十八話 奴隷、人魚と出会う
「こんばんは王子様。待った?」
甲板上での夜。
もはや見慣れた謎の女アリーが今日も現れた。
「あのな。いつもそのデートみたいな台詞を最初に言うけど、俺たちは別に恋人同士ってわけじゃないんだぞ」
「つれないわね~。何度も夜を共に過ごした仲じゃない?」
「誤解を生みそうな表現はやめろ」
「うふふ。別にわたしはいいわよ」
いつも通り会話のペースを掴まれて、彼女の掌の上で転がされているようだ。
こんな感じにアリーと会話をするのも自分にとっていつもの風景となってきた。
俺は最初に彼女に言われた通り、酔い覚ましに星を眺めている。
「……」
「わたしも混ぜて」
アリーは肩が触れそうなほど近く隣に並ぶ。そして一緒にフリージアを見始める。
「いつも見てるけど、少年はあの星が好きなの?」
「ああ」
「わたしは月が好きよ」
だから最初、勧めてきたのか。
せっかくなので月も探すが、今日は雲に隠れていた。そのことを知るとアリーは残念そうにする。
「じゃあ今日は少年とあの星を見ていましょうか……?」
「どうした?」
「少年、あの星赤いわね」
「そうだな。綺麗な赤だ」
「わたしの眼と同じ色ね」
「まあ……うん」
「少年少年。じゃあお姉さんの眼はどうかな? 美しい? かわいい?」
「危ないから登るなって」
アリーは手すりの上に乗ってまで俺と目を合せようとしてくる。
俺は反対側に顔を背ける。
「心配ならこっちを見てほしいな」
「やだ」
「うわ~落ちる~」
「おいっ! 大丈夫か!?」
「えへへ。やっぱり振り返ってくれた。少年は優しいな」
まさに茶番。そんなあからさまな演技を演技だと見抜いていたが、それでも万が一を考えて助けにいかざるをおえなかった。
俺は少し怒って注意する。
「あのな。冗談でも命に関わることは駄目だ」
「むっ。堅物な意見」
「駄目なものは駄目だ。少なくとも俺の前ではしないでくれ」
「分かったわ。少年ともう話せなくなるのは嫌だもの……で、どう?」
「どうって?」
「もー鈍感。わざとやってるの?」
「綺麗だよ」
「……本当?」
「本当」
まぎれもない本心。アリーの二つの赤目は、フリージアの輝きに勝らずとも劣らずだった。
しかしそれはまったく同種という意味ではない。
フリージアは輝かしいまさに光のような神々しさなら、アリーのそれらは静かでまるで青々しい森や湖のような澄んだ自然のごとき美しさ。
まさしくその印象は最初に出会った時と同じあの月のような――
アリーの後方で雲が動いていくのを視界に端に捉えた俺は叫んだ。
「魔月だ!」
「えっ?」
真紅の月がその姿を空に現した。
魔月はただ珍しいだけの色じゃない。その輝きは魔物たちの生命力を増幅させ、狂気に充ちさせる。
「この船は大丈夫なのか?」
「平気なはず……海棲の魔物には船は襲われないから」
「そうなのか?」
俺にはよく分からないが、アリーが嘘を吐いてるという様子もない。
だが半信半疑といった態度に一抹の不安を覚える。
俺は警戒して周囲を探ると、遠くの岩に影があるのを発見した。アリーにそれを教えた途端、彼女の表情は一瞬で警戒に全て染まる。
~♪
そして魚の尾を持つ人影は、美しい音色を奏でた。
「あいつは
「魔物なのか。てっきり亜人の女かと」
人型に油断している俺に、アリーは緊迫した表情で語る。
「海でもっとも恐ろしい魔物の一体。その歌声は波の流れを変え、近くを通った船を沈ませる」
ススス
船は静かに進路を変えた。その先には、巨大な船の残骸が見えた。
「あんなのに当たったら沈没しちまう。海賊たちを起こさないと」
「無理。間に合わない」
「じゃあどうすれば!?」
駄目もとでやはり起こしにいくべきか。
俺は動こうとしたが、アリーが一足早く舵へ向かった。彼女の表情はとても必死で、横から言葉を挟めそうにない。
……いやアリーの言葉を信じるべきだ。
俺は新たな選択肢を思いつく。
「少年手伝って」
「船はアリーに任せる!」
「えっ?」
「俺は先に人魚を仕留める!」
ザバーン!
海へダイブした後、俺は全力で泳ぐ。障害物は無し、後は道のない海ならば真っすぐ進むのみ。
ズガガガガ
荒地の戦車のような音を連続で立てながら、海面を切り開いていく。その勢いは通常の人間が走る速度よりも大幅に早く、バーソロミュ号が沈没する前に人魚の元へ辿り着いた。
「おい。歌うのを今すぐやめろ! さもないと」
「キシャアアア」
「うぐっ」
美しい女を想像させる後ろ姿からはかけ離れた魚の顔面だった。
化鳥音を鳴らしながら、その牙で襲いかかってくる。
「くっ」
噛まれながらも牙ごと腕を引っこ抜いて、歌を中断させる。
「ウギャァアア」
「はあ……はあ……よし。これで船も助かった」
俺は船の様子を確認する。
「なに?」
しかしなんと船は進路を変えず、アリーは船上で慌てていた。
どういうことだ?と人魚のほうへ顔を向け直すと、
~♪
百を超える人魚たちが合唱していた。
「群れだと!?」
「うそ? 加速してる」
波の勢いは高まるばかり。徐々に円軌道を描き始めると、バーソロミュ号は渦潮に巻き込まれた。ぶつかるはずだった巨大船は抵抗する間もなく海へ飲まれていく。
「クソがクソがクソが! 間に合わない! 」
ゴッゴッゴッ
《人魚を倒した》
《レベルが11上昇します》
《人魚を倒した》
《レベルが7上昇します》
《人魚を倒した》
《レベルが3上昇します》
レベルが上がろうが、絶対に船が渦潮に沈んでいくほうが早い。俺はいっそ船に戻るべきかと考えたが、その直前にアリーが神妙な雰囲気を纏いながら船首に立つ光景が目に入った。
アリーはいったいなにをする気だ?
愛をその胸に秘めさせ~♪
なんということかアリーは歌い始めた。
題名は知らない。ただ海賊の唄その二番だ。
女は男を見送る♪ 二度と戻らない男の背を見届けて~♪
「……」
不思議な現象が起こった。
人魚たちは合唱をやめた。
まるでアリーの歌に聞き入っているかともいうようにさっきまでとは打って変わって静寂に包まれて、耳を澄ませている。
あなたとの日々を忘れはしない~♪
キシャァ~♪
人魚たちもアリーに合わせて歌い始めた。
そうなると、だんだん波は収まっていき、今度は目的地へと船が向かっていく。
ズパーン
「帰ってきたのね!」
「ああ。でも、これはどういうことだ?」
しばらく様子を見て船に戻ってきたが、もう異常はない。
人魚たちもまるで見送るように普通の歌を奏でている。
俺の姿を見つけた途端、アリーは駆け寄って抱きしめてきた。
「あなたのおかげよ」
「えっ?」
「人魚に狙われた船は必ず沈没する。でも船乗りの古い言い伝えで、たったひとりだけ生き延びた人間がいたの。その人は音楽家で、美しい音楽を人魚に聞かせたら今度はボートを島まで送ってくれたらしいの。みんな本当のことだと信じてなくて、わたしも同じ気持ちだったんだけどこれしか方法がないから頼っただけなんだけど」
「そうなのか。でもそれ別に俺のおかげじゃ」
「少年が、いい歌だって褒めてくれたから。だからわたし歌えたの」
むぎゅっ
アリーは涙ぐみながらいっそう強く俺を引き寄せた。
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