46

大柄な男がその体を小さく丸めて、自分達の向かいに座っている。

店のテーブルに置かれた三つのアイスコーヒーには未だ誰も手を付けていない。

溶け出した氷がグラスの中で音を立てると、目の前の男は徐にテーブルに両手をついた。

「ほんっとーに、すまなかった!」

「「…⁈」」

テーブルに打ち付けるかのような勢いで頭を下げた男に苦笑を溢す。

「遠目から姿が似ていたからつい…よく確かめもせずに申し訳ない…さぞ不快だっただろう…」

「リゼ。」

「………」

恐縮しきりの彼の言葉を聞きつつ、隣に座るリゼに声を掛ける。

彼女はちらりとこちらを見上げると、目の前の男に視線を移して言う。

「別に良い。害意は無かっただろう。」

「…なんだろうな…それはそれで心配になるんだが…」

「リゼ…」

害意がなければ良いのかと二人して微妙な視線を向ける。


だが、本当に気にしていないのだろうリゼは、そのままアイスコーヒーのグラスに手を伸ばす。その様を横目に、男に尋ねた。

「…そんなに似ていたのか?」

「それはもう…っと、すまない。名乗ってすらいなかったな…」

男は質問に応えようとして慌てて居住まいを正すと、改めて口を開く。

「私の名はリック。今は鍛冶職人だ。ここから反対…王都を挟んで東側の村に住んでいるんだが、さっきの店は馴染みでな。久しぶりにお邪魔していたんだ。」

よろしくと言って、リックは再度頭を下げた。

彼の外見は某ギルド長のような強面だが、その表情や雰囲気は優しく穏やかだ。


現在、六体の子犬と屋敷で留守番中だろう人物を何となく思い起こしながら口を開く。

「俺はアルフ、こっちが…」

「リゼ。」

「アルフ君とリゼさんか。本当に驚かせて悪かったね。」

リックの声色に困ったような何処か寂しそうな複雑な感情が滲む。

そんな彼をリゼが真っ直ぐに凝視した。

気付いたリックが彼女と視線を合わせると笑顔を浮かべて言う。

「顔立ちも佇まいもそっくりだが、その瞳はメアリとは真逆だね。」

「真逆?」

「あの子…メアリの瞳は昼間の…晴れた青空みたいな澄んだ水色だったんだ。」

「…晴れた青空……」

懐かしむように応えたリックの言葉を繰り返して呟く。

以前、その特徴を聞いたことがある気がする。


記憶を探りつつ、話を続ける彼の声に耳を傾けた。

「髪は赤みがかった銀髪で、光を浴びて淡く桃色を帯びるんだ。まぁ、外見は可憐な娘なんだが…華奢な身体に似合わず力が強くて、身体能力が異常なまでに優れていた子だったから…こう……剣を担いでふらりと出て行っては…魔物の素材を抱えて帰ってくるっていう……」

「そっくりじゃねえか。」

「………」

懐かしそうに語っていたリックが段々と項垂れていくと、最後、頭を抱えて言葉が途切れた。

隣に座るリゼを見遣って言えば、彼女は我関せずといった様子でふいと視線を逸らす。


最早同一人物ではないかと思える程その行動が一緒だが、そこで思い出した。

「(…身辺調査の時に出てきた子だな。)」

かつてシベルに依頼した一件で報告された情報の一つだ。

可憐な見た目に反して背に担いだ剣を豪快に扱う少女。

夜空とは真逆の空色の瞳を持ち、決定的にリゼと違うのが、その人物は魔導士ではないということ。

偶然にも、またその人物の話を聞くことになるとは思わなかったが、とても近しい関係だったのだろうリックから見てもリゼとはかなり似ているらしい。


すると、しばらく頭を抱えていたリックが気を取り直すように顔を上げた。

「まぁ、出かける前にはきちんと声を掛けてくれるし、絶対に私の所へ帰って来てくれる子ではあったが……とにかく、強くて優しい自慢の娘だよ。」

「………」

そう言って、リックは誇らしげに笑う。

だが、今までの彼の話し方とリゼを見た時のあの切羽詰まった表情は、何か事情があることを物語っていた。


そして、それはおそらく…

「行方不明にでもなったか?」

「おいっ…!」

「………」

名乗ってからずっと黙りこんでいたリゼが、一切の気遣いもなく問い掛けた。

咄嗟に叱りつけるが、彼女の視線はリックに向けられたままだ。

星が瞬く夜空の瞳に見つめられ、彼は小さく息を呑む。

それでもリックは嫌な顔一つすることはなく、ただ諦めたように肩を落とした。

「…三年前にね。突然別れの言葉を告げられて、そのまま行方知れずだ…多分もう…」

「(…亡くなっている…か…)」

消え入りそうな声で呟いた彼の言葉の先を察して、眉根を寄せる。

きっと、そう思ってしまうような証拠があるか、それに相当する出来事があったのだろう。

それでも、心の何処かでは諦めきれていなかった。だからこそ、リゼを見つけて冷静さを欠いてしまった結果が今だ。


「そうか。」

質問に応えたリックに対してリゼはたった一言だけを口にすると、店のメニュー表を眺め始めた。

その姿を見て溜息を吐きつつ、取り敢えず彼に小さく頭を下げた。

気付いたリックは気にするなと言うように

片手を上げる。

彼がリゼに向ける視線はどこまでも柔らかく温かい。随分と「メアリ」という少女を大事にしていたようだ。


だが、そのまま小さく首を振ると彼はゆっくりと席を立つ。

「迷惑をかけたところで申し訳ないが、まだ仕事が残っていてね。そろそろ戻るよ。これで好きな物を頼んでくれ。」

そう言って最後にまた頭を下げると、店を出て行った。


彼の姿が消え、リゼと二人だけになったところで口を開く。

「リゼ。」

「何だ?」

「どうして避けなかった?」

そもそも初めから違和感があった。

害意の有無に関わらず、彼女の実力を持ってリックの行動を避けられなかったはずがない。

今この瞬間に、自分が彼女に何かしようとしたところで逆に一瞬で返り討ちにできてしまうような人物だ。

もし、反撃をしないというならば、それは偏にリゼが許容したからに過ぎない。


「………」

「………」

リゼは視線を真っ直ぐ前に向けたまま、しばらく何も言わなかった。

これは、はぐらかされるだろうかと思った時、独り言を呟くような声が耳に届く。

「…避けなかったんじゃない……」

「え…?」

「…ただ…避けられなかったんだ。」

「…っ⁈」

そう言った彼女の表情は酷く寂しげで、今にも泣きそうに見えた。

だが、それはすぐに隠される。

リゼは何事もなかったかのように店員を捕まえると、注文を入れ始めた。


「(…あぁ…そうか…)」

唐突に、以前リゼが語った人物像を思い出す。

「(太陽のような金色の瞳と…水色がかった銀髪……)」


もしかするとリゼは、唯一の存在を亡くしたことがあるのかもしれない…



「ふぅ…」

訪れていた顔馴染みの鍛冶屋を出て宿屋に帰る道中、深く息を吐いた。

思い出すのは、懐かしさと寂しさを覚えずにはいられない姿。

だが、そこに在るのは見慣れた色彩ではなく、神秘的とも言える星を湛えた夜空。

「(あんなにも似ているというのに……)」

大事なあの子と違うと分かっても、何故かどうしようもなく愛しく思えた。


街中ですれ違う人々の足音や声を聞きながら、赤みを帯びてきた空を見上げる。

「…ん?」

不意に上着のポケットに重さを感じた。

不思議に思いつつ確認してみると、ポケットに入れたはずのない何かが入っている。

掴んで取り出してみると、白金色のバングルが一つ。そして、それには一片の紙が括り付けられていた。


「え…」

そこに書かれていた差出人の名前に思わず声が溢れた。

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