三〇話 奴隷、仇と対面する
「よろしければお飲みくださいませ――パルタ元王子」
城の客室で、俺とクラッスは対面していた。
昨夜、闇市場の重要参考人として捕縛された俺たち。他のみんなから引き離され、俺だけが一人牢屋に入れられたかと思えば、今日になるとここまで連れてこられた。
部屋の左右には召使いや騎士たちがズラリと並んでいる。
かつてと同じ光景のはずなのに、立場が変わっただけでここまで居心地が悪くなるとはな。
それほど俺が王子としての自覚が失くしたということかもしれないが。
「貴方の好物であるミルクたっぷりの紅茶ですよ」
「いらん」
「ほう。余が用意させた茶が飲めないと?」
「話があるから呼ばれたと聞いた。それ以外のことをするのならば、牢に帰らせてもらう」
本当は別にそんな強情を張って拒否してるわけでない。
単純に、この茶に毒かなにか仕込まれてないかを警戒しているだけだ。
度重なる拒絶を聞いて、クラッスは従者たちに目配せする。
「お前たち下がりなさい」
「えっ? よ、よろしいのですか?」
「王の命令です」
「……はっ! 分かりました!」
最初は戸惑っていた従者たちも、その言葉ですぐに部屋から出ていった。
……シーン
俺とクラッスは二人きりになった。
スッ、とクラッスは紅茶に口を付ける。
「貴方は本当にお変わりになられた」
「そりゃ一年ぶりに会えば大きくもなる」
「外見だけのことじゃありません。以前の貴方ならば、きっとなんの違和感も抱かずに茶を飲み干していたでしょう。それが注意するばかりか、警戒していることを正面から伝えないようまでになるなんて」
「なんだ? 褒めたりでもしてくれるのか?」
「……」
クラッスはそれ以上は、なにも答えなかった。
カチャ
紅茶を飲み干したクラッスは席から立ち上がって、窓に寄りかかった。外では、兵士たちが訓練をしている光景が広がっていた。
「パルタ様。貴方のお仲間は無事ですよ。別の牢屋で拘束はしておりますが、決してまだ傷つけておりませぬ」
「問答無用で俺の家族の命を奪った男にして、随分と手厚いなクラッス」
「えぇ。余はこのロマニスタの王なので」
嫌味をさらりと受け流された。
まあでも、あいつらがなにもされてないのならそれはよかった。
安否を伝えられて一安心する。
「それでなんだ聞きたいことって? 悪いが、俺がおまえより知ってることはひとつもないと思うぞ」
王子とはいえ、俺は父からなにも伝えられない。
だいたい解放されたこの
その点、クラッスは政治でも戦でも中心にいて今では王にさえなってるのだから、むしろこの国のことを一番知っている人物とみた。
俺の言葉が耳に入ると、クラッスは振り返って俺のほうを見る。
「そのことについてなのですが、まずパルタ様が聞きたいことを先に余へ質問してください」
「はっ? なんで?」
「何もなければ結構です。ですが、パルタ様こそ余に尋ねたいことは山ほどあるのではないでしょうか?」
意外な返答に、俺は困惑する。
そりゃこいつの言う通り聞きたいことは大量にあるのだが、だからといって俺から先に問いかけさせるとはどういう風の吹き回しだ?
分からない。いくら考えても、クラッスの意図がが読めない。
だけど分からなくても、知るのならばこの機会しかないと思えた。
俺は胸に溜まっていたモヤモヤを吐き出す。
「本当におまえに言いたいことは沢山ある」
「存じております」
「だけどまず最初にこれだけは教えてもらいたい……
「はい。その通りです」
あまりになんともなしな肯定に、一瞬、俺は自分が考えていた答えと一致したはずなのに信じられなかった。
しかもクラッスの様子はまったく悪びれていなかった。
「……だとしたら、目的は
「はい。しかし、そこまで理解されていたとは」
「だってあまりにも、おまえに都合が良すぎるだろ。悪党を懲らしめにいったら、偶然、島流しにしたはずの元王子がそこにいただと? 馬鹿も休み休み言え。だいたいよく考えたら、俺がここに戻ってきたのもあの暗殺者がわざわざ書置きなんて残したからだ」
本気でさらう気だったなら、いくら戦いに負けたからって俺に教える必要なんてない。
今思えば、かなり露骨な誘導だったがまんまと引っかかってしまった。
クラッスは、しめしめと言った顔で微笑む。
「えぇ。貴方と懇意にしていたシャフローゼの令嬢を人質にとれば、きっとお人よしの貴方は彼女を助けにきてくれるだろうと考えていました」
「だが、それをするにはそもそも俺が生きているという情報が必要だ? いつどこで知った?」
「海軍から謎の船が空を飛んで逃走中という話を聞いた時に、これはもしやと思いまして」
「嘘だろ?」
それっぽっちのことで、人質まで遣って死んでる可能性のほうが高かった俺を見つけ出そうとしたのか?
そもそも俺が船に乗っているなんて憶測にしても根拠がなさ過ぎる。
「実は少し前、貴方がどうしているのか無人島に使いの者を送って調べさせまして。そしたらなんと、島ごとなくなっているという話ではないですか。死体もなかったため、万が一の可能性を考慮いたしましてね。そうしたら、まさか本当に生きていたとは。あの箱入り王子が、従者も食料もない状態でよくぞ一年以上、いや脱出しているなんて」
「おまえに今さら言われても、褒められている気はこれっぽっちもしないな……」
……昔だったら、どうだっただろうか?
そんな思考が脳裏をよぎる。
クラッスは元帥として意欲的に働き、父によく貢献してくれた。俺にも稽古をつけてくれて、地位以上に親しい人間関係を築けているとあの血塗られた日までは思っていた。
俺はふと尋ねたくなった。
「なあクラッス。なんでおまえはあんなにも強さにこだわったんだ?」
「……」
父たちを殺した理由……それは俺たちが弱かったから。
弱い者には従いたくないと言って、クラッスは俺を部下に拘束させて【奴隷】に堕とした。
カタッ
クラッスはまた窓のほうを見た。その目線は庭ではなく、空を超えて遥か遠くの場所を見ているようだった。
なぜだろう?
俺はあいつのそんな背中を見ていると、
ゾクリ
冷や汗をかいて、息を呑んでしまうのは。
「そのことについてなのですが、実はその言葉は建前なのです」
「なんだとっ?」
「嘘ではありません。ですがもっと根本的な話をしますと……余は怖いのです……」
クラッスは俺のことを全く視界に入れていない。
なのに、俺はやつから発されるなにかに全身を握られているようだった。
訊かれずとも、俺からあの日全てを奪った男は自分から答えてくれた。
「――死ぬのが怖い」
快晴だった空が暗雲に包まれる。
日の光で暖まった部屋が、急速に冷えていく。
やつの気にあてられて沈黙する俺。
誰もなにも言わなくなった部屋で、クラッスはひとり話しだす。
「『余』は『死にたくない』のです」
「……それが父と母と姉君を殺した件となんの繋がりがある?」
「もしもの可能性です」
「……」
「もし貴方の父である前王が、何か気がふれてしまったら? もし余に反乱の気があると勘違いされたら? もし本当は国王が余をなぜか憎いのなら?」
もし
もし
もし
次々に自分が殺されていく可能性をあげるクラッス。父の性格を考えなくても、もはや妄想の類だとまでいえる考えを投げかけてくる。
「もしそんなことがあったらと思うと、余は忠誠を誓っていた王を殺すしかなかった。ならば次は余を恨み、権力を持つであろう貴方たち家族を狙うしかなかった」
「……じゃあマリィベルを人質にしてまで俺を連れてきたのも?」
「もし貴方が生きていたら、たとえ貴方にその気が無くとも周囲は正当後継者ではない余を引きずり下ろして王にしたがるでしょう」
「……」
「元王子の対処を終えたら、余は次は三国に戦争を仕掛けます」
「なにっ?」
「あれほどこの世界の頂点だと思っていた玉座が、いざ座ってみると実に頼りない。結局は他国では、余と同等の存在である王がいるのです。彼らに殺されたくなければ、先に余がやつらを殺さないといけない。そうしなければ、不安で胸が張り裂けそうなのです。死にたくないなら、万が一、いや奥が一まで考えて日々を過ごさなければ!」
よく見れば、滴が零れるほど汗をかいているクラッス。
その心底から怯えて周囲いやこの世の全てを警戒する姿が、彼の本性なのだ。
本当に父上がただ怖くて、自分の命が奪われる前に先に刃を刺したのだ。
あまりにも馬鹿げている……
もしも普通の人間だったら、きっと怒り狂っていたはずだ。
なのに。
あまりにもやつは狂っているはずなのに。
「分かるよ」
「はっ?」
理解を示した俺に驚いて、クラッスは足を止めて呆けた表情を晒す。
だがすぐに、その顔は怒りに染まる。
「生まれた時からこんな城で育てられ、全てに恵まれた貴様に何が分かるだ!?」
「俺はおまえを理解したが、おまえに俺を理解してもらう必要はないから説明はしないさ」
「何だとぉ!?」
「だけど、ひとつこれだけは言っておきたい」
俺はティーカップを見下ろした。
「――俺もおまえも王には向いてない。そんな器量はどこにもない」
ギリッ
クラッスは眉間に青筋を立てて睨みつけてくる。
「今なんと言った? それを口にするとは、どういう意味だか分かっているのか?」
「クラッス。俺もおまえも自分のことしか考えてない。自分が生きるためだったら、他人なんていくらでも犠牲にする。そんなやつが、一国の王なんてやれるかよ」
ようやく分かった。
なぜこんなにも優れた父上が力を手放した理由が。
「
「――」
「上っ面で響きのいい言葉だけを唱えるだけじゃなく行動で自らの方針を示した! 自分のことでいっぱいいっぱいの俺たちにそんなことできるかよ! 俺たちふたりとも父上の足元にも及んでいないんだ!」
貴様が王道を歩んでいったとしても、その後ろにいるのは幸せを享受する民ではなく、切り捨てられていった屍の山だ。そんなものは決して国とは呼ばない。国がなければ、その頂点はどれだけ優れていようが王ではない。
荒野に生きるただの孤独な獣だ。
「……遺言はそれだけか」
言うやいなや、クラッスは剣の柄に手をかけた。
充分に力を入れているようで、必要ないところは脱力している。
昔の俺だったら分からない戦士としての技量が所作で伝わってくる。
「俺に聞きたいことがあるんじゃなかったか?」
「カップの縁に塗られた毒に手を付けなかった今の貴方ならば平気で嘘を吐く。罠を貼るのか時間を稼いで援軍を待つか」
「飲んでも飲まなくても殺すつもりだったのかよ」
上等だよ。
俺もおまえがどう接してきても、その面思いっきり殴ってやるつもりだった。俺の頭に、二度と忘れないであろう一年前に見たこの男のステータスが思い浮かぶ。
クラッス・リキニウス
職業:【
LV:999/999
能力:HP-3000万7472
MP-9882
攻撃-2310万
防御-1037万6256
速さ-535万894
魔力-3410
器用-1644万7932
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