六話 奴隷、風呂に入る
「マスター。本当にいいんですか?」
「ああ。早くやれ」
正午を過ぎたあたりだろうか。時計がないため正確な時間は分からない。
その時間、俺は水面の上にぶら下がっていた。
ブラーン
木から伸びた太い枝を竿にして、その先に巻いたツルで繋がっている。
「じゃあ、ロボいきますよ」
体重をかけて上から枝を揺らすロビーナ。すると、俺が水中で浮き沈みを繰り返す。
バチャバチャ……バチャバチャ……
その内、池に大きな影が現れた。
「ロビーナ! そこから降りろ!」
「ま、間に合いません!」
ザパァン
水しぶきをあげながら飛び出てきた巨大な魚――
ボゴボゴボゴ
(なんつう力だ)
横を見ると、俺を引っかけていた木までもが根っこから抜かれて沈んでいっている。
もしワイルドウルフの毛皮を何重にも腹に巻いてなければ、俺も即死だっただろう。
グギギギ
まずい。
バスピラニアは強引に毛皮を突破しにきている。冷たく鋭い歯が腹に当たる。
(躊躇ってる時間はない。すぐにケリをつけねば)
俺はポケットに用意していたオロチの牙を、巨大魚の眼球に突き刺した。
痛みで暴れるバスピラニア。
しかし抵抗している間にも、牙に残っている毒が体中を回る。
やがて疲れ果てたかのように、バスピラニアはグデンと横になりながら水面へ浮かんでいった。
(終わったか。もしまともに戦えば、
視界の端で、ロビーナが沈んでいくのを捉えた。
俺は一度地上に顔を出して呼吸してから、再び底まで潜ることにした。
「あ、あ、ありがとうございますマスター。ロボ、カナヅチでして。泳いでも泳いでも体が沈んでいって怖かったです。完全防水じゃなきゃ、今頃お陀仏でした」
そりゃ、おまえが重いから。
ゴーレムの体は普通の人間の泳ぎ方では、とうてい水中を上がってこられる代物ではなかった。俺だってロビーナの体を分割することで何度も潜るのを繰り返してようやくサルベージできたのだ。
恐怖で顔を真っ青にするロビーナは、まるで本当に溺れた少女の姿みたいだった。
「いいさ。おかげでレベルがまた上がったしな」
「それはおめでとうございます。お祝いとして、ロビーナ音頭をとりましょうか?」
「いらん」
「じゃあ今すぐ手伝います。ロボに疲労はないので」
復帰したロビーナと一緒に、水を池から掬う作業をしばらく行う。
そしてそれを拠点に持って帰ると、
「ふーふー。よし、これくらいでいいだろう」
グツグツ
池で浮き沈みしてから数時間後、洞窟の前に置かれた巨大な石の釜の中で、大量の水が茹でられていた。
俺はちょうどいい湯加減なことを確かめると、ボロ衣を脱ぎ捨てて裸になる。
「よっしゃー! お風呂だ! お風呂だ! お風呂だ!」
バシャァン
勢いよく、お湯に浸かる。底に触れたら火傷するため、足元には木の板が敷いてあった。
(極楽、極楽、極楽。まさか二度と入れないと思ってた風呂が作れたとは)
昨晩、ロビーナに頼んで制作してもらったのが風呂釜だ。
この無人島に来て何日経ったか。ともかく長時間を過ごして、飢えと渇きの次に苦痛だったのが汚れだった。
皮脂やふけはいくら体を掻きむしったところで湧いてくるし、血は洗い流しきれないと自分のものでもないのにカサブタのように張り付く。排泄機関に至っては、もう言葉にもできないほどだ。
熱と水流で、それらが自分の肉体から剥がされていくのを感じる。
「はあ」
そのあまりの気持ちの良さに、思わず息を吐いた。
本当に作ってもらってよかった。
今日は朝から風呂を沸かすための水を持ってこようと池に行ったのだが、近づくだけでもバスピラニアが邪魔してきた。仕方がないので川のほうから運ぼうとしたが、そっちでも同じバスピラニアがこの島で水のあるところは全て俺の領域だと言わんばかりに襲ってきたのだった。
そんな溜まった疲れも、熱で開いた毛穴から抜けていくようだ。
雑踏のないこの島で、静かで幸せな時が流れていく。
バシャァン
「マスター。ロボもロボも。お風呂、入りたいです」
「えっ!? いやおまえ、もう入ってきてんじゃねえか!」
「あっ。すみません。マスターがあんまりにも気持ちよさそうだったんでつい……」
つい、じゃねえよ。つい、じゃ。
焚火のための木を拾って帰ってきた途端、ロビーナは風呂にダイブしてきた。
グイグイ
「狭い狭い。ここ一人用だぞ!」
「マスター。股をお開きください。そこにロビーナが割って入りますので」
「……あのなぁ」
ロビーナは普段から服を着用しない。曰く、
そのため風呂に入ってもその姿形は変わらないはずなのだが、こうして風呂という空間の中だと見慣れているはずのそれが全然違うものに見え始めた。
ドキドキ
(クソ。顔が熱い。これは風呂の熱のせいだ。きっとそうだ)
触れている面積を少しでも減らそうと、俺は後ろに体重を下げる。
「なあロビーナ。女の子が、裸の男の股に入るなんてのはあんまり良くないんだ」
「質問です。なぜでしょうか?」
「その、触ると汚れる部分があるというか……」
「マスターに汚いところなんて存在しませんよ」
俺がどう言おうが理由にはならないらしく、ロビーナは俺の股の間で風呂に浸かった。
実際、体勢としては楽になったのだが、顔がとても近くなってしまった。
(こいつ、そういえば美人だったな)
城で開催されるパーティーに出席する貴族の女性たちは綺麗だったが、ロビーナはその彼女らと比較しても群を抜いていた。
狂いのない完璧に均整な美貌は、まるで絵画の天使のようだった。
「そういえばマスター。倒したバスピラニアを捌いていたら、ロボのうなじが見つかったんですよ。それで一発芸機能が搭載されたんでやってみますね……はい。ロボ
「天使じゃなくてガラクタだったわ」
「ひどいです!」
喜劇向けの仮面のような、顎を外して鼻に指を突っ込んで眼球が飛び出す顔面になっていた。
「ナイス湯だな~ロボボン♪ ナイス湯だなーロボボン♪」
「ふぅー」
いいかげん慣れた俺は、ロビーナの歌を流しながらお知らせを開く。
《風呂釜の設計図を作成しました》
《レベルが2上昇します》
「ほんと。なんでもレベル上がるな」
バスピラニアの魔物討伐でも経験値が入手できているが、料理や設計だけでもレベルが上がっている。
将来の可能性のなかった最弱ジョブであるはずの【奴隷】が、まさかレベルキャップを外すだけでここまで違ってくるとは。
俺は日記のようにレベル上昇の記録を読み上げていく。
「マスター。夕日ですよ」
「ああ……」
オレンジ色の太陽が、島を照らしながら海に落ちていく。
この島に来るまでは一日の終わりが寂しかったが、今ではまた一日長く生きられたことに喜びを覚えた。
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