57

精霊祭の初日である今日は、多くの人が街道を行き来している。

先程冒険者ギルドに帰ってきた受付担当もおそらく朝から冒険者関係のトラブルに目を光らせていたのだろう。

これだけ人が溢れているなら何かしら起きてもおかしくはない。ご苦労なことだと受付担当を労いながら、人々の間を縫って歩く。


そうして雑踏の中を抜け、街から外れると、徐々に人がまばらになってきた。

その場に立ち止まれば、腕に抱えていたラズがひょいと地面に降り立つ。

そして、何かから守るように自身の背後に回った。

そんな黒い子犬の姿を目で追いながら、近付く影に溜息を吐く。

「やっぱ祭りが始まると賑やかになるね。見失うかと思ったよ。」

「………」

軽い調子で投げられた声の主へ胡乱な眼差しを向ける。だが、相手は親し気な笑みを浮かべるだけだ。


その存在を知りながらも初めてはっきりと視界に納めた男の姿は、冒険者らしき装備に身を包み、明るい茶髪と橙色の瞳が陽気な印象を与える。

冒険者ギルドで一方的に声を掛けてきた青年が、飽きずにここまでついて来ていた。

別に撒こうとしていた訳ではない為、追いつかれたことに驚きはしないが、随分と暇な奴だと眉根を寄せる。


すると、小さく首を傾げた彼の耳元で陽の光を反射した金色のピアスがキラリと揺れた。

「あ、僕はリュード。君の名前だけ知ってるのは不公平だよね。」

「要らん。」

「辛辣!」

彼の自己紹介に一言返して背を向ける。ラズを連れて再び歩き始めたところに、リュードが並んだ。

やはり、不平等とやらを解消する為に追って来ただけではないらしい。

そして、こちらの歩調に合わせて歩くリュードは何処か嬉しそうに言った。

「でも、ようやく答えてくれたのは進歩かな。どういう心境の変化?」

「お嬢に手を出さなかったからな。」

「『お嬢』って、あのギルド職員の女の子?」

どうやら、冒険者ギルドで一切反応を示さなかったくせに、今回初めて返答が寄越されたことが意外だったようだ。


彼の問いに応え、一つ頷いて見せれば、思い出したようにリュードは言葉を重ねた。

「彼女、止めてくれてありがとね。」

「どうせ躱される。お嬢に無駄な労力を割かせる必要も無い。」

「おっと、意外と買ってくれてる?」

「ただの事実だろ。」

「…うっ…ん!何だろう、思わずときめいた…」

「………」

お前の為じゃないと一蹴した会話の何処にときめく要素があるというのか。怪訝に思いながら、微妙にリュードから距離を取る。


実際、あの場で受付担当を止めたことは依頼の延長に過ぎない。

今回ダンから請け負った仕事は彼女を無事に送り届け、そして送り返すこと。

一瞬とはいえ表情に出してしまった受付担当に対して一切態度を変えなかったリュードを相手取るのは、きっと彼女の手に余る。

これから数日、抑止力としての役割を全うしなければならないのだから、余計なことはしなくていい。

何より、巻き込まれただけの受付担当がわざわざ自分の為に働く必要は無い。


「(…お嬢が殺気を纏うことは無いが、たまに顔に出るのを長は何とかしたいんだろうな。)」

それは、ダンが修行と称して受付担当を精霊祭に送り込んだ理由の一つのはず。

わざと挑発する為ならともかく、本人が意図していないのであれば隠すことも必要だ。

任意で使い分けられるようになれば尚良いだろう。


そんなギルドでの一幕を思い出しながら軽く肩をすくませた時、リュードが少し慌てた声を上げた。

「っとと!ごめんごめん、大丈夫?」

彼が謝罪を向けた先は、足元をちょこちょこと歩く黒い子犬。

自身とリュードの間をずっと陣取っていたラズにどうやら接触しそうになったらしい。

リュードの声に反応したラズは彼の顔をちらりと一瞥するが、すぐにその視線を外す。

「なんか…すっごくリゼちゃんに似てる……」

ラズの態度を見て、リュードは思わずといった様子で呟く。

先程彼と微妙に距離を空けた自分に対してラズはその場を譲らなかった。結果、無意識に距離を戻そうとしたリュードとぶつかりそうになるのは道理だ。

だが、そもそも黙って踏まれるようなラズでは無い。

彼の態度を思えば、元々足元に気を付けていたはずのリュードを責めるつもりは無いと分かる。


そして、しばらくの間ラズを興味深げに眺めていたリュードが気付いたように問い掛けてくる。

「ところで、何処に向かってるの?」

「砂の遺跡。」

「えっ?わざわざそこに?」

「ふむ。」

何となくこの遺跡には何かあるのだろうと思っていたのだが、彼の反応を見るに間違いではなかったようだ。少し意外そうな声を上げたリュードの橙色の瞳を見遣れば、思い至った彼が口を開く。

「あっ、リゼちゃんは北側に来るのは初めて?」

「あぁ。」

「じゃあ、どうして砂の遺跡が気になったの?」

「砂っぽい場所なんか見当たらないじゃないか。」

「ふっはは!単純!そっかそっか。それなら僕が案内してあげるよ!」

頼んでもいないことにリュードが買って出る。

どうしたものかと口を開きかけた時、彼が更に言葉を重ねた。


「あれ?でも、依頼受けてなかった気がするんだけど…」

「別に出入りは自由だろ。」

「まぁ、そうだ…ね…?…ん?遺跡ってそういう感じで行く場所だっけ…?」

遺跡へ出向く時の心持ちに決まりなど無い。だが、遊びに行くような調子で足を運ぶ場所でも無い…というのが一般的な認識だ。

ただ、遺跡に遊び行くどころか、魔力溜まりに住んでいるような人間には最早一般的な認識などどうでも良いことである。

そんなことを知る由もないリュードは、目当ての遺跡へ向かう道中、納得し難い表情で首を捻っていた。



「ここだよ。砂の遺跡。」

「………」

辿り着いた場所は遺跡としては珍しく、街から比較的近い所だった。

そして、リュードが示した先の木立の入り口には鏡が一つだけ見える。

だが、「砂の遺跡」という名称にも関わらず、それらしい景色が一切無い。

更に周辺を探って生じた違和感に、少し眉根を寄せた。

「面白いでしょ?砂の遺跡って、この異空間への鏡が一枚あるだけなんだよ。」

「あぁ…道理で…」

リュードの言葉に合点がいった。

この遺跡を遺跡たらしめる魔力の範囲があまりにも局地的だった為どういうことかと思ったが、異空間への鏡が一つ在るだけの遺跡というならそれも分かる。

ほぼこの鏡の周辺にのみ遺跡の魔力が集中していることから、魔物の発生も無さそうだ。


かつて、魔物が全く発生しない遺跡へ出向いた時、その遺跡には異空間の方に面白いものが多かった。

その経験を思えば、砂の遺跡とやらも似たような感じだろう。

「…砂の遺跡の由来は異空間の方か。」

「そうだよ。砂はこの中。」

鏡を前にして呟けば、リュードが頷いて返す。すると、何故か彼は自身と鏡の間に割って入ってきた。

「何だ?」

「一緒に行きたいなぁって。」

「………」

「連れて行ってくれないの?」

そう不服そうに言いながらリュードは手を差し出してくる。その手を無言で見返した。

連れて行くも何も、リュードの狙いは初めからそれだろう。

その身はきちんと装備に包まれており、冒険者ギルドでは自分達を探していたと言い、頼んでもいない案内を買って出た。

ここまでくれば最早抵抗する方が面倒な程、遺跡探索に同行したいという意思が明け透けだ。たった今、それを口に出しただけ。


「それに、砂の遺跡とはいえリゼちゃんだけっていうのは…僕は他の二人も一緒だと思ってたのに、本当に一人で行こうとしてるし……」

「(『砂の遺跡とはいえ』…?)」

悩まし気な顔でぶつぶつと呟くリュードの言葉に首を傾げた。

彼の言い方からすれば、砂の遺跡は特に危険だと思われていないようだ。

だが、遺跡の魔力を一身に受けているこの鏡の異空間が易しい作りをしているとも思えない。


やはり、なかなか面白そうな所だ。

このままリュードと押し問答する時間が惜しい。同行したいというなら、望み通り連れて行ってやる。

どんな目に遭おうとも自己責任というものだ。

そう方針を決めて、徐に口を開く。

「ラズ。」

「っ⁈」

名を呼べば、彼は子犬から大人の腰程の高さがある漆黒の狼に姿を変える。

いきなり見た目が変わった魔石獣にリュードが目を丸くした。


「自分の身は自分で守れよ?」

「えっ?嘘っ⁈ちょっ…」

口元に不適な笑みを浮かべ、鏡を背にして立つリュードに嘲るような声音で言う。

それと同時に、漆黒の狼が彼へ襲いかかった。

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