39

繋いでいた手を離せば、目の前に立つ人物が突然地面に膝をつく。

その姿を見下ろして小さく息を吐くと踵を返した。それを追うように背後で声がする。

「おえぇ……」

「ゔぇ…」

「…うぅ……」

「うぶ…」

「…おぉえ…」

複数の呻き声がうるさい。

振り返って呆れた視線を向けるところに、すっとグラスが差し出された。

「リゼ殿、どうぞ。」

「この光景も今日で見納めか。」

いつものように人懐っこい笑みを浮かべるキリトと、何処か感慨深げに呟くアルフが隣に並ぶ。

キリトからグラスを受け取ると、彼は地面に転がる隊員の元へと駆けて行った。


それを見送りながらアルフが口を開く。

「やってる事は違うのに最終的に辿り着くのはいつもこの状態だな。」

「狙っているつもりはないぞ。」

シベルから「一日当たり上限五人で連続三日間、相手を叩きのめす」という条件で依頼を受け、その実施場所としてアルフに屋敷の鍛錬場を提供してもらった。

依頼を遂行する様を初日からキリトと共に眺めていたアルフは苦笑を浮かべる。

「初日は魔導士の隊員相手に魔法で応戦した結果、全員が地面に倒れてたな。二日目は魔導士でない隊員を相手に木剣を構えた時が見ものだった。魔導士じゃないのかって何故か俺に目で訴えてきてたが…」

「あぁ、だから視線が後ろに流れてたのか。」

アルフの言葉に当時を思い出す。

今日に至るまで毎日別の隊員を五人ずつ相手にしてきたが、やはり実力者が揃っていることが分かる。

だが、捌ききれない魔法の応酬や予想だにしていなかった剣技を前に、隊員達は地面に膝を付いて呻くまでがお決まりだった。


「昨日までは明らかに戦闘だったが、今日は何をしたんだ?」

「魔力制御を鍛えたいらしい。」

「あぁ…あの時の…」

かつてシベルに対する行動に思い至ったアルフが声を溢す。

今日参加している五人は全員魔導士で、シベルから話を聞いていたのか、隊員から要望があったのだ。


すると、地面に転がる隊員の様子を確認しつつ飲み物を渡し終えて戻ってきたキリトが不思議そうに言う。

「握手をしたら倒れていくので何事かと思いました。」

「まぁ、自分の意思に反して魔力が動かされるので酔ったんでしょうね。」

「気絶はしないのか?」

「魔力を奪った訳ではないからな。」

「うーん…魔導士ではないので感覚がよく分かりませんが…」

そこで言葉を切ったキリトが目の前の光景を眺める。続くようにアルフも隊員達へ視線を向けた。


それに気付いた彼らが何とか口を開いて応える。

「…いや、これ本当に……やばい…」

「気持ち悪…おぇ…」

「…これに抵抗するとか……うぅ…」

「全身が…ぞわぞわする…」

「隊長…やばい…」

「相当気持ち悪いってことと、シベルさんが凄いってことしか分からん。」

「あはは…」

「………」

隊員達の懸命な訴えも虚しく、二人にはほぼ伝わらなかった。

それに小さく息を吐き、同意を示す。


続いてこちらに視線を落としたアルフがずっと気になっていたのだろう事柄を尋ねてくる。

「正直、依頼を受けると思わなかったんだが何が気に入ったんだ?」

「隊長の腹黒そうな笑み。」

「…どんな決め手だ。」

「あぁ…追い討ちが……」

間髪入れずに口にした答えに依頼内容じゃないのかとアルフがつっこむ。

そして、未だ青い顔の隊員達が笑いを堪えては気持ち悪そうに呻く様を、キリトが心配そうに見た。

この三日間が設けられた理由がそんなところにあるとは、この場に居る誰もが思っていなかったようだ。

「まぁ…らしいと言えばらしいか…」

「要は、リゼ殿が何処かを気に入れば良いってことなんですよね。」

「あの…実際…貴方から見てシベル隊長って…どうなんです?」

「あぁ…それ…気にな…うえ…」

隊員の一人が言葉を途切れさせながらも質問を寄越す。

頷いた別の隊員はそのまま項垂れた。


それを再び呆れた目で眺め、自身の隣から凝視してくる金色の瞳とライトグリーンの瞳を一瞥し、肩をすくめた。

「隊長は手練れだな。」

「へぇ。」

「わぁ、リゼ殿に言われるのは嬉しいですね!」

アルフは軽く口端を上げ、キリトは嬉しそうに破顔した。

加えて、隊員達も誇らしげに目元が緩む。

自分の言葉がそんなに意味のあるものとは思わないが、彼が慕われているようで何よりだ。


「えっと、リゼ…さん…は、指示道具は何も使って無いと…聞いたんですけど…」

「それはお前らもだろう?」

「まぁ、俺達は…有象無象なんで…」

「レベルの高い有象無象だな。」

隊員の一人が尋ねてきたことに返答していると、それを聞いたキリトが首を傾げる。

「指示道具って、魔導士の方が使っている杖とか指輪のことですか?」

「…主流な形状は…そうですね。限定はされてませんが……」

「あれは…魔導士である人間が、魔法を習って…それを生業にしている…ことを…示すようなものなので…僕達はあまり…使わないんですよ。」

「あの、無理しないでください。」

口元を押さえながらも律儀に応えていた隊員達に、キリトが申し訳なさそうに声を掛ける。


そんな様子を見兼ねたアルフが言葉を継いだ。

「指示道具は精霊を指揮する精度を高めるものだからな。魔法の展開自体に支障は無い。ただ、より正確に多くの精霊を指揮できれば威力も効果も段違いに変わる。詠唱して精度を上げる方法もあるが、これは魔導士ごとのスタイルによるな。そういえば、魔導学院に通う魔導士は指示道具を持ってることが多いか。」

「同じ魔力量で同じ魔法を展開しても指示道具の有無でその威力に差が出るということですか?それなら、持っていた方が有利ですね。」

キリトが言うように指示道具も詠唱の言葉も備えていれば、それを持たない相手よりも優位に立つことができ、強い魔物を相手にしても取れる対応の選択肢を増やせる。

だが…

「私には意味がない。」

「だろうな。」

「そうですね。」

どういう解釈をしたのかは知らないが、呟いた言葉を拾った二人は納得したように頷いて返す。隊員達もそれに同意を示した。

「最もシンプルなのは…魔力量の多さですからね。」

「大量の魔力を使うだけで精霊を多く指揮できるので…当然でしょう。」

だんだんと身体の不調が落ち着いてきたらしく、隊員達はゆっくりと地面から立ち上がった。


そこで、思い出したとでもいうように一人の隊員が口を開く。

「そうだ…御三方、『小人の夜廻』の噂って聞いたことあります?」

「「「…?」」」

その問い掛けにアルフとキリトと共に首を傾げた。三人とも覚えがない。

だが、気になったアルフが尋ねる。

「何処で広まっている噂ですか?」

「この屋敷から一番近い街通りです。アルフさんとキリトさんは馴染みかと。」

その言葉に今度はキリトが質問を重ねた。

「私、先日街通りまで出ましたけど特に変わった雰囲気はありませんでしたよ?」

「まぁ、噂ですからね。それに子供達の間で流行っているものなので内容もフワフワしていると言いますか…」

一度言葉を切った隊員が記憶を探るように視線を上に向ける。

「淡く光る小人が集団で並んで夜道を歩いていたとか。」

「光る羽で一斉に飛んでいったとか。」

「突然姿が消えるとか。」

「猫におもちゃにされていたとか。」

「鳥に襲われていたとか。」

「「「………」」」

不思議な存在からだんだんと不憫な存在になっていった小人の集団に、三人とも微妙な表情になる。

噂というだけあって確信も無ければ、今のところ実害も無いのだろう。


「見てみたくて探しているんですけどね。未だ収穫なしです。」

「(…好奇心。)」

残念そうにぼやく隊員を見て、つくづく変わった部隊だと思う。

情報の収集といってもその行動は彼ら自身の興味と好奇が根底にある。事件性の有無は後付けらしい。


そして、会話が一区切りついたところで隊員達が自分の前に列を作った。

「では、二回目お願いします!」

そう言って意気揚々と片手を差し出してきた一人の隊員の手を握り返…

「…ゔぅ……」

「………」

その場で頽れた隊員を無言で見下ろしながら、ただ小さく溜息を吐いた。

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