58

雲一つない快晴の空と、見渡す限りの地面全てが砂で埋め尽くされた景色を捉えると同時に、目の前で砂が舞った。

「わぶっ⁈」

「………」

「ほぉ。」

砂の上へ背面から倒れ込んだリュードの上半身に漆黒の狼が乗っている。

声を上げた彼をちらりと一瞥したラズがリュードの身体から降りると、周囲を見渡していた自身の腰元に寄り添った。

そんなラズを褒めるように滑らかな毛並みを撫でる。


「…びっくりしたぁ。えっと…ラズ?君、それが本来の姿なんだね…喉元に噛みつかれるかと思った…」

「………」

「あぁ、君はリゼちゃんの騎士なのか。」

倒れ込んだ砂の上に身を起こし、座ったままのリュードがラズを見上げて言う。

相変わらず自分とリュードの間を陣取って無言で見返すラズの姿に、彼は苦笑を溢した。


そして、理解したように一つ頷くと言葉を重ねる。

「魔石獣とその主人は一心同体。リゼちゃんの魔力で満たされているラズ君は、最早リゼちゃんの一部でもあるってことか。」

「そういうことだ。」

自分以外の誰かと共に異空間へ行く方法の一つは、鏡面に触れる者と接触しておくこと。だからこそ、同行を望むリュードは手を差し出した。

対して自分はその手を握ることは無く、鏡面へリュードを押し倒したラズが彼と接触していることによって共に異空間に来た。


「手段はどうあれ、望み通り連れてきてやったんだ。光栄に思え。」

「うっわぁ、傲慢!」

ラズを連れてリュードの隣を横切れば、投げられた言葉に彼は即座に文句を言う。

だが、それでも後を追って来たリュードは揶揄うように問い掛けてくる。

「で?来てみた感想は?」

「何も無いな。」

「でしょ?わざわざ来る所じゃないんだよ、ここ。」

そう言って周囲に視線を流したリュードに倣い、改めて辺りを見渡した。


青空と一面の砂、そして少し遠くに鏡が一枚見える。取り敢えず、出口になるのであろうその鏡へ足を向けた。

歩きながら異空間の魔力を探るところに、リュードの声が聞こえる。

「遺跡にあるのは鏡一枚、魔物の発生は無し。まぁ、街に近い遺跡だから魔物が居ないのは別に良いことなんだろうけど、異空間にまで居ないとなると冒険者としては出向く意味も無いから、砂の遺跡に出入りする奴ってもう誰もいないんだよね。」

「だから、ギルドからの調査依頼が掲示板にあったのか。」

「そう。でも、あれも多分貼りっぱなし。」

「ふうん。」

ざくざくと砂を踏みながら視線を落とす。


おそらく数多の冒険者が足を運んだはずのこの遺跡で、得られた情報は一面が砂で覆われた異空間があることだけだったのだろう。

遺跡が発現した初めこそ遺跡全体に対する調査依頼が掲示されるようだが、新しい場所には冒険者が我先にと殺到する為、基本的な情報はすぐに集まる。

冒険者ギルドとしてはその基本的な情報が集まれば依頼用紙を貼り続ける必要は無く、あとは情報料を期待した冒険者が新しい情報を追加で持ってきた時に足せば良い。

だが、砂の遺跡では出現する魔物の種類、異空間の階層や部屋数、通常なら集まるはずの情報であるその何もかもが分からなかった結果、遺跡の調査依頼が掲示板に残り続けた。

初めてあのギルドの掲示板を目にした自分には、日に焼けたその用紙がかなり目立って見えたものだ。


そんなことを思い出しながら目指していた場所に辿り着くと、落としていた視線を上に向けた。

「これは…」

「すごく豪華だよね、これ。」

一面を砂に覆われただけの殺風景な景色とは反対に、煌びやかな装飾が施された巨大な鏡を見上げる。

あまりにも主張が強いそれに思わず声を溢せば、リュードも苦笑交じりに同意を示す。

「ここまで凄いのは、なかなか見ないな…」

「やっぱり?これで魔物が居ないっていうのも変でしょ?こういう鏡がある領域って大抵大物が居るんだけどなぁ…」

鏡を見上げながらその周りを歩けば、後ろを付いてくるリュードが首を傾げた。

確かに、装飾の豪華なものや大きめの鏡がある異空間の階層は強くて珍しい個体の魔物が存在していることが多い。

実際、似たような鏡があった異空間では、入った途端に魔物の竜が鎮座しているような所だった。

それを思えば、やはり何も居ないというのは理解し難い。


この場所に入ってから探り続けていた異空間の魔力を辿り、きょろきょろと辺りを見回したり一点を見つめたりしていると、その様子を黙って見ていたリュードが口を開く。

「リゼちゃんには一体何が見えてるの?」

「…別に何も見えてはいない。」

「えぇー、絶対何か探してるでしょ?」

「………」

リュードの声に軽く肩をすくめる。

何かが見えているなら楽だろうが、自分は異空間の魔力を探っているだけだ。

異空間を形作る魔力は完璧で隙がない。

ここに魔物でも居るならばそれを捉えることもあるが、今分かるのはここが異空間であるという完成された魔力のみ。

「(対象を限定してみるか……?)」

顎に手を当てて思案していると、唐突にラズが何処かに駆けて行った。

そんな黒い狼の姿をリュードが不思議そうに見送る。


そして、砂の遺跡がどういう所か自分よりもよく知っている彼は、考え込んでいるこちらの様子を少し楽しげに眺めた。

既に北側地域では何も無い場所として断じられた砂の遺跡で自身の行動は悪足掻きにでも見えるのだろう。

こちらとしても別に意地になっている訳ではない。ただ、在り方として珍しいこの遺跡への好奇心で探索しているだけである。何も無いなら無いで構いはしない。


「リゼちゃんはここに魔物が居ると思う?」

「北側の魔物ははっきりとした姿形を伴わないタイプが多そうだからな。ここには何も居ないのではなく、誰も見つけられていないだけかもしれない。」

「そうかなぁ?それこそ魔物が居るなら、向こうから襲ってくるもんだと思うけど?」

「たまに発生条件がある所もあるだろ。」

「ごめん、リゼちゃん。さっきから否定ばっかりだけどそれも無いよ。発生条件がある所っていうのはそれなりのきっかけというか、仕掛けが見えるようになってるはずだから。」

「へぇ。」

なかなか異空間に詳しいリュードに素直に感心する。


異空間で発生条件のある魔物が存在するのは、その多くが異空間の最終地点だ。

彼の言う通り、発生条件がある所には仕掛けが存在する。

以前、鼈甲蜥蜴竜と邂逅した時のように、それは明確な違和感を放つ。

このことを断言できるということは、かなりの場数を踏んでいるはずだ。

彼が「それなり」と称した所属パーティは、冒険者ギルド内の階級としては上級か、超級か…いずれにしろ、並の域は超えているだろう。


すると、この場を離れていたラズが戻ってきた。それを労うように彼の頭を撫でて一つ頷く。

「やはり、中心はここか。」

「あ、それを確認してたの?」

その場にしゃがみ込みながら呟けば、リュードは合点がいったとばかりに声を上げる。

辺りを遮るものが何もなく、壁で囲まれた部屋の形をとっていないような異空間では、視覚的に階層の範囲を捉えられない。

だが、その場合は一直線に進んでも必ず同じ場所に戻ってくるようになっており、ここでは巨大な鏡の周辺が中心らしい。

自身が探った異空間の魔力から大体の検討はついていたが、魔力の塊である異空間内では精度がかなり落ちる。

だからこそ、ラズに最終的な確認を頼んだ。


「それで?中心が分かったらどうするの?」

「………」

砂に手をついた自身の姿に、リュードが好奇心を隠すことのない声音で問う。

どうするも何も、やることはそこまで変わらない。

軽く目を伏せて、砂に自身の魔力を流す。

異空間では辿りづらくなる魔力の流れを正確に把握する為には、より大量の魔力を使い、さらにその範囲を限定してやれば良い。

砂の遺跡にあるものは地面を覆う一面の砂だけで、何も存在しない異空間。

それはある意味、砂だけがこの場で存在を示しているということ。


ならば、最初に目を付けるべきなのは……

「…見つけた。」

「へ?」

存外間近にあったそれに、軽く口端を上げた。

リュードの疑問の眼差しを受けながら振り返れば、巨大な鏡がこちらを見下ろす。

地面から僅かに浮いたその鏡の前に歩み寄り、砂の中に手を突っ込んだ。


「嘘……」

「あるじゃないか、ちゃんと。」

少しだけ掘り起こした砂の中を見て、リュードは思わず声を溢す。視線の先には、一対の砂の取手。

「砂の遺跡の異空間には階層があるようだな…砂に埋もれた砂の扉か。」

「いや…何で…?えー…?」

日に焼けて依頼用紙の色が変わるくらいに今まで何もないと断じられてきた砂の遺跡で、今回初めてこの場に足を踏み入れただけの人間が階層の存在を看破してみせた。

その事実にリュードが軽く混乱する。


魔力を使って常に異空間を探り続けていたことなど知る由もない彼からしてみれば、これまでの一連の流れはただ周辺を歩いて、ただ砂に手を入れて、ただ砂を掘っただけ。

「本当…リゼちゃんには何が見えてるの…?」

「別に何も見えてはいないと言っただろ。」

「信じられないんだけど…」

実際、何も見えてなどいなかった。

だが、見つけられない階層への扉の存在を疑える程には自分もそれなりに場数を踏んでいる。そして、それを探せる手段も持っている。

砂しか無い異空間で砂に注目するのは当然として、その砂に流した魔力がとある一点で下に流れ落ちる感覚を捉えた。

下に砂が落ちるということは、この砂の地面の下に別の空間があると推測できる。

結果、砂が落ちていく箇所には取手があった。それだけのこと。


「(扉らしい扉は見えないが、取手があるなら開くはず…)」

そう思い、左右の取手を掴んで持ち上げて引っ張ってみるが動かない。押しても駄目らしい。

ならばと取手をそれぞれ左右に滑らせるように引っ張れば、四角い空間が姿を現す。

さらさらと砂が落ちていく先を覗き込めば、同じように一面を砂で覆われた景色と、そこへ続く白い石板が階段のように空中に並んでいた。

それを見て満足気に笑むと、躊躇うことなく一段目の石板に足を下ろす。当然、ラズもすぐ後に続く。


「あぁ!一切の躊躇がない!待って待って、リゼちゃん!」

「………」

最早驚く暇すら与えられないリュードは、淡々とそれでいて意気揚々と先に進む同行者を慌てて追った。

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はぐれ魔導士の依頼受注 山本二郎 @ymtjr

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