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食事を終えてグラスに口を付けると、目の前に別の皿がことりと置かれる。そこには沢山の果物で彩られたタルトがあった。

頼んだ覚えのないものに首を傾げ、カウンターを挟んだ向かいに立つ無表情の店員を見上げる。

「試作品ですが、ご迷惑で無ければどうぞ。お金は要りません。」

「………」

「…それと、少々お伺いしたいことが。」

「何だ?」

試作品として差し出されたタルトをそのままに彼を無言で凝視すれば、耐えきれずに本音が出てくる。

それに口端を上げ、タルトにフォークを突き刺しながら先を促した。


「『雫の果実』をご存知ですか?」

「魔物素材だな。確か…湖仙だったか。」

「はい、流石で……もしや…討伐経験がおありで?」

少しだけ驚いた様子を見せた店員を一瞥し、隣の椅子に行儀良く座る黒い子犬と視線を交わす。

ゆっくりと尻尾を揺らすラズの頭を軽く撫でて応えた。

「正確に言えば討伐したのはラズの方で、私は見ていただけだ。」

「そう…なんですね。湖仙はあまり見られない個体とのことですが…」

「らしいな。魔力溜まりでしか確認されていないとか。」

「はい。あの、その時の素材はどうされましたか?」

「長…ギルド長にカツア…納品した。」

「今カツアゲと言いかけませんでした?」

以前も似たようなやり取りがあった気がするが、淡々と寄越されたつっこみに軽く肩をすくませる。


すると、それを見た店員が続けて言う。

「では、『雫の果実』が食べられるという話を信じますか?」

「…へえ。」

彼の言葉に興味を惹かれて声を溢す。

魔物である湖仙の素材は「雫の果実」と命名された美しく透き通った桃色の魔石だ。

「生憎、魔石を食べようと思ったことは無いが面白そうな話だな。」

そう口にしたところでラズが喫茶店の入り口を振り返る。

同時に扉が開くと見慣れた姿を捉えた。


「リゼ?」

「リゼ殿!」

太陽のような金色の瞳が意外そうにこちらを見つめ、ライトグリーンの瞳は嬉しそうに輝いた。

二人から視線を外して最後の一口となったタルトを口に入れると、アルフとキリトは当たり前のように自身の隣へ腰掛ける。

「お屋敷以外でお会いするのって新鮮ですね!」

「そうか、ここでの食事が報酬だったか。」

「まぁな。」

シベルからの依頼を完遂したことで、その報酬としてこの店で四十五回分の食事を受け取った。

以降、こうして足を運んではタダ飯をいただいている。


すると、先程から空になった皿をじっと見ていたキリトが店員に言う。

「タキ殿、リゼ殿は何を頼まれたんですか?」

「え?あぁ、これですが…」

「じゃあ、同じのください!」

「は…はい。畏まりました。」

最近、アルフの護衛の餌付けに何やら全力を注いでいるらしいキリトは、好みの調査に余念がない。

食い気味に注文を受けたタキは若干引いているが、気を取り直すようにアルフへ尋ねる。

「アルフさんはどうされますか?」

「俺も同じので良い。」

「分かりました。」

二人分の注文を受けて淡々と承諾を返すと、彼がそのまま背を向ける。


「あ、それはデザートのお皿ですね。」

「…目敏いな。」

先程食べ終えたばかりのタルトがのっていた皿をキリトが見つけるとアルフが呆れる。

それを聞きながら食事の準備を続けているタキの背を眺めて、キリトに応えた。

「ただの賄賂ですよ。」

「っ⁈」

「「賄賂?」」

聞こえてきた言葉にぱっと振り向いた店員へアルフとキリトが疑問の眼差しを向ける。

「えっと…」

二人の視線を受けながらどうしたものかと思案するタキが伺うようにこちらを見た。


その様子から察したアルフが声を掛ける。

「もしかして何か依頼してたのか?必要なら席を外すが…」

「あ、いえ、依頼という程のことでは…少し魔物素材についてご相談をしていただけで…」

タキは二人にも湖仙の魔石について同様に話をした。

それを聞いたアルフが尋ねてくる。

「魔石って食えるのか?」

「私に聞くな。寧ろ知りたい。食べられるのか?」

「俺に聞くな。」

「何の争いですか、お二人とも…」

アルフとのやり取りにキリトが苦笑を溢すが、すぐにタキへ質問を投げる。

「あの、そもそも何処からそんな話が?どなたか魔石を食べられた方でも?」

「いえ、食べたかどうかまでは…ただ、レシピが見つかったんです。」

「レシピ?」

「これです。」

そう言って彼はポケットから数枚の紙切れを差し出す。三人でそれを覗き込む所にラズも倣う。


その用紙には初めに、砂糖漬けとそれを使ったケーキの作り方であることを示していた。

分量や手順などが細かに記された内容は、ぱっと見ただのお菓子のレシピに見える。

だが、砂糖漬けに使われる材料の一つだけが明らかに異彩を放っていた。

「本当に『雫の果実』って書かれてるな…」

「別の果物をそう呼んだ訳ではないんでしょうか?」

「これは曽祖父のレシピ帳に挟まっていたものです。個人的なものにそんな暗号めいたことをする必要もないかと…」

数枚だけで切り取られていたというこのレシピを読んでみれば、ただの砂糖漬けとするにはあまりにも材料と過程が多そうだ。

記された通り、魔物素材である雫の果実を使用する為に作られたように見える。


「聞いたことのない食材が書かれているなと思っていたのですが、調べてみれば魔物の素材ということで、お詳しそうなリゼさんにお伺いした次第で…」

「素材自体は知っているが、魔石を砂糖漬けか…」

「何でやろうと思ったんだろうな。」

「美味しそうだったんじゃないですか?」

置かれたレシピを眺めながら全員で言葉を交わす。

そして、レシピから視線を外して思い出すように宙を見つめた。

次いで、アルフの声が耳に届く。

「それにしても、また絶妙な奴持ってきたな…」

「そうですね。」

「?」

アルフが呟いた言葉にキリトが同意する様を見てタキが首を傾げる。

それを一瞥しながら腰を上げた。


「行くのか?」

「『行く』というか『帰る』というか…」

「白の遺跡ですね!お気を付けてリゼ殿。」

「まぁ、すぐ戻ります。」

アルフとキリトに応えてラズを残したまま席を立つと、タキは不思議そうに声を溢した。

「…?…あの…」

「気にするな。すぐ戻るらしい。」

「タイミングが合えば良いですね!」

「え…?」

訳知り顔で言うアルフとキリトにタキの声音が戸惑いを帯びる。

そんな三人の会話を背に喫茶店の扉を潜った。


「居たぞ。」

「早いな。」

「お帰りなさいませ、リゼ殿。」

再度、喫茶店の扉を潜れば、空になった皿を前に寛ぐアルフとキリトが居る。

二人に出迎えられながら、魔石を一つ、テーブルに置いた。

それを見たタキが小さく呟く。

「本当に…手に入れて来られたんですね…」

「今日はいつもよりタキ殿の表情が豊かです。」

「主に驚きと戸惑いだがな。」

「…あまり自覚はありませんが、そうであれば不可抗力です。」

そんな三人の声を聞き流しつつ、全員の視線が魔石に集まった。

透き通った桃色のそれは果物の形に見えなくもないが、魔石なだけあって勿論食べられるような硬さではない。


アルフが遠慮なく手を伸ばし、素材を掴んで眺めた。

「…雫の果実か…確か意味付けは、安定と修復だったな。」

「意味付け自体は他の素材でもよくあるものですね。」

「ここまで大きいものはあまり見かけないが。」

アルフと言葉を交わすキリトがレシピを目で追うと、何かに気付いて小さく声を溢した。


視線を遣れば、彼はレシピを指し示して言う。

「これ魔石二つ分のレシピですよ?」

「あ…本当ですね。わざわざ二つというのは何か意味があるんでしょうか?」

「二つ同時に作らないと失敗する…とかはあるかもしれないな。」

「もう一つあるぞ?」

「何でだよ。」

「流石ですね!」

「………」

鞄からもう一つ魔石を取り出してテーブルに置けば、すぐさまアルフにつっこまれる。

浮上した問題が片付いたのだから別に良いだろうと軽く肩をすくませて見せた。

その様をタキが無言で眺めてくる。


レシピの先が気になるのだろうキリトはそんな物言いたげなタキに続けて尋ねた。

「タキ殿、この二つの雫の果実を初めはどうするんですか?」

「最初は水に漬ける…と…」

「砂糖は何処に行った?」

「水だけですか?」

「………」

「次は…塩漬け…にするらしいです。」

「塩?」

「砂糖漬けのレシピじゃないんですか?」

「………」

一向に砂糖が出てこない砂糖漬けのレシピに各々が首を傾げた。

そして、タキがレシピの紙を机上に戻しながら口を開く。

「そもそもの材料が多いですが、ここに書かれているもの全てで順番に雫の果実を漬けていくみたいですね。」

「『無くなったら次へ』ってありますけど…」

「…それは文字通り無くなるんだろ。」

「あぁ、おそらくな。」

「「え…」」

アルフの言葉に同意を返せばキリトとタキの声が重なる。


雫の果実は魔物素材だ。吸収か同化か知らないが、魔石以外の食材が消えることは十分に考えられる。

レシピに記された材料は調味料もあれば果物類も含まれており、最早「漬ける」という表現が正しいのか分からない。

「取り敢えずレシピに沿って地道に進めてみます。リゼさん、これ使って構いませんか?」

「あぁ、その為に持ってきたんだからな。」

「ありがとうございます。」

そう言って軽く頭を下げたタキに魔石を預けてからラズと共に店を後にした。



「………」

「お待ちしておりました。」

「リゼ殿!ラズ殿!」

「来たか。」

閉店の掛札が提げられた扉を開けると、相変わらず無表情の店員に出迎えられる。

店内には既にアルフとキリトが居た。

二人の間に設けられた空席に手招かれ、軽く息を吐きながら腰掛ける。

ラズがキリトの膝に移り、キリトが彼をそのまま抱き抱えて尋ねてくる。

「リゼ殿も途中経過はご覧になっていたんですか?」

「食事に来たついでに見せてはもらってましたけど…」

「…歯切れが悪いな。何かあるのか?」

「まぁ、完成を見れば分かる。」

「少々お待ちください。お持ちします。」

そう言って、店の奥に入って行ったタキが雫の果実を持って戻ってくると、カウンターのテーブルに置いてみせた。

深めの皿に入れられた雫の果実は見た目には変化がない。

「では最後、お願いします。」

「ラズ。」

タキの言葉を受けラズの名を呼ぶと、彼は魔石を前にしてテーブルの上に立った。

途端に星屑の様な魔力が雫の果実を包む。


「最後に魔石獣の魔力で漬けるって凄いですよね…」

「魔石を食べようって時点で発想が突飛だが、これで本当に食べられるようになるのか?」

目の前の光景を眺めながら、キリトとアルフが怪訝そうに言う。

次いでタキも不思議そうに声を溢した。

「魔石獣の魔力は目に見えるものなんですか?」

「普通は無い。これはリゼの魔石獣だからこそだ。視認できる程の魔力はそれほどに密度が高い証拠だからな。」

「白の遺跡が真っ白になっていた時とか、魔物を倒して魔力が霧散する時には見えますね。」

「あぁ…やはり特別でしたか…」

「…⁈」

そんな三人が言葉を交わす途中、不意に魔石が淡く光を帯びた。

流していた魔力を止めたラズが小さく尻尾を揺らす。


最終工程を終えた二つの雫の果実を見てアルフが呟く。

「…出来たっぽいな。」

「そ…うなんですか?」

「でも、確かに見た目がぷるぷると…」

「………」

「リゼ、どうした?」

先程まで魔石だったものを前にして思わず口端を上げると、目敏くもそれに気付いたアルフが眉根を寄せる。

キリトとタキも続きを待つようにこちらに視線を向けた。


そんな全員の期待を浴びながら軽く肩をすくめる。

「魔力が完全に消えた。本当に魔石から変化したらしい。」

「もしかして、完成を見たら分かると言ったのは…」

「過程を踏むごとに感じる魔力量が減っていたからな。そのレシピが間違っていないことは何となく分かっていたが、ここまで綺麗に変容するなら食べられるというのも事実だろう。」

「へぇ。」

「で?食べても良いか?」

「あっ、はい。えっと…」

「相変わらず躊躇いが無いな。」

遠慮無くタキを急かせばアルフが呆れて言う。

だが、元々魔石だったものを口にするのだから役割的にも適任であるはずだ。


タキは初めて見る食材をどう扱えば良いのか迷いながらも、小さめのナイフで雫の果実を味見程度に切り取った。

差し出された一片を受け取り、口の中に放り込む。

「リゼ殿…大丈夫ですか…?」

心配そうに尋ねてくるキリトに頷いて返す。

身体に異常は感じない。寧ろ、期待以上の結果だった。

まるで瑞々しい果肉を頬張ったかのように爽やかで強い甘味が口の中に広がり、すっきりとした後味が残る。

「ここまで美味しいとは思わなかった。」

感心したように声を溢せば、好奇心には勝てなかったのだろう三人も躊躇いつつ雫の果実を口にする。

「…まじか。」

「うわぁ…」

「これは良い甘さですね。」

全員が納得する程の出来栄えに満足しつつも、タキが首を傾げて言う。


「ですが、どうしてこんなレシピを残すことができたんでしょうか?この過程を的確に当てるのは難しいのでは…」

「おそらく、このレシピを残した曽祖父というのがそういう体質だったんだ。特定の魔力に敏感な者というのは少なからず存在する。」

「その筆頭は君だろ。」

タキの疑問に淡々と言葉を返せばアルフが口を挟む。

すると、労うようにラズの頭を撫でていたキリトがタキに問い掛けた。

「タキ殿は曽祖父殿のそのような話は?」

「聞いたことはありませんでした。」

「隠していたか、本人も気付いていなかったのかもな。」

「…そうですか。」

思わぬところで知ることになった事実に小さく応えながら、タキはレシピを眺める。

その表情に変化はないが彼の目は何処か嬉しそうに見えた。


「それならこのケーキも美味でしょうね。」

「「「っ⁈」」」

カウンターを挟んで向かいに立つタキが一枚の紙をひらりと掲げ、当然のようにケーキ作りの準備を始める。

その姿を目で追いながら、いずれ出来上がるであろう極上のお菓子を楽しみに待った。

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