52

少年と妹の側で、立ったまましばらく辺りの景色を眺める。

すると、通りに沿うように動く人の流れと違い、こちらに駆けてくる男が見えた。

それを真っ直ぐ注視していると、同様に視線を向けた少年と妹の声が重なる。

「あ…!」

「あっ!」

どうやら、彼らが信頼している人物であることに間違いはなさそうだ。


妹がぱっと地面に足を下ろして嬉しそうに駆けて行ったのを見届け、その場を離れようとローブを揺らす。

「えっ…⁈あ、待って!…て、おい!」

「………」

だが、目敏くもそれに気付いた少年が咄嗟に手を伸ばした。

構わず歩き出せば、ローブを掴んだ少年が引き摺られるようについてくる。


その様を見下ろしつつも、足を止めることなく眉根を寄せて問い掛けた。

「あれは、お前らを迎えに来たんじゃないのか?」

「そうだよ!だから、帰らないと…」

「なら、その手を離せば済むだろう?」

「そ、それは…そうだけど……」

そもそも強引に連れ回している訳ではない。自分と初めて出会った時から少年は自由なはずだ。

少年自身と何より妹を守る為に、彼は選択を繰り返してきた。

その結果、やっと本来の居場所に帰ることができるのだから次にどうすべきかは彼も分かっている。


「………」

「………」

それでも頑なにローブを握り締めて小走りで後をついてくる彼を一瞥し、仕方なく足を止めた。

勿論、足を止めたことで二人を迎えに来た男にも追い付かれる。

その腕に妹を抱きながら向けられる胡乱な眼差しに、やれやれと小さく息を吐く。完全に御門違いというものだ。


だからこそ、すぐに少年へ問い掛けた。

「…で、何だ?」

「俺…あんたの名前も知らないんだけど…」

「聞かれてないからな。」

「ちょっと待ってください!」

妹を抱えた男が少年との会話に口を挟む。それを面倒臭そうに見遣れば、男は僅かに目を瞠りながらも姿勢を正して言った。

「失礼ながら、もしかして貴方がこの子達を連れ去ったのですか?」

「なっ…!違う!こいつじゃない!」

「はっ、無駄な確認に時間を割くな。状況把握ぐらい一人でやれ。」

「………」

彼らを連れ去ったという者が、こんな目立つ所を悠長に歩き回っているはずがない。

おまけに、少年は自ら白いローブを握っているのだ。


少年に対する男の立場がどういうものかは知らないが、突き放すように告げれば彼は眉根を寄せる。

「…では、私をここに導いたのは貴方ですか?」

「それは私でないことは確かだな。」

「そうですか…」

「もう良いだろ!何があったかちゃんと俺から説明するから。今はこいつと二人で話がしたい。」

「…分かりました。」

男は渋々といった様子で承諾すると、少年の言いつけに従ってこの場から距離をとる。


それを見送って、彼はこちらに向き直った。

「なんか…ごめん。俺が引き留めたから…」

「そんなことはどうでもいい。要件は何だ?」

「どうでも…って、本当にどうでも良さそうだな…」

「だから、そう言ってる。」

申し訳なさそうに謝ってくる少年に淡々と変わらない調子で応えれば、呆れたのか安堵したのか小さく息を吐く。そして、改めて口を開いた。

「名前…教えて欲しい。」

「リゼ。」

「リゼ…」

聞かれたことに端的に返せば、少年は同じ音を繰り返す。


こちらを見上げる彼は一度ぐっと唇を引き結ぶと、勢いよく頭を下げた。

「…っ…ありがとう…リゼ…!」

「………」

礼を述べた少年に眉根を寄せる。

何を言っているのか、どうやら彼と自身の間に齟齬が生じているようだ。

この街通りに辿り着くまで、ただただ好き勝手に魔物を狩り続けていた自分の姿を思えば首を傾げるしかない。

「勝手について来ただけだろ。」

「それでも!…リゼが俺達を邪険にしなかったから……」

「『妹が死なずに済んだ』か?」

「っ⁈」

少年の肩が小さく跳ねる。

黙り込んだ彼の身体は小刻みに震えていた。分かってはいたが、少年は最初から妹の身しか案じていない。

攫われてから逃げ出すまでは上手く行ったが、完全に心が折れたのがおそらく金色の毛を持つ魔物に襲われた時。

自分一人が犠牲になるだけでは済まないことを否が応でも理解させられた。

「(…そこに居合わせたのが私か。)」

素材欲しさに突撃しただけなのだが、少年にとっては違ったということ。

突然現れた得体の知れない人物の存在が、あの場で唯一、妹を守れるかもしれない選択肢だった。


「…失いたくなかった。リゼはそんなつもりなくても、俺は助けてもらったと思うから…だから、ありがとう。」

「ふむ。」

あれは何時だったか、同じように金色の毛を持つ魔物を倒した時に装備屋の少女にも似たようなことを言われた気がする。

実際、彼がそう思うこと自体は自由だろう。全力で否定することもない。

これで要件は終わりだろうかと少年を見遣れば、彼は袖口を弄って何かを外していた。

「ん!」

「何だ?」

少年が突き出してきた物を受け取ってみれば、それはカフスボタンだった。

近くで眺めると、何やら紋章が刻まれている。

「リゼの力になれることがあるなら、俺の家を頼ってくれればいい。俺の名前はディオ・…」

「私はお前の家とやらに関わるつもりは無い。」

「…っ!」

名乗ろうとした少年の言葉を途中で遮ると、彼は口を噤む。見上げる視線が不安気に揺れた。


その目を真っ直ぐ見返してからきっぱりと言う。

「私の相手はお前がすれば良いだけだろう、ディオ。」

「あ…」

続けた言葉にディオから微かな声が漏れる。丸くなった目を伏せて、彼はこくりと一つ頷いた。

「分かった!リゼの為なら『俺が』何でもする!」

「…『何でも』はやめておけ。ほら、代わりにやる。」

「?」

意気込んで宣言するディオへ冷静につっこんでやりながら、鞄に手を入れた。

そして彼に差し出したのは「妖精の涙」と呼ばれている雫型の魔石。今朝手に入れたばかりの妖精の素材だ。

不思議そうな顔でそれを受け取ったディオは首を傾げる。


「守りきる為には、まずは自分が生き抜くことだな。」

「…それとこれに何の関係があるんだ?」

「気になるなら調べてみろ。必要なければ売るなり捨てるなり好きにすればいい。」

「そんなことするわけないだろ!」

少しだけ口を尖らせながら、ディオは受け取った魔石を握り締めた。

この様子だと、彼は律儀に魔石について調べることは間違いない。ついでに、初めて会った時にディオが口走った「妖精」がどれほど厄介な魔物かという事実にも辿り着くだろう。


そして、追い払うように手を振って告げる。

「とにかく、もういい加減に帰れ。あいつの視線が鬱陶しい。」

「あ…わっ分かったから、手は出さないでやってくれ!」

じっと睨みつけるような視線を向けていた迎えの男を見てディオは慌てて言う。

例の碌でもない連中が「鬱陶しい」の一言で手酷い目に遭わされていたことを思い出したらしい。

そこまで見境がない訳ではないが、多少の苛立ちを募らせているのも事実だ。


急いで背を向けたディオが、踏み出そうとした足を止めて振り返る。

「…また会えるか?」

「さぁ?望むなら実現する為の行動をするんだな。」

「そっか。またな、リゼ!」

ディオに応えながら自身もその場から踵を返せば、彼のはっきりした声音が背後から届いた。


そのまま周辺を軽く探り、ある路地裏に足を踏み入れる。

「リゼさん、お久しぶりですね。」

「早かったな。探していたのか?」

「いやぁ、相変わらず察しが良い。おっしゃる通り情報回ってたんですよ。そしたら丁度。めちゃくちゃびっくりしましたけど。」

目の前の只人を装う青年が笑いながら言う。

シベル率いる特殊部隊の隊員は、最近よくこの街にも出入りをし始めた。

そのきっかけは間違いなく自分だが、サーシャの作る装備類が彼等の間で評判となったことが出入りを継続している最たる理由だ。

だからこそ、この街通りを二人を連れて歩けば誰かしら動くと思っていた。

結果が出るのが想定よりも早かったのは、既に隊員達の間で捜索が開始されていたからだったようだ。


「それにしても、随分と気に入られましたね。」

「私は大して相手をしてないんだがな。」

「そうなんですか?因みに、二人を連れて何をしてたんです?」

「魔物を狩ってた。」

「いや…何してんですか、あんた。」

正直に言えば、子供二人を連れたままいつも通りに振る舞っていた事実に隊員は真顔でつっこんでくる。

だが、何かに気付いて声を上げると更に尋ねる。

「あっ、ということは…あの子達はリゼさんの行動範囲に居たと…何処かの遺跡か魔力溜まりの近くですか?」

「あぁ、魔力溜まりの近くだ。攫った連中の所から逃げて来た場に居合わせた。」

「首謀者は生きてます?」

「知らん。運が良ければ生きてるか、何かしら残ってるんじゃないか?」

「…うわ、それ魔物に喰われてなければってことですよね……」

「今日は荒れてたからな。」

「えぇー…」

若干引き気味の声を上げた隊員は、その場所を尋ねてくることはなかった。さっさと諦めたらしい。


「ところでリゼさん、何か良い話ないですか?」

「あー…」

代わりに別の情報提供を求めてきた彼を一瞥し、少し考える。

おそらく、今日はかなり気を遣ってくれたはずだ。ディオ達を迎えに来た男は一人だけで、見当違いの不愉快な視線を向けながらもそれなりに振る舞いを弁えていた。

なるべくこちらの気に触る事が無いようにとの隊員の配慮があってこその人選だったのだろう。

ただ相手側の身の安全を考慮しただけかもしれないが、何かしら目の前の彼に得るものがあってもいいかもしれない。


そんなことを気まぐれに思い、口を開く。

「これから妖精の素材をサーシャに売りに行くところだ。」

「えっ…それ本当ですか…?」

「ほら。」

「隊長ー!」

取り出して見せた美しいベールに、途端に驚きの表情を見せた隊員が慌てて通信機を取り出してシベルに繋ごうと操作する。


そんな彼を放ったまま路地裏から離れると、人の行き交う賑やかな街通りに戻ってきた。

「(…あとは、納品と同時に妖精の素材を使った依頼があるかもしれないことをサーシャに伝えておけば見返りとしては十分だろう。)」

軽く口端を上げ、装備屋の少女の喜ぶ様を楽しみに足を早めた。

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