45
「………」
「………」
目の前の光景に言葉が無くなった。
視線の先では、キリトが開けた部屋の扉の前に、黒い子犬がちょこんと座っている。
そこまでは良かったがそこからが問題だった。
何処からともなく見慣れた黒い子犬が歩いてきたかと思えば、先程から座っていた子犬の隣に並んで座った。
そして、全く同じ姿形をした二体の…ではなく、全部で五体の子犬が行儀良く座ってこちらを見る。
「「…⁈」」
しばらくして止まった思考が動き出すと、既に来ているだろう人物の名を二人して口にした。
「リゼ!」
「リゼ殿ー!」
「…何だ?」
こちらの混乱などお構いなしにいつもの調子で返事を寄越した人物が、もう一体の黒い子犬を抱えて姿を見せる。
「まだ増えるんですか⁈」
「いえ、今はこれで全部です。」
「説明しろ。」
凄むように問えば、リゼは抱いていた一体のラズを床に下ろしながら淡々と応える。
「異空間のせいで増えたんだ。出てきても影響が残るらしくてな。これでも最初から数は減ったぞ。」
「何体になってたんだよ…」
「最高十六体だ。」
「…そうか。」
机の上に軽々と飛び乗って自身の目の前に座った一体の頭を撫でる。
そして、諦めたように溜息を吐いた。
最高十六体のラズから今は六体のラズになったということは、影響が抜け切るまでまだ時間がいるのだろう。
異空間とは本当に大抵狂ってるらしい。
「いつかリゼの性別が変わったとか言ってきそうだな。」
「あれは、なかなか不思議な感覚だった。」
「…あるのかよ。」
「…うわぁ、それすごく興味あります。」
この容姿をベースにした男とは一体どんな感じなのか。
二人してリゼに視線を遣れば、彼女が首を傾げて問い掛けてくる。
「…?行ってみるか?もれなく全員の性別に影響が出るが。」
「「保留で。」」
キリトと声が重なった。
流石に思い付きで行こうとは思えない。遺跡には魔物がつきものだ。リゼが居るとはいえ、自分の身にそんなことが起きた状態でまともに動ける気がしない。
冒険者という者達は、突飛な事態に見舞われても騒ぎながらどうにかするのだろうが、生憎、自分もキリトも冒険者ではない。
ただ、興味はある。
いずれ心構えができたら依頼することにして、目の前に座る二体のラズを両手で撫で付けた。
それを眺めながらリゼが尋ねてくる。
「依頼は?」
「…街通りまで付いて来て貰おうと思ったが…これはな…」
「私がラズ殿と留守番しますので、どうぞ!」
「「………」」
三体のラズをまとめて抱えたキリトが嬉しそうに言う。
犬が犬を抱いているような光景に、リゼと無言で視線を交わした。
「剣の強化?何の為に?」
「まぁ、ほぼ成り行きだ。鼈甲蜥蜴の素材を扱いたかったらしい。」
リゼを伴って街通りを進む道中、彼女の問いに応える。
鼈甲蜥蜴祭に参加した後、馴染みの鍛冶屋に剣の状態を確認してもらった。
その時の話の流れで、鼈甲蜥蜴の素材を使った剣の強化に行き着いた。
出てきた魔物の名にリゼは察したように小さく頷く。
そんな彼女を眺めながら、更に付け加えて言う。
「それにリゼはあの時、妥協したみたいだったからな。」
「…?…何のことだ?」
「双刀熊だ。俺に剣を借りただろ。」
「あぁ…」
思い至ったことにただ声を溢したリゼは特に否定もしない。
当時、双刀熊の魔物肉を手に入れる為に貸した長剣を軽く振った彼女は、剣を見ながら少し考え込んでいた。
その様を見て感じていたことだが、どうやら間違っていなかったらしい。
すると、思い出すように視線を上に向けていたリゼが口を開く。
「良い剣だと思ったが。」
「あくまで支障が無い程度ということだろ?」
「そうだな。」
問い返せばあっさりと肯定を寄越される。
そもそも、魔物との対峙が日常で尚且つ強者を好むリゼとは想定している基準が違う。
だが、そこで気付いた。
「リゼは短剣以外は持っていないのか?」
「………」
遺跡内で色々な物を転移させていたことを思えば、物さえあれば借りる必要など無い。
それでも剣を借りたということは、普段から腰に携えている短剣以外持っていないということになる。
リゼはこちらを一瞥してしばらく黙り込んだ後、淡々と応えた。
「持っていた…が、今の私に必要だと思うか?」
「………」
彼女の言葉に今度は自分が無言になる。
そもそも魔導士で剣を振り回していることが一般的ではない。それを主に実戦で使うというのは尚更である。
実際、双刀熊の討伐も長剣が無いなら無いでリゼにはいくらでも取れる手段があったはず。
過去に所持歴はあるようだが、今は短剣で十分と言いたいのだろう。
だが、彼女が長剣も難なく扱えることはよく知っている。
普段使わないとはいえ、様々な魔物素材を用意できる彼女が一つもそれを持っていないことに少し違和感を覚えた。
誂えておけば使う機会もあるだろう。だからこそ他の理由を勘繰ってしまう。
「かなり魔力が要るとでも言われたか?」
「ん…?あ…」
思考を遮るリゼの唐突な問いに一瞬何を聞かれているのか考え、そして思い至る。
「よく分かったな。鼈甲蜥蜴の素材で元々の剣の強化はできているらしいんだが、魔力に晒せば更に良くなると言われた。やってくれるだろ?」
「最早魔力溜まりと同じ扱いか。」
心外だと言うどころか、寧ろ愉快そうにリゼが笑う。
鼈甲蜥蜴の素材を使った武器は魔力に晒すことで更に強化される為、彼女の言葉通りよく魔力溜まりの近くに保管される。
だが、晒す魔力は自然界のものに限定されないことから、自身の持つ魔力を流しても構わない。
また、魔力によって強化に違いが出てくることもある。
「どうせなら、俺が知っている中で一番強い魔力が良い。」
「折れても知らんぞ。」
「折るなよ。」
どれだけの魔力を流そうとしているのか、揶揄うようにリゼが言う。
それに軽くつっこみながら、丁度辿り着いた店の扉へ手をかけた。
中に入れば、気付いた鍛冶屋が振り向く。
「お、アル…っと、その子か?この間言っていたのは?」
「あぁ、俺の剣は?」
「ちょっと待ってろ。おーい、アルの剣持って来い!」
「うーす。」
そう言って作業場の奥に声を掛けると、見習いの一人が剣を抱えて出てくる。
それを受け取って鞘から抜き取り、そのまま隣に立つリゼへ差し出した。
「ん。」
「………」
彼女は目の前に掲げられた刀身に視線を流すと、深く被っていたフードを徐に脱いだ。
薄く紫色に光を反射する銀髪が露わになり、鍛冶屋と弟子が思わず息を呑む。
差し出された剣を受け取ったリゼは、更にまじまじとそれを眺めた。
「…アル……何というか…『如何にも』な子を連れてきたな…」
「折れるかもしれん。」
「…できれば折らないでくれるか?」
彼女が揶揄うように告げたことを同じように口にしてみれば、冗談だと疑われることもなく心配そうに返される。
そんな言葉を交わしているとリゼがふと顔を上げた。
こちらを見上げる夜空の瞳を見返しながら尋ねる。
「どうだ?」
「すぐ出来る。」
「じゃあ、頼む。」
「分かった。」
「えっ⁈何日かに分けないのかい?」
「必要ない。」
驚く鍛冶屋を他所にリゼは剣を持ち直してから、すっと視線を落とす。
すると、刀身が淡く水色と金色の光を帯びた。だが、その光はすぐに消え、遅れて白い粒が舞うとこれもやがて消える。
あまりにも幻想的なその光景に、僅かな時間ながら全員が釘付けになっていた。
「アルフ。」
「…あ…あぁ、ありがとう。」
リゼは何事も無かったかのように名を呼ぶと、持っていた剣を返してくる。
礼を言いつつ受け取れば、窓から差し込んだ光で刀身が淡く水色と金色を帯びた。
刀身自体が色付いた訳ではないが、その淡く反射する光で確実にリゼの魔力だと分かる。
「…はー…こりゃ綺麗だなぁ。ムラなく緻密で、かつ豊潤…」
「凄いですね…まさしく鼈甲蜥蜴の素材を最大限に生かした状態ですよ。」
「魔力が通る箇所を正確に辿らないとここまでいかんだろうな。」
「だからこそ普通は魔力溜まりの近くで少しずつ蓄積していくんですよね。」
「それと同程度…いや、密度が高いか…?」
「そうなんですか…?」
「「………」」
リゼの魔力に晒された剣を前に、鍛冶屋とその弟子一人が何やら興奮気味に言葉を交わす。職人だからこそ分かる何かがあるのだろう。
ただ、二人の言い様から剣の強化に申し分はなさそうだ。
「(…今度魔力溜まりにでも行ってみるか。)」
そう思いながら、刀身に視線を流して鞘へと納める。
鍛冶屋は何処か名残惜しそうに、腰に携えられた剣を目で追っていた。
「世話になった。帰るぞ、リゼ。」
「あぁ。」
既に加工料は支払っていた為、そのままリゼを連れて踵を返した時だった。
俄かに作業場の奥が騒がしくなったと思えば、一人の大柄な男が飛び出して来る。
「メアリっ!!」
「…!」
「っ⁈」
誰かの名を呼びながら、男は勢いよくリゼを抱き締めた。
突然の出来事に彼女は僅かに目を瞠る。
「………」
「…!…おい、ちょっと待て…!」
一体何が起きたのか、その場の時間が一瞬止まったかのように思えたが、はっと我に返ると、未だ抱き締められたままのリゼに慌てて手を伸ばした。
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