二〇話 奴隷、アリーとの最後の夜を過ごす
「ふんふ~ん~♪」
俺の隣で、アリーが鼻歌を歌っている。
「ご機嫌だな」
「当然じゃない。あのバルバロイから見事に逃げおおせたんだもの。こんなの一生の語り草よ」
毎度のことながら、俺と一緒じゃない時は船のどこにいるのやら正確に情報を把握しているアリー。
気分の良い彼女は俺へ嬉しそうに話しかけてくる。
「少年。今日はなんでも答えてあげるから、好きに質問なさい」
「じゃあアリーは昼間どうしてるんだい?」
「船員として仕事よ」
「姿を一切見かけないけど」
「特別な仕事を賜っているの」
「特別な仕事って?」
「それを教えちゃ、特別は特別じゃなくなるわよ」
「結局、答えてくれないじゃないか」
またはぐらかされた。
とはいえ問い詰めても一向に教えてくれないのは分かっているためこれ以上は言及のしようがなかった。
口を紡ぐ俺に、アリーはウインク♡した。
「うふふ。ごめんなさい」
「なんでも答えるって言ったのに」
「お姉さんにできることならってことで」
「じゃあなんでこの船は人魚みたいな例外を除いて、魔物に襲われないんだ? 俺がイカダで無人島を脱出しようとした時には、すぐに発見されて丸太ごと食われたのに」
「それについてはは
「つまり船があるってこと自体が認識されてないということか」
「そういうこと。すぐ分かるなんて、ほんとススクは賢いわね」
「ありがとう。じゃあついでにもうひとつ聞くけどいいか?」
「夜は長いわ。いくらでも質問してちょうだい」
「キャプテン・ウィリアムの隠された宝とはいったいなんなんだ?」
なぜ食料が尽きても、なぜ海軍に発見されそうになっても。
なぜそこまでの苦労をしてまで、ウィリアムのお宝というのを求めるか知りたかった。
よほど豪華な宝なのか? だとしたらいったい、それはなんなのか?
俺が尋ねると、アリーはクスリと微笑んだ。
「少年も欲しくなったの? キッドの宝が」
「最初に言っただろ。俺たちは港まで届けてもらえばいいと」
「でもそれなら、今日、わたしたちをわざわざ助けず海軍に引き渡して保護してもらったらよかったじゃない?」
「それは……」
俺が本当に無実の一般人ならその選択肢もあった。
しかし俺はかつての王族の末裔で、国を追われた身。捕まったら、今度は島流しなんて万に一つの可能性がある中途半端な処刑方法ではなく、確実に殺される。
そんなのは嫌だ。俺はまだ生きたい。
「事情があるのね」
「うぐっ」
「これまで何度も話した仲じゃない。はっきりとなにがあるのかは知らないけど、あなたも秘密を抱えているくらいは分かるわ」
「ごめん」
「謝ることじゃないわよ。言いたくないことなら言わなくていい。だって海は自由な場所だもの」
「自由。か」
船の上で生活していると、その言葉の意味が説明されなくても感じ取れた。
周囲になにもない広い海では、俺たちがどこに行こうと止めるものはない。ここでは誰かに事前に連絡することや金を払って門を開いてもらうなんて余計な手間はいらずどこまでも自分たちの意志で進める。
船の規律というものはあるが、それは航海を効率的にするためのもので誰かに気を遣ったり権利を主張されて止まる必要なんてない。
「わたしは、自由を求めて海に出たの」
アリーはスッと手を伸ばしてきた。それは以前に見た踊りの合図。彼女の手を取ると、俺たちは身を寄せ合いながら船内のあちこちを回る。
「家にいても、なにもすることがなかった。定職につかず借金まみれの飲んだくれの父に気に入らないと好き勝手殴られ、同じく父に虐げられていた母も父がいなくなると今度はわたしに腹いせの暴力をぶつけてきた。それでも子供の身じゃどこにも行けず、靴磨きで小銭を稼いだらあの家に戻るしかなかった」
「学校には行かなかったのか?」
「学校? そんなの貴族の話よ。それでも庶民なら親の仕事を手伝って、やがて家業を継いで好きな女の子と結婚して欲しい物を頑張れば買える。でも貧民は、なにもできないわ。ただ死ぬのを待つしかないまるで捨てられて腐っていくゴミみたいな日々」
「……」
「だからわたしは、十三の時に家を出た。力がまだ無くてそこからも苦しい時が続いたけど、それでも親の庇護というものが最初からなかったわたしには変わらない、いえ、あいつらがいなかった分むしろ幸せだったわ」
「すまない」
「別に、少年が謝ることなんてなにもないわよ。わたしは自分で選んで、自分の力でここまでやってきたの。後悔なんてなにひとつない」
アリーは月へ目線をやった。今日の月は蒼かった。
「きっとキッドもそうよ」
「えっ?」
「大海賊と恐れられていたにも関わず、
「へぇー」
「わたしも彼と同じく、宝を手に入れることだけが目的じゃない。新たな冒険を、自由を感じたくて船を動かしている」
「そうか……」
「……」
なにがきっかけなのか分からないが、初めて身の上話を語ってくれたアリー。話し終えた彼女の表情は、環境に対する怒りも数々の苦難を乗り越えてきた自慢もなく、ただ諦めたような哀しいものだった。
それからアリーは、しばらく踊りに集中した。
俺もそれに付き合う。
「でも今日はいいのか? こんなに緩くて」
「ええ。いいわよ」
「でもきみは、もっと早くて激しいのが好きなんじゃ」
「……いいのよ。もうすぐいなくなるあなたを、長く感じていたいから」
ウィリアムのお宝を発見すれば、最初の取引の条件に従って俺たちは補給地で船から降りる。
本音を言わせてもらうと、もうこんな船にはいたくない。
俺の前では略奪をさせなかったが、船員たちも所詮は海賊。自分たちの欲望のかぎり悪行を積み重ねるつもりだった。
だからここから去ることは望み通りだ。
だけど、俺の中にはこのままアリーと別れたくない気持ちがあった。
さっきの話を聞くかぎり、ちゃんと与えるものさえ与えれば泥棒なんてしないはずだ。
勝手な妄想かもしれない。
だけど俺は一縷の希望に賭けたくなった。
「なあアリー」
「なぁに? 王子様?」
「海賊をやめて、俺と一緒に来ないか?」
「駄目よ」
スッ、とアリーは俺の手を離した。
「ここが――バーソロミュ号こそがわたしの船。わたしの家であり墓場。その最期はろくでもないものかもしれない。けどわたしの命は、この船と一緒に海底まで落ちていく」
「そこをなんとか」
「駄目って言ったら駄目。しつこい男は嫌われるわよ」
アリーはいつものように魅力的な笑みを浮かべた。
残念だが、楽しい思い出で終わるならそれはそれでいい。俺自身これからなにをするかも決めてないのだから、そんな強引に誘うものでもない。
明日ようやく目的地に到着する。
おそらく今夜が彼女と会える最後の日かもしれない。
俺は今生の別れを告げようとする。
「――!」
船の外を見ていたアリーはいきなり目をギョッとさせて、今まで見たことない表情になる。
「えっ? えっ? なんで? なんで?」
「なにかあったか?」
「太陽が、夜が明けようと」
アリーと同じ方向へ目をやると、薄っすら水平線が輝いていた。
「本当だ。もうすぐ朝になる」
「……そうか……東に向かっていたから夜明けが少しずつ早まって……きゃっ」
おっと。
アリーは俺を引っ張ったかと思うと、背中に慌てて隠れる。
「早く船内に!」
「わ、分かった」
「駄目だ。時間がきたら室内でも変わらないんだ。ならそれなら太陽を浴びても。いいや余計なことを考えてる時間はない」
「どうしたんだアリー?」
豹変したかのように様子が乱れたアリー。
俺の心配すら気にせず、必死に俺に隠れて移動する。
「早くして!」
「うん」
「うわぁあああ!」
「どうした!?」
叫び声に反応して俺は振り返る。
振り返ってしまった。
「「……」」
アリーの服を身に纏ったブラックハートが俺の背後に立っていた。
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