55

不意に落ちた影に受付の男が顔を上げると目を瞬く。

そんな戸惑いを隠しきれていない相手に構うことなく、高い位置で括ったポニーテールが元気に揺れた。

「こんにちは!精霊祭の追加要員として派遣の指示を受けて来ました!よろしくお願いします!」

「え…あっ!お疲れ様です…その、道中は問題無く……?」

「臭くてドロドロした奴に追われてきました!」

「えっ⁈」

「お嬢、一応渡しておく。長への報告は適当にしといてくれ。」

「『お嬢』っ⁈」

「分かりました!」

受付担当と男の会話に口を挟み、彼女に湖仙の素材を押し付けた。

終始驚きの声を上げていた受付の男は、見たことのない繊細な魔物素材に息を呑む。


その場で踵を返せば、素材を大事に抱えた受付担当が溌溂と声を掛けてくる。

「リゼさん、ありがとうございました!お祭り楽しんでくださいね!」

「あぁ。じゃあ、また帰りに。」

「はい!」

「あっ、ちょっと!護衛の冒険者の方にも別途手続きが…」

「え?リゼさんは冒険者じゃありませんよ?」

「は?」

引き止めようとした男の言葉を受付担当が否定すると、それならあいつは何なんだとでも言いたげな声音が背後で響いた。


「本当に本物の馬みたいですよね。」

「本物の馬は背中が開いたりしないけどな。」

「あ、一つだけ空になっています。」

受付担当を送り届けた冒険者ギルドの扉を潜れば、建物の外で待っていたアルフとキリトが御者のギルド職員と馬型の移動用魔導具を前に言葉を交わしていた。

魔導具に搭載されていた魔導石を取り出して状態を確認した御者は、何処か感心したように声を溢す。


「いやぁ、まさかこの距離を走り続けられるとは思いませんでした。途中かなり速度も上げましたし、一気に魔力が空になるかと……」

「おそらく込められた魔力の密度が違ったんだろ。」

「確か、今回搭載していた魔導石には初めからリゼ殿に魔力を溜めていただいたんですよね?」

「そうですよ。」

「うわっ、リゼ殿!お帰りなさいませ。」

背後からキリトの問いに応えてやれば、驚いた顔で振り向いた彼はすぐにぺこりと頭を下げた。

キリトの言う通り、今回馬型の移動用魔導具に搭載していた魔導石の全てに自身の魔力を詰め込んで、道中も自身の魔力を込めた。

勿論、全てギルド長であるダンの指示に従っただけだ。


御者に手を差し出せば、それに気付いた彼は持っていた空の魔導石を手渡す。

石中にちらちらと光の粒が舞う様子を隣で眺めていたアルフが徐に呟いた。

「…そもそも人の持つ魔力には個人差があるからな。同じ速度同じ距離を走ったとしても魔導石の魔力が空になる頻度は変わる…か…」

「面倒臭いな。」

アルフの言うことも発展途上中の移動用魔導具の課題の一つだろう。


彼の声に適当に言葉を返しながら、魔力で満たされた魔導石を御者に返す。

「ありがとうございます…恐ろしく早いですね…」

「リゼ…馬車の中、手抜いてたな?」

「さぁ?どうだったか?」

「…これで意味付けした途端に四散させてしまうというのが、すごく疑問です。」

受け取ってすぐに御者に返却された魔導石を見て、アルフが口を挟む。そんな彼にとぼけて見せれば、キリトが苦笑を浮かべながらも不思議そうに首を傾げた。


次いで、魔導石を元の場所に嵌め込んでいた御者が思い出したように尋ねる。

「あっ、期間中の滞在場所は聞いてますか?」

「知っている。長から聞いた。」

「それなら大丈夫ですね。御三方はこれからどう過ごされる予定で?」

「「「………」」」

「いや、そこは祭りに参加くらいしましょうよ!寂しいじゃないですか!」

「?」

「寂しい?」

「…っと、すみません。僕、ここの出身なんです。お祭り、賑やかで楽しいので是非!まぁ、人が増えるのでトラブルも増えますけど…」

困ったように笑いながら御者が言う。

過去に冒険者関係で発生した出来事の為に今回の仕事が発生している以上、誰かにとっては平和なだけのイベントではない。

それでも是非にと強く勧めてくるのだから、この地域では大事にされている自慢の祭りなのだろう。


「特に何をするか決めていないだけだ。で、二人は祭りに興味があって付いてきたんじゃないのか?」

御者に応えつつ、同じ様に黙り込んでいたアルフとキリトを見遣れば二人は互いに視線を交わして口を開いた。

「リゼが遺跡に入り浸るならそれも面白そうだと思った。」

「私もです。」

「……入り浸る前提か?」

それぞれ好きに過ごせば良いものを、どうやら滞在期間の予定は自分に一任されていたらしい。しばらくは行動を共にするつもりなのだろう二人は問うような視線を向けたままだ。


そんな金色の瞳とライトグリーンの瞳を一瞥してから御者に向き直る。

「取り敢えず、良い食事所を知らないか?」

「あっ…はい!それなら…」

「…腹減ってたんだな。」

「…まぁ、当然と言えば当然ですよ。」

口にした言葉に、ここが出身地であるという御者はぱっと表情を明るくする。

アルフは少し呆れを含んだ声を溢し、キリトは何処か擁護するような笑みを浮かべた。

受付担当を送り届けるまで働きっぱなしだったのだ。

初めに満たすべき欲は決まっていた。


「リゼ、それは脱がないのか?」

「………」

もぐもぐと口を動かしながら隣に座るアルフを見遣る。次いで口の中に残るものを飲み込み、自身の目元に影を落とすフードの縁に視線を向けた。

「…自分が目立つ姿をしていることくらい把握している。無駄に晒す必要もないだろ。」

「ふーん…」

淡々と応えてやれば、彼は適当な相槌を返しつつ、フードから一房溢れた髪に手を伸ばしてくる。

特に避けることもせず好きにさせれば、彼は薄く紫を纏う銀髪の毛先を弄んだ。


アルフに髪を弄られながら、ほくほくに蒸された芋を口に入れる。元々甘味が強いのか、軽く調味料が振られただけの非常にシンプルな料理にも関わらず美味だった。

同じように芋を口にしたキリトは少し驚いた声を上げる。

「うわぁ…これ美味しいですね。西側ではあまり見ませんが。」

「こっちでは珍しいものでもなさそうだぞ?」

満足したのか髪から手を離したアルフがキリトにメニュー表を渡す。

この様子だと滞在期間中にキリトが芋を買い占めそうな気がした。


「塵芥鞄に入れればいくらでも入りますよ?」

「あ、そうですね!」

「やめろ。人の食事をしばらく芋だけにするつもりか。」

悪戯っぽく提案すれば、案外乗り気のキリトが同意を示す。だが、そこは雇い主から即座に制止がかかった。

キリトが制限なく芋を買えば、その消費にアルフが付き合わされるのは必至だ。命令すればキリトは別の食事を用意するだろうが、アルフは彼に甘い。

だからこそ、そんな事態になる前に軽く釘を刺した。

「適切な量にしろ。」

「はい!」

「(…仲が良くて何よりだ。)」

軽く息を吐きながらアルフが言えば、キリトは嬉しそうに笑う。


二人のやり取りを眺めつつ新たに運ばれてきた料理に手を伸ばした時、遺跡から帰ってきたのだろう冒険者パーティが席を横切る。

それを目で追っていたキリトが口を開いた。

「過去に冒険者の方が騒動を起こしたということは、それだけ多くの冒険者が集まって来るんでしょうか?」

「基本、賑やかなのが好きそうな人種ではあるよな。そういえば、彼女で大丈夫なのか?」

「問題ない。」

アルフが思い出したように言った「彼女」とは、今回ギルド長の推薦を受けてここに派遣されたポニーテールが似合う受付担当のことだろう。溌溂と元気な子ではあるが、騒動を起こす冒険者を彼女が止められるとは思えないらしい。

側から見れば、手に負えない現場に放り込まれただけに映るようだ。


だが、受付担当の事を知っている者からすればそれは愚問だった。

「それに、長はお嬢に後を継がせるつもりだからな。」

「後って…彼女は次期ギルド長候補なんですか?」

「え?」

「あれ?違うんですか?」

首を傾げたキリトに首を傾げて返せば、彼が更に不思議そうな目を向ける。

そこで、少しすれ違ってしまった会話にアルフの声が加わった。

「『継がせる』って、そういうことじゃないのか?」

「あー…それじゃない。」

「どれだよ。」

アルフとキリトが言いたいことが分かり、一つ頷いた。


二人が想定しているのはギルド長という役割そのものだ。

だが、ダンはギルド長としての本来の役割を担いつつもあまりそれに固執しない。ギルドを通すことなく個人的に依頼を回してきたりするのもその為だ。

柔軟と言えば聞こえは良いが、彼の場合はいい加減と形容する方が合っている気がする。

そんな中で受付担当が担うのはあくまで一部…

「抑止力の方だ。」

「「抑止力?」」

「言ってただろ?『修行』だと。」

「…もしかして、毎度冒険者を引き摺ってるやつか?」

「そうだ。」

「えっと、リゼ殿…彼女の実力って…?」

抑止力足り得るとギルド長が認めていたとしても、受付担当から強者の雰囲気は感じられない。実際、彼女が持つものは一般的な強さの基準とは違う。


キリトの疑問にどう応えるべきか迷いつつ口を開いた。

「お嬢は何というか…人間の構造をよく知っているのではないかと。」

「人間の構造ですか…?」

「まぁ、私もよく分かってはいませんけど。おそらく視野、関節の可動域、急所、重心とか…そういうやつです。お嬢は相手が手を出し難い位置を取りながら、気絶させやすい箇所やタイミングを狙うのが上手いです。だからこそ、大抵すぐに方がつきます。」

「相手の力を利用しながらついでに弱点を突く感じですね。」

かなり大雑把な言い方だったが、何となく理解できたのだろうキリトが感心したように呟く。


アルフは手に持つグラスを傾けながら、興味深げに言葉を重ねた。

「基礎体力や筋力が人並みでも、最小の労力で最大の威力が出せるってことか。大立ち回りにはならないから、今回のような混雑する場では寧ろおあつらえ向きだな。」

「あぁ。かなり際どい一撃を入れる時も、お嬢は殺気を全く纏わないからなかなか面白いぞ。」

「…行き過ぎた無邪気……?」

「タチが悪い。」

付け足すように告げた内容に二人は若干引き気味の声を上げた。


御者にお勧めされた店で食事を終え街通りに戻れば、至る所で精霊祭の準備が行われていた。普段は店内に並べられている商品を店先に出したりするのだろう、全体的に雑然とした印象を受ける。

「あ…」

「?」

「どうした、キリト?」

「…!いえ、何でも…」

特に当てもなく歩いていると、街の様子に視線を流していたキリトが小さく声を溢した。

アルフと共に彼へ顔を向ければ、何かを誤魔化すようにキリトは慌てて首を振る。

だが、直前までキリトが眺めていた方向を見遣れば、店員が数冊の絵本を展示するかのように並べていた。その内の一冊に目を留める。

「『千年生きた魔導士』…」

「………」

題名を呟いたアルフが金色の瞳で自身を見下ろしてくると、口端が可笑しそうに笑んだ。その後に続く言葉は何となく分かる。


「君のことじゃないか?」

「そう思うなら労われと言ったはずだが?」

「ははっ。」

「リ、リゼ殿はお若い…はず…」

「自信はないんですね。」

絵本を前にして三人で言葉を交わしていると、それを並べていた年配の店員が不思議そうにこちらを眺めていた。

気付いたキリトが頭を下げると、店員は穏やかに笑う。

「精霊祭は初めてかい?この絵本に興味があるなら、ほら。見てみると良い。」

「あ、ありがとうございます。」

キリトが絵本を受け取ると、店員は別の本でも取りに行ったのか、一度その場を離れた。

祭りの為にわざわざ配置を変えているのだろう、主に精霊が関係する子供向けの絵本が店先で存在を主張している。


「千年生きた魔導士」の絵本をパラパラと捲っているキリトの隣でそれを覗き込んでいたアルフが口を開いた。

「実際、魔導士にとっての精霊はどういう位置付けなんだ?」

「魔導士によるだろ。」

「いやまぁ、それはそうだと思うが…この絵本みたく、友人だとかよく言うだろ?」

「はっ、友人?」

絵本の表紙を眺めながら、アルフの言葉を思わず鼻で笑う。

魔導士にとっての精霊の位置付けなど知ったことではないが、物語上では精霊にはっきりと姿形があったり言葉を発したりと親しみやすく改変されたものが多いのは事実だ。

だが現実に精霊を何かしらの姿として目にすることができるとしたら、それは竜として発現した時か、一つ所に多くの精霊が集まった時くらいなものである。


そして、目に見える程の精霊が集まるということは……

「機嫌を損なえば存在ごと消しに来るような友人か。愉快だな。」

「そ…うでしたね…」

「魔導士は精霊に喰われることもあるんだったな…」

精霊と親和性のある魔導士の身体は精霊によって侵食されることがある。

それはあくまで魔導士が精霊の意思に反した時であり、魔法は魔導士の指揮に従う意思を示した精霊によって展開される為、日常で精霊に喰われる機会は無いに等しい。

寧ろ、精霊を指揮せず魔法を展開したことによって魔導士の身体が崩壊した時に集まる精霊を目にすることの方が多い。

どちらにしろ、存在を確認できる程の精霊が集まるという状態は最早、魔導士にとっては死と同義だ。


「この間の魔導石が完成していたなら、何処かでさぞかし美しい光景が見られただろうが。」

「「………」」

意地悪く言えば、アルフとキリトが息を呑む。

以前アルフが解析を請け負っていた魔導石は対象指定が精霊だった。

もし、付与された意味付けが問題無く機能し、かつ魔力を流して発動させた人間が魔導士であれば確実に精霊に喰われていたはずだ。

「敬い…畏れろ…精霊は畏怖すべきもの……」

視線を地面に落とし、誰に言うでも無く呟いた。


魔導士に精霊が集まる光景…それは、哀しい程に幻想的で腹立たしい程に美しい……


「………」

過ぎる記憶を隠すように静かに目を閉じる。すると、爪先に微かな重みが加わった。

瞼を上げれば、足元に寄り添う黒い子犬が真っ直ぐ自身を見つめている。その姿に緩く笑んで返した。

「あっ、ラズ殿!」

「ラズ?お前今まで何処に居たんだ?」

「………」

アルフとキリトを見上げたラズは、何を今更とでも言いたげに首を傾げた。


そんな彼の小さな身体を抱きかかえ、再び歩き出そうと足を踏み出しながら淡々と言う。

「良さそうな遺跡を見繕って貰っていた。」

「やっぱり、入り浸る気満々じゃねえか。」

「ふっ…」

思った通りに投げられたアルフの声に小さく笑った。

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