十六話 奴隷、幽霊と再会する


「「うおっ」」


 夜に甲板にいると、予想外の人物と顔を合わせて驚く。

 向こうもそうだったのか、同時に声があがった。


「……こんな時間になにをしてる坊主」

「少し気になることがあってね船長」


 俺の前にいるのはブラックハート。酒ビン片手にしているわりに、随分と不機嫌そうな顔つきだ。


「ちっ。てめえはぼくの部下じゃねえんだ。船長なんて呼ぶな」

「分かったよ。俺としても賊の呼び方なんてなんでもいい」

「なら結構……ところで坊主、さっきも聞いたがいったいここでなにをしてる? ここはぼくの船だぞ。余計なことしたら、たたじゃおかない」

「別になにもする気はない。部屋だと船酔いして眠れないから、落ち着くまで外にいるだけだ」


 嘘は言っていない。これはこれで本当だ。

 だが少し欠けていて、目的の比重としてはそちらのほうがあった。


 一応納得してくれたのか、眼帯があるほうの横顔を見せながらブラックハートは踵を返す。


「そうか」

「おい海賊。じゃああんたはどうなんだ?」

「あっ?」

「一方的に訊かれただけというのも、それはそれで不平等を感じる。こっちも答えたんだから、そっちも質問に応じてくれ」

「ふんっ。ぼくがおまえに答えてやる権利なんてない」

「あんた、今日も見回りなのか? だからこんな時間に船をうろついているのか?」


 正直、俺が海賊たちに尋ねたいことなんて特になにもない。

 だけど、この後のことを考えると一人でも周囲に人間が欲しい気持ちがあった。


 ブラックハートはこちらに顔を見せることなく、離れていく。


「おーい。どうなんだ?」

「今夜の見回りはケスラーだ。明日も早い。ぼくはもう寝る」

「そうかーなら仕方ないかー」

「……」

「朝飯の献立はなんだー? かいぞくー」

「……あんまり調子に乗るなよ」


 キラッ、とナイフの刃を出したのが見えた。

 

 怒られちまった。

 俺は一人きりになった甲板で月を見続けた。


 ……


 他に誰もいない場所に俺は居続けた。

 

 来ないのか? 

 それならそれでよかった。という考えが浮かぶが、実のところ残念な気持ちも心の隅にあるような気がした。けれどやはり、昨日のことは俺の夢の中の出来事でそんな現実はなかったという話のほうが安心する。


 思考回路がぐるぐると同じところを回っている。

 だが考えられずにはいられないでいると、


「こんばんは……待った?」

 

 赤目の女が、俺の隣に現れた。


 いつどこから出てきたのかまったくの不明だった。俺はそそそっ、と女に近づいた。


「……」

「んっ? どうしたの?」

「……よかった。


 ふぅ~


 確認を終えた途端、心の底から安堵の声が出る。

 俺のその様子を見て、女は可笑しそうに笑った。


「あらっ。ひょっとして幽霊かなにかとでも思われたのかしら?」

「その通りだ。気分を害したのならばすまない」


 じゃあこの女はどうやって俺の目の前から姿を消したのだろうか?

 その疑問は、恐怖から安心への落差のあまりすぐに頭の中に浮かんでくることはなかった。


 うふふふ


 女はひとしきり笑った後、俺へ声をかけ直す。


「もし許さないって言ったらどうする?」

「なにをすれば許してくれる?」

「あっ、ずるい。質問に質問を返すのは反則よ」

「そう言われてもな。人によって基準なんて違うものだし、もしも間違って逆鱗にでも触れてしまったらと思うと」

「うふふ。少年。こういう時は学問みたいに具体的な正解や間違いはなくて、自分から考えてなにかしてほしいの」

「考えてね……」


 他国のお偉いさんとの談合の際、父が贈り物に眉間に皺を寄せながら悩んだのを思い出した。


「あっ、謝るといえばそうだった……昨日はごめん」

「なんのこと?」

「歌を中断させてしまった」

「なんだ。そんなこと別に謝らなくてもいいのに」

「いいや。あんな綺麗だったのに、俺のせいで」


 その言葉を聞いた女は最初、キョトンと目を丸くさせた。

 しかしすぐにいつもの余裕ある表情に戻る。


「冗談にしては、あんまり面白くないかな」

「本音だよ」

「……嘘よ」

「本心からだって。もっと聞きたかって今すごく残念な気持ちになっている」


 なぜか否定されるが、俺は本気で後悔していた。

 

 大きな溜息を吐く俺の隣で、女は顔を俯かせた。


「……そんなこと言われたの初めて」


 女の顔は見えなかったが、耳のほうはわずかに赤く染まっているような気がした。

 

 ザパーンザパーン

 

 少し時間が経った後、何事もなかったかのように女は頭を上げる。


「ねえ踊りましょう?」

「はあ?」

「歌の続きを聞きたいんでしょう? 踊りながら歌いたいわ」

「それはそうだけど、俺はダンスは苦手で」

「やっぱりわたしの歌なんて二度と聞きたくない魔王の誘惑のようなものなんだ……」

「聞きたい! 聞きたいから!」


 断ろうとすると、女は俺の想像を超えるほど悲しんだ。


 スッ、と手を伸ばされる。


「この手をとったら舞踏会の開催よ。王子様」

「……今日はまだ帰りの時間じゃないのか?」

「優しい魔女さんが延長してくれたみたい」


 言われた通りに手をとると、女は自由奔放にステップを刻みはじめた。

 

 その姿は実に可憐で、船の上というあまり経験したことのない景色も相まって夢を見させられているようだった。


 蒼の波♪ 白き雲♪ 自由がここにはある~♪


「あら上手いじゃない?」

「そ、そうか?」

「でもこれじゃ社交ダンスよ」

「仕方ないだろ。踊りといったらこれしか知らないんだから」

「だけど本当に舞踏会にいるみたい」


 王宮の講師に教えられたのがこの踊り方だった。散々怒られながらも練習して、ようやく最低限の形になりましたと俺以上に疲労していた講師が両親へ言っていた。


 宝の山を目指せ~♪ 漢の浪漫を見つけ出せ~♪

 

 アップテンポになっていく歌と女に合わせる。


「なんであんたは、この船にいるんだ?」

「冒険に理由はいるのかしら?」

「海賊船だぞ。犯罪者だ」

「悪を忌避するのならば、なぜあなたはここにいるの?」

「それは……」

「お互いにそれぞれ素性はあるってことよ。それに少しくらいの謎は素敵なアクセサリーよ」


 元王子だということを隠さなければいけない俺を、女は気遣ってくれた。

 はぐらかされただけな気もするが。


 ああ~偉大なる海の戦士~♪ 魂は海の底に眠ろうとも、伝説は語り継がれる~♪


「やっぱりすごくいいよ」

「本当?」

「本当さ」

「嘘じゃない? 嘘じゃない? 嘘じゃない?」

「嘘じゃないって」

「……よかった」


 よほど褒められ慣れてないのか何度も確認してくる。

 

 女は嬉しそうにした後、サッ、といきなり俺から離れた。


「えっ?」

「ごめんなさい。延長時間は終わったみたい」 

「あんた、そっちは」

「あっ、そういえば名前教えてなかったわね。わたしの名前は――」


 ――アリー


 それだけ伝えると、女は船から飛び降りた。


 俺は心配してすぐさま女が落ちたであろう場所を探すがどこにもいない。

 

 いったい、どこにいった?


(そういえば、見回りがいたはず)


 もしかしたらなにか知っているかもしれない。

 俺は船内を駆けずり回って、ようやく外にいた船員を見つけたのだが。


 zzz


 ケスラーは眠っていた。

 とりあえず起こして話を聞いてみたのだが、それなりの時間眠っていたのか俺と女が一緒に話している姿すら見ていなかった。


 その後も船を見回すが、女はどこにもいなかった。

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