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空っぽになっていたグラスに水が注がれる。顔を上げれば相変わらず無表情の店員と視線が合った。

「今日も遺跡に行かれていたんですか?」

「今日というか昨日からだな。異空間だが。」

「…え?異空間は泊まり込むような所では無いのでは?」

「別に禁止されている訳でもない。好き勝手にするさ。」

「好き勝手にできるもの…でしょうか…」

「やろうと思うか思わないかの違いだ。」

「あぁ…」

遺跡や異空間に詳しくないのだろうタキにも、そこが安心して夜を越せるような場所でないことくらいは分かっている。

だが、そんな所でも何をどうするかというのは個人の自由だ。

グラスに注がれた水を飲み干し、カウンターに代金を置いて立ち上がった。

「ご馳走様でした。」

「はい。ありがとうございました。」

声を掛ければ、軽く頭を下げたタキに見送られる。


店の外に出ると屋根の上で待っていた真っ黒な子犬がすぐ隣に降り立つ。

そのままラズを連れて進む先に見覚えのある人物を捉えた。

「キリトさん…?」

首を傾げて小さく呟く。

まだ少し距離があるが、栗色の髪で背の高い後ろ姿はキリトで間違いないだろう。

だが、彼の側に立つのは濃紺の髪を持つ人物ではない。

何かあったのだろうかと、そんな光景を眺めながら歩く。

「本当にありがとうございました!あの…お礼にご馳走させてください!」

「いえ、お気遣いなく。当然のことをしたまでです。」

「いいえ!是非、お礼をさせてください!」

「え…えっと…?」

何やら押しが強そうな女性に迫られている。何故そうなったのかは知らないが、キリトのことだ、困っているところを助けたとかそんな感じだろう。


すると、ラズが彼の足元に駆けて行った。

辿り着いた先でキリトの爪先に前足を乗せると、気付いた彼が声を上げる。

「えっラズ殿⁈…ということは……」

そして、後ろを振り向いたキリトと視線が合う。途端に彼がぱっと嬉しそうに破顔した。

「リゼ殿!」

「………」

ぶんぶんと尻尾を振っている幻覚が見えるが、取り敢えず小さく頭を下げた。

歩を進めて側に立てば、キリトが尋ねてくる。

「最近はこの辺りにもよくいらっしゃっているんですね。確か、報酬分の食事は終わっていると聞きましたが…」

「まぁ、たまに寄っているので。」

「じゃあ、今日もタキ殿の所で?」

「はい。」

「うーん、それは残念です。」

残念というのは餌付けの機会を逃したということだろうか。相変わらず余念がない。


そんな彼を見れば、買い出しに来ていたらしく食材が入った紙袋を抱えている。

先程から呆気に取られている女性を一瞥し、キリトに問い掛けた。

「アルフがお腹を空かせて待っているんじゃないですか?」

「…何でしょう…物凄く似合いませんけど、そうかもしれないです。」

「帰りますか?」

「…⁈」

掌を上にしてすっとキリトに片手を差し出せば、彼は少し目を丸くした。

だが、すぐにぽんっと手を重ねてくる。

「なんだかダンスに誘われてる気分です。」

「…そうですね。」

正直、自分としては飼い犬がお手の指示に応えてくれた気分だったが口にはしない。

そして、キリトと手を繋いだまま女性の方に視線を遣れば、彼も同様に彼女へ向き直る。

「あ、お礼は本当に気にしないでください。では、失礼しますね。」

「え…えぇ。」

丁寧に言葉を述べたキリトに、女性は諦めたのか素直に頷いた。

それを見届けてからキリトの手を引いて歩き始めたところにラズが続く。

場所を変えて魔法を展開すると、すぐに見慣れた建物が目に入った。


「…着きました。」

「はい、ありがとうございます!」

初転移の時は振らついていたキリトも、今回はしっかりと地面に足を着いた。

彼といいアルフといい、感覚を掴むのが早い。

屋敷の前に転移して、キリトと一緒にそのまま玄関先に向かう途中、丁度アルフと出くわした。

「キリト。リゼ。」

「アルフ様、研究室にいらっしゃったのでは?」

「ちょっと行き詰まったから気分転換だ。」

そう言って、手に持っていた木剣を軽く持ち上げてみせる。

キリトと共にいることから街で偶然会ったことを察したのだろうアルフは、そのまま繋がれた手に視線を遣る。

「何だ、送ってもらったのか。」

「はい!リゼ殿にエスコートしていただきました!」

「…エスコート……」

「………」

繋いだ手を振りながらにこにこと宣言するキリトを眺めながら、アルフは何処か納得し難い表情になった。


だが、そんなアルフに構うことなく手を離したキリトは屋敷の玄関口へ向かう。

「すぐに食事の準備をしますね。リゼ殿にはお茶をご用意しますので、帰ったら駄目ですよ?」

いつものように引き留めてくると、キリトは屋敷の中に消える。

彼に続くようにアルフがすぐ隣を追い抜いて行くが、思わずといった様子で呟いた声が微かに耳に届いた。

「…駄目だ……犬の散歩としか思えん……」

「………」

そう言ったアルフの背を見送って、ラズと無言で顔を見合わせた。



「依頼は?」

アルフとキリトが食事を終え、ひと段落ついたところで取り敢えず尋ねる。

そもそも今日は屋敷に来るつもりはなかったが、成り行きとはいえこの場に居るついでだ。

こちらの問う声にアルフはちらと視線を上げ、僅かに眉根を寄せた。

「あー…無いことも…ない。」

「…?」

何処か歯切れの悪い言い方に小さく首を傾げる。するとキリトが何かに気付いたのか声を上げた。

「あっ、もしかして例の魔導石ですか?」

「あぁ。」

「…『例の魔導石』?」

何のことだと聞き返せば、アルフとキリトが無言で視線を交わす。

キリトがティーカップを片付け始め、アルフは少し顔を顰めながら口を開いた。

「魔導学院から魔導石を一つ預かってるんだが、どうやらただの魔導石じゃないらしくてな。解析しようにも上手くいかねえんだよ。」

「元々魔導学院でも解析できなくて、アルフ様の所に持ち込まれはしたものの途中までしか分からないんですよね。」

「へぇ。」

何やら手こずっているらしいが、魔力関係の専門家が揃っているだろう魔導学院からの依頼ということに素直に感心する。

おまけに、そこでお手上げだったものを途中まではやり遂げているらしい。

「リゼは魔導石なら意味付けが読めるよな?」

「まぁ、多分?」

明確な肯定を避ければ、二人が意外そうな表情をする。それを一瞥しながら軽く肩をすくめてみせた。


実際、何事にも例外はある。厄介そうな魔導石と聞いて、可能と断じるのは過信というものだろう。

「…なら、取り敢えず見てくれ。」

「ふむ。」

そう言って、アルフが席を立つ。

意味付けが分かっても分からなくても、どちらにしろ解決の糸口が掴める可能性があると判断したようだ。

ついてくるように促す彼の指示に従って、その場から立ち上がった。

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