41
回復薬の瓶が並ぶ棚の前で何となく立ち止まる。今は混雑する時間帯ではないのか、周りにはあまり人がいない。
瓶を一つだけ手に取って、目の前に掲げた。
遺跡探索用の道具が揃うこの店内で、それなりのスペースを確保されている回復薬はよく売れるのだろう。
物によっては値が張るが、粗悪品を使うよりも益があるには違いなく、遺跡につきものである魔物との遭遇を思えば持たないという選択は考えられない。
手持ちの道具で切らしてはいけない必需品と言える。
だが、そこで真っ白なローブを纏う自身の護衛を思い浮かべた。
「(そういえば、使っているところを見たことがないな。)」
遺跡で魔物と戦闘を繰り返している様は何度も目にしているが、リゼが回復薬を手にしている姿を知らない。
おそらく鞄には入っているのだろうが、本来の強さに加えて最上級の装備を纏った状態では、使い時が極端に減るのも事実だ。
おまけに、彼女はかすり傷程度でこまめに使用するような性格でもない。
「(……もう少し気を付けて見ておくべきか。使ったことがあるかどうかくらい答えてくれるだろ。)」
「まいどー。」
そう思いながら、一つだけ購入した回復薬を鞄に仕舞い、店員の間延びした声を背後に店の扉を潜った…途端のことだった。
「うわあああぁぁぁぁ!」
「………」
外へ一歩踏み出したところで叫び声が耳に届く。そして何かが飛んで来ると勢いよく目の前を通過していった。
どさりと地面に落ちた音がした方向へ視線を遣れば、冒険者らしき身なりの男がのびている。
「ったく、帰ってきたなら油売ってねえでとっととギルドに行け。」
「………」
次いで聞こえてきたのは何かをずるずると引き摺る音と、聞き覚えのある乱暴な口調の声。
それだけで何があったか分かってしまうのは、普段の彼の所業をリゼから聞いていたからだろう。
実際に目にすることになるとは思っていなかったが。
何処か呆れながら顔を上げれば案の定、思い浮かべた通りの人物と視線が合った。
相手もこちらの存在に気付いたようで、少しだけ目を丸くする。
「毛色の違う冒険者が居ると思えばアルフか。何だ一人か?」
「あぁ。キリトは留守番で、リゼは知らん。」
「名目上はお前の護衛じゃねえのかよ。」
地面に転がる冒険者の襟首を掴んで引き起こしながらダンが顔を顰める。
護衛として雇っておきながら共に行動していないどころか、行き先も何も知らないとはどうなんだと言いたいらしい。
だが、すぐに彼は短く息を吐くと当然のように口にする。
「まぁ、リゼは何処かの遺跡だろ。」
「多分な。」
冒険者と同程度か、もしくはそれ以上に遺跡へ行くことが習慣化しているリゼは、かなり高頻度でそこに入り浸る。
今も何処かの遺跡で魔物と戯れている可能性が高い。
ダンの言葉に頷いて同意を返せば、彼がふと思い付いたように言う。
「アルフ、お前時間あるか?」
「…何故?」
「警戒すんな。鼈甲蜥蜴…竜だったか…について聞かせろ。」
「俺がか?リゼに聞けばいいだろ。」
「タイミングが合わねぇんだよ。お前も全部見てたんだったらリゼに聞くのと大差ねぇ…というか、客観的視点の方がマシかもな…」
「………」
話の途中で思い至ったことに、ダンが真顔になる。彼の言葉を聞きながらその様を無言で眺めた。
おそらく、今までも説明しろと言われたならばリゼは淡々とダンに事実を伝えてきたはずだ。そこに誇張もなければ偽りもなく。
だが、そもそも理から外れている存在が事実を伝えたところで、そこに内在するリゼ自身の感覚は最早理解できるとも思えない。
それを当たり前に結論付けた彼は、一つ頷くと再び問うように視線を向けてくる。
それを受けて、小さく息を吐いた。
「ギルド長はリゼのことをよく知っているな。」
「あ?何だ、不満か?」
不満を滲ませたつもりはなかったが、ダンが可笑しそうに口端を上げる。
少しだけ眉根を寄せると、彼がそれを一瞥しながらも言葉を重ねた。
「飯くらい奢ってやるから付き合え。代わりにリゼが冒険者を蹴り返してきた話してやるよ。」
「………」
どんな対価だと思わなくもないが、ダンが提示した決して穏やかでなかっただろう案件に好奇心が芽生える。
結局、両手に冒険者を引き摺るダンの後ろを付いて行くことになった。
「そういやお前何してたんだ?それ装備だろ?」
「魔力溜まりを観察していた。」
「面白いのか、それ?」
肉に齧り付く手前でダンに軽く寄越された問いに応えると彼が首を傾げる。
少し昼時を過ぎているが、まだ客で賑わっている店内で宣言通りダンに昼食を奢られながら口を開く。
「魔導石の生成で要るものがあったから、それも兼ねてだな。」
「自分で採りに行くのか?お前やっぱり護衛なんか要らねぇだろ。」
契約の魔導石の存在を知っているダンは思いっきり不服そうに顔を顰める。
一切納得はしていないようだが、これが完全にリゼの意思で成り立っていることを確信している彼はそれ以上の文句は言わない。
ダンは気を取り直すようにテーブルに並ぶ料理に手を伸ばすと本題に入る。
「確か、異空間に行ったんだよな…どんな所だった?」
「ずっと下りの階段だけがある味気ない異空間だ。最後だけ真っ白な部屋の中心に祭壇が据えられて、鼈甲蜥蜴の形を模した像が建ってた。」
「本物の鼈甲蜥蜴が居ない部屋か?」
「あぁ。」
「それならあの期間に何件か報告があった構造と同一だな。」
やはり同様の異空間は存在していたようだ。ならば、あれは条件を満たせば誰でも出会う可能性がある魔物と言える。
「んで?発生条件は?」
「鼈甲蜥蜴の像の前に盃が据えられているんだが、それを鼈甲蜥蜴の鱗で満たせば良い。リゼは異空間で集めた鱗を全部ひっくり返してたからな、おそらくかなり量が要るぞ。」
「…何してんだ、あいつ。」
鼈甲蜥蜴竜発現時のリゼの行動を伝えれば、ダンは何処か諦めたように小さく息を吐く。
「でもまぁ…それなら今まで邂逅が無かったのも当たり前か。最後の部屋まで辿り着いたとしても冒険者連中は鱗を手放さねえ。」
「だろうな。」
そこはやはり予想通りだった。手に入れた素材を捧げてしまえば、冒険者が何の為に祭りに参加して鼈甲蜥蜴を狩っていたのか分からなくなる。
金銭が目的でない冒険者はほぼ居らず、加えて冒険者でない者が遺跡に向かうこともほぼ無い。
この件についておかしいのは自分達の方だった。
「『竜』って言うくらいなら、見た目はそのまま竜なのか?」
「あぁ。見た目だけ竜の姿で、リゼが言うには本質はただの魔物らしい。全身が黄金色の鱗に覆われた巨体で同色の大きな翼と長い尾、鋭い牙を持つ口から炎がちらついていたのが初見だ。」
「突然それが目の前に来んのかよ。相変わらず狂ってんな、異空間は。」
正直な感想を溢しながらダンがグラスを呷る。
そもそも竜は常に存在している訳ではない。だからこそ本物を目にしたことがない者は多いが、その神秘的な生態故に研究は長年行われている。
積み重ねてきた歴史もあり、文献に残されている姿はかなり詳細だ。
ただ、知識と実際に目の前にすることでは抱く感覚が変わる。
例えそれが魔物であったとしても、その姿は間違いなく圧倒的だった。
魔物という存在に慣れている冒険者といえど、いつも通りとはいかないだろう。
創られた世界である異空間は自由すぎる。
「リゼの立ち回りは?」
「はっきり言って力技だ。装備に物を言わせてる部分もある。向けられる炎は敢えて眼前で防いで、それに紛れて下顎を思いっきり蹴り上げた後、今度は鼻先を蹴り下ろす。相手が地面に伏せったところで片翼を破壊。次いで振り下ろされた尾に短剣を突き刺して魔法を展開。怯んだところで、もう片翼を破壊。まぁ、飛べなくした後は最早殴り合いみたいなもんだ。」
「…一方的に殴ってたの間違いじゃねえのか?」
当時のことを思い出しながら細かな所は省きつつ主な動作を伝えれば、ダンが真顔で言う。
口に運んだスープを飲み干して、少しだけ視線を上に遣った。
「…いや、それなりに反撃はあった。まぁ、防ぐなり躱すなりで対処に問題が無かったのも事実だが。」
「どっちにしろリゼと同じようにできる奴なんざ居ねえか…下手に手を出されるのも困るな。上位ランクのパーティ辺りか…素材の価値の公表…発生条件と姿形の共有……」
「………」
何やらぶつぶつと呟きながら、ダンがギルド長としてのこれからの役目を思案し始めた。
強面の彼がその表情を難しそうに歪めると一層凶悪さが増す為、周囲が少し怯えた雰囲気を帯びる。
それに軽く視線を流しつつ、未だ思考に耽るダンをそのままに追加の料理を注文した。
「さっきからそればっか食ってんな。」
「美味い。」
「そりゃあ何より。」
しばらくして、手に入れた情報と思考の整理がついたのか、いつの間にか増えていた料理を一瞥しながらダンが再び口を開く。
素直に感想を述べれば彼は満足そうに口端を上げた。
「リゼもアルフも冒険者じゃねえだろ?ギルドから情報提供料としての対価はねえからよ。俺が金を払っても良いんだが、お前らはこっちの方が好みだろ。」
「そうだな。」
ダンの言葉に一つ頷いて同意を示す。
冒険者登録があれば遺跡や異空間の調査依頼が受注できることもあり、依頼以外で手に入れた情報でもギルドに買い取って貰える。
だが、リゼも自分も冒険者ではない為、情報を提供したところでギルドとしての対応は無い。
この機会は冒険者ギルドのギルド長でありながら、ある意味好き勝手に行動しているダンが個人的に設けているだけだ。
彼の言いようを思えば、リゼは情報提供の対価として何度も奢られているのだろう。
「(…リゼは意外と食べ物につられるな。)」
最近、日常と化しつつあるキリトによるリゼへの餌付けの光景を何となく思い出して苦笑を溢した。
そこで、ダンが気付いたように口を開く。
「あぁ、そうか。話してやるって言ったんだったな。」
「…言ってたな。」
そういえば、リゼに関係する何やら物騒な話をしてやると言われてこの場に付いて来たのだった。
すると、ダンが当時の記憶を探るように少しだけ視線を上に遣る。
「俺がぶん投げた冒険者がギルドの扉を突き破ってな。その先にリゼがいたんだが…」
「おい…初めからそれなのか。」
初っ端なからの暴力的な状況に軽くつっこむが、さして気にするでも無く彼が続ける。
「その突き破られた扉を、突き破った冒険者ごと蹴り返してきやがったんだ。」
「………」
話の中盤どころか冒頭で既に冒険者が蹴り返されてしまった。
思わず溜息を吐くが、その後もマイペースに話を続けるダンの声に黙って耳を傾けた。
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