて、二人で階段を降りる。

 有沙さんの父さんと圭さんは知り合いなのか。それなら、立花と有沙さんも繋がりがあるのかな。


「明日、学校遅刻しないといいな~。あ、リツさんがモーニングコールしてくれればいいんじゃない?」

「連絡先もってないですよ」

「もてばいいよ。教えてあげる。はい、これ。名刺」

「いいんですか? 俺、一般人ですよ」

「でも遥夏ちゃんと連絡とってたじゃなーい?」

「それは色々あって……、え?」


 耳を疑った。

 今、なんて言った?

 なんでそのこと知ってるんだ。

 恐る恐る有沙さんを見ると、笑っていなかった。


「ね、律貴さん?」


 いつもの穏やかな有沙さんとは別人のような声の低さだった。



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