47

一体どれほどの時間が経っただろうか。

とっくに日が暮れた真夜中、目の前には白金色のバングルが一つと紙が一枚置かれている。

それらを宿屋の一室でずっと眺めていた。

「『会いに行くから待っていて欲しい』…か…」

何時か何処かの明記は一切無く、それだけが一言綴られた紙を見て呟く。

待てと言われても、この部屋に篭っているだけで何が出来る訳でもない。


小さく息を吐いて寝具へ仰向けに寝転がる。

それとほぼ同時だった。

「っ⁈」

視界の隅に人影を捉えて、慌てて身を起こす。扉が開いた音も無く、ただそこに佇む何かに反射的に身構えた。

だが、こちらを落ち着かせるかのように相手は微動だにしない。

視線を上げると、真っ白なローブが見えた。


「君は昼間の…リゼさん?」

「………」

突然目の前に現れた人物に目を丸くしながらも、未だ新しい記憶にその姿を重ねて尋ねる。

確かに彼女は「リゼ」と名乗っていた。

だが、その問いを受けてリゼは困ったように首を傾げた。

「あ…」

途端に心の奥底から何かが込み上げてくる。

いつの間にか渡された一片の紙に書かれていた大切な名前。

そうだ、違う。目の前のこの子は…


「メアリーゼ…」

「リックおじさん。」

彼女の口から紡がれた言葉が心を満たす。

初めから抱いていたどうしようもない愛しさは間違いではなかった。

「おいで。メアリ。」

「…!」

両腕を広げて見せると、メアリはその形の良い唇を引き結ぶ。

一歩ずつ近付く彼女が自身の懐に収まると、それを優しく抱き締めた。

子どものいない自分にとって唯一無二の娘たち…

「良かった…生きていたんだな…本当に良かった…!」

声が震える。涙が溢れた。もう二度と会えないと思っていた存在が生きてここに居る。

これ以上の幸せはないだろう。


だが、それと同時に悟ってしまった。きっと、もう一つは戻らないのだと。

「メアリ…」

「………」

腕を緩めてメアリを見下ろすと、彼女は星を湛えた夜空の瞳を真っ直ぐに向けた。

その姿に躊躇うように言葉が一時途切れる。

間違いなく辛い記憶のはずのそれを聞いてしまって良いのだろうか。

「(いや、それでも…この子の口から聞かなければ…)」

覚悟を決めて彼女の肩に手を置くと静かに口を開いた。


「…レイアは?」

「………」

続きの言葉は既に分かっていたのだろう。

メアリはその幻想的な瞳の色彩を瞼の裏に隠すと、俯いて小さく首を振った。

「そうか…」

彼女の柔らかい髪をゆっくりと撫でた。自身の服を握るメアリの手に力が込もる。

「…ごめんなさい…守れなかった。」

「(あぁ…この子はもう……)」

泣き喚くこともなく、ただ短く言葉を紡いだ彼女に胸が締め付けられた。

背負い込んだ過去をたった一人で飲み込み、それを既にたった一人で昇華してしまったことに。


「側に居てやりたかったなぁ…ごめんなぁ…」

今よりも幼かっただろう当時のメアリへの思いが口をつく。

それを聞いた彼女はただ優しく微笑む。

誰を責めるでもないメアリは、おそらく彼女自身を責めただろうか。それは或いは今でも…

「生きていてくれて、ありがとう。」

「…!」

心からの言葉にメアリは僅かに目を瞠り、そして泣きそうな顔で笑った。


そして、静かに口を開く。

「でももう、メアリーゼは居ないよ。」

「…そうか。」

こちらを見上げる彼女の瞳には、かつての空は無い。だが、どんな姿であってもメアリは自身の唯一だ。

既に過去の存在だというならば、今の存在ともう一度家族になればいい。


「今のメアリのことを教えて欲しい。」

「………」

穏やかにそう告げれば、メアリはこくりと頷いた。

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