第6話 急がば回るな
俺は仕事が終わった後、いつも遥夏との写真を眺めてから、鞄に丁寧にしまってこの部屋をでる。
日課のようなものだ。でも、今日鞄の中から取り出そうとしたら、二度目の思わぬことが起きた。一度目は七瀬さんの顔バレしたこと。
「……ない」
二度目は今、遥夏と撮った写真をなくしたこと。
どこに落としたのか、心当たりはあった。昨日のバイト帰りに、圭さんにある用事を頼まれた後のことだ。
「リツ~。帰り際に、ライブの宣伝ポスターを大ちゃんに渡しといて」
ここまではいい。その後、アンクリの休憩室に行く途中、曲がり角で、走っていた有沙さんとぶつかった。
「わっ!?」
この時に鞄を落として、盛大に中身が廊下に散らばった。
「ごめんなさーい!」
「あ、有沙さん。大丈夫ですよ。怪我無いですか?」
「ないよぉ、ありがとう。私が拾う……」
「急ぎなら行ってください。俺一人で拾えます」
「やだやだぁ、やるよー……」
半泣きで俺の荷物を拾ってくれた。
その時、丁度よく大智さんが来た。
「何してんだ?」
「私がぶつかっちゃったの~……」
「廊下は走るなよ。リツ、もう上がりか?」
「はい。あ、このポスター、圭さんからです」
「さんきゅー。仕事は慣れたか?」
「おかげさまで」
「来月のライブは初の現場スタッフだ。頑張ろうぜ!」
「が、頑張ります!」
「で、有沙。しっかり片したか?」
大智さんと話している間に、有沙さんが俺の荷物を綺麗に片してくれた。それで帰ったんだ。
もしかしたらあの時、ぶつかった場所に落ちているかもしれない。けど、落とし物を管理してる人に聞いたほうが早いから、警備室に行こう。
「昨日の落とし物は、この手作りの犬だけですね」
「えっ」
ボックスに、誰かが刺繍したとされる簡単につくれそうな可愛い犬が入っていた。
ていうか、ここに写真がないってことは、どこにあるんだ?
まさか有沙さんが間違えて持ち帰ったりはしないよな。いや、あのふわふわな有沙さんなら十分にありえるかも。
「はぁ」
とにかく、急いで探さないと。
誰かに見つかったら、ここの事務所を出禁になってしまう。
「リツ君?」
「あ、静音さん」
これから練習なのか、静音さんは私服だった。少し派手めなトップスに黒のパンツは色合いがいい。
「今日は勤務日ではないですよね。どうされたんですか?」
「探し物をしていたんですけど、ここになかったのでもう帰ります」
「お気をつけて」
「静音さんも」
いくら探しても、写真は出てこなかった。
写真が消えてから2週間が経つと、現場スタッフの仕事が回ってきた。今日はアパレル撮影をするため、少し距離のある新宿スタジオに移動する。新宿と言っても、新宿三丁目駅から行ったほうが早い。
俺は大学から直接そのスタジオに向かうから、すぐに最寄りの駅に向かった。パスモを通してホームまで行くと、スタジオまでの行き方を調べる。
「よしっ、大丈夫そうだ」
余裕で間に合う。
一息つくと、向こうのホームに見覚えのある人が立っていた。
「……静音さん?」
マスクをして、深く黒い帽子をかぶっているけど、あの私服は昨日見た。同じ服で間違いない。
でも、ここにいるわけないよな。大智さんと車で移動しているはずだし。それに向こうのホームは横浜方面だから新宿三丁目には止まらない。
「……たまたまか」
来た電車に乗って、新宿三丁目駅まで席に座って待った。その間、ホームで見た静音さんらしき人が気になって仕方がなかった。
新宿スタジオに着くと、外に黒い車が停まっていた。俺が近づくと、中から大智さんが出てきて、俺を車の中に入れてくれた。
「こ、こんにちは」
「大学お疲れ~」
後部座席に有沙さんと七瀬さんが座っていた。
相変わらず七瀬さんは俺のことを無視している。
「人が減ってきたら中に入る。ところでリツ、行きに静音を見なかったか?」
「え? ……似ている人は見かけました。反対方面のホームにいたので違う人かなって」
「服装は?」
「昨日と同じ服着てました」
俺以外の全員がため息をついた。
「おい、あいつを一人で行かせても大丈夫だって言ったやつ誰だ」
大智さんは苦笑いで呆れていた。
「有沙たちじゃないよー。しずちゃんが自分で大丈夫って。ね、ななちゃん」
「私はやめといたほうがいいって言った。でも有沙が、大丈夫でしょって念押ししてた」
「念押しすんな! あー、くそ。あいつ電話でねぇし。あと1時間しかないのに、見つかるか?」
「いつもは探すのに1時間以上かかる。今回もそうだったら間に合わない」
有沙さんは異様に落ち着いていて、七瀬さんは少しだけ焦っているように見えた。
「今日は大事なアパレル撮影だぞ。せっかく高貴なファッションブランド様とコラボしてもらえたのに、遅刻とか許されないぞ」
「お、俺!」
声をあげると、全員が俺に視線を向けた。
「俺が、探しに行ってきます!」
「リツ……」
「静音さんを見かけたのに声をかけなかった俺にも責任があります。だ、だから、俺に行かせてください」
これを言うだけで汗をかきそうになった。
しばらく沈黙が続いた。
最初に口を開いたのは七瀬さんだ。
「お願い」
驚いて七瀬さんを見ると、いつもと変わらない涼しげな瞳の奥に、熱い思いがこめられている気がした。
「リツ、頼んだ! 俺は駅前に車を止めて待ってるから、1時間以内に見つけてきてくれ」
「はい! 行ってきます!」
「いってらっしゃ~い!」
駅まで全速力で走った。
有沙さんによると、位置情報を見たら自由が丘駅のホームを彷徨っているみたいだった。ここからだとどのくらいかかるのかわからないけど、1時間以内には戻れそうだ。
特急電車に乗って自由が丘駅まで行く。ホーム内を走り回って静音さんを探していると、駅員さんと二人で話しているところを見つけて声をかけた。
「静音さん!」
「へ? り、リツ君!?」
「行きましょう」静音さんの腕をつかむ。
もうすぐ出発しそうだった特急電車に乗り込んだ後、すぐ大智さんにメールを送った。
「はぁ、はぁ」
「あ、ごめんなさい。息切れしました? 急に腕もつかんじゃって……」
「い、いえ。よかったです。私、方向音痴なんですけど、新宿はよく行く場所だから、大丈夫と思って……、油断していました……」
しっかりしているように見えるのに方向音痴なのか。
これもギャップってやつか。
「思っていたよりも早く見つかってよかったです。これなら間に合います」
新宿三丁目駅に着いて急いで駅をでると、大智さんの車が止まっていた。急いで後部座席に乗って、数分車に揺られている間、汗を拭いていた。
七瀬さんと有沙さんはもうスタジオにいるみたいだ。
「はぁ。大ちゃん、ごめんなさい」
「次、単独行動したらまじで許さない」
「肝に銘じます……」
「ん! よろしい!」
いつもと変わらない様子で安心した。
顔の汗を拭いている静音さんを見ると、ハンカチでおさえていないほうの額から汗が垂れていたから、俺のハンカチをあててあげた。
静音さんは驚いたように目を見開いて俺を見る。
「使って。水もあるよ」
「あ、ありがとうございます」
心なしか、静音さんの頬はほんのり赤くなっているように見えた。
「着いたぞ! 静音! 急げ! あと10分!」
「はい!」
俺たちは急いでスタジオの中に入った。
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