38

纏うローブの裾が風に靡く。

塔のてっぺんに立ち周辺を見下ろすが、一帯に立ち込めていた魔力は既に無い。

視線を移して、手に持った懐中時計の蓋を開けた。

そこには透明の青い魔石が嵌められ、まるで水中に浮かんでいるかのような文字盤がある。


そして、文字盤に沿って針が動いていた。

「あの時の魔力…だろうな…」

この懐中時計らしき物を手に入れてから今まで、針は動いていなかった。

だが、先日アルフに同行して参加した魔導具の展覧会の日、不気味な土と岩の塊が持っていた魔力を霧散させた後に変化が起きた。

ポケットの中で熱を発したそれを取り出し、蓋を開けて数秒後、魔石に浮かんだ針が規則的な動きを見せたのだ。

その場でずっと観察することは叶わなかったが、何かを刻み始めた針はその後も止まる気配はない。

おそらく何かしらの条件を満たしたのだろうが、それはあの物体と関連があると考えるのが妥当だ。

「(いつか器も見つかるだろうか…)」

この魔石には器が無いと以前老婦が言っていた。それを思い出しながら、偶然か必然か次のきっかけに出会えることを期待する。

そのままポケットに懐中時計を押し込むと足元に魔法を展開した。


「………」

転移した先の街通りで慣れた道を歩く。

辿り着いた馴染みの装備屋で扉に手をかけた。だが、それが開かれることはない。

ある一方向を見遣り、そのまま装備屋の建物から離れると静かに口を開いた。

「何の用だ?」

「…!」

声をかけた相手の肩が小さく跳ねた。まばらに人が通る中、只人を装う青年が視線を寄越す。

「練習中か?態度に出るのはどうかと思うが。」

「…あー、こういうことなんですね……」

装う雰囲気を崩すことなく、青年は困ったように何かを納得した。

目の前の人物との面識は無い。だが、どういう立場の人間かは予想がつく。

青年は小さく息を吐くと言葉を続けた。

「隊長よりご伝言です。『許すならば少し時間をくれないか?』とのことで。」

「………」

そう言いながら彼が一枚の紙を差し出す。受け取った紙には簡易な地図があり、一つの場所を示していた。それを眺めながら言う。

「今も居るということか…ここ数日張ってたな?」

「はい。今日は俺が担当でした。」

尋ねると青年は素直に頭を下げた。

どうやら交代で張り込んでいたらしい。自分がしばらく街通りに出てきていなかった為、今日まで空振りになっていたようだ。


軽く肩をすくませて、受け取った紙を突き返す。

「面倒だ。」

「…ですよね。」

「このまま連れて行け。」

「分かりまし…えっ⁈」

まさか承諾されると思っていなかったのか、彼は頓狂な声を上げた。そして、戸惑いながらも提案する。

「…でしたら一緒に……いえ、離れてついて来てくれますか…?」

「………」

自分と並んで歩けばどうなるか気付いた青年の言葉に、一つだけ頷いてみせた。


「(…喫茶店?)」

人の行き交う通りで、かなり前方を歩く青年の後をついて行くとその姿は一軒の小さな喫茶店の中に消えた。

遅れて辿り着いたその入り口で建物を見上げる。扉を開けると、カウンター内に立つ若い男性が無言で頭を下げた。

周囲を見渡すが、先に店に入った青年の姿は無い。

すると、カウンターに居る店員の男が表情を変えることなく淡々と言う。

「貴方ですね、待ち人というのは。どうぞこちらへ。」

「………」

どうやら奥に部屋があるらしい。案内されて向かった先で店の男性は個室の扉を軽く叩いて開ける。


「シベルさん、いらっしゃいましたよ。」

「あぁ、ありがとう。」

穏やかな声音が耳に届き、ついと店員が身を引くとダスティーブルーの瞳と視線が合う。

招かれた部屋の中では、奥のテーブルに今日の接触担当だった先程の青年を含めて三人、手前のテーブルにシベルが腰掛けこちらを見ていた。

最後まで無表情だった店員が扉を閉めて出て行くとシベルが口を開く。

「やぁ、リゼ君。応じてくれて嬉しいよ。どうぞ。」

「………」

そう言って指し示されたシベルの正面に座ると、奥のテーブルに着く三人の気配が少し騒つく。

それに視線を遣って小首を傾げると、察したシベルが言う。

「この状況に動じてないのが信じられないらしい。」

「私が怖気付く理由が何処にある?以前、尻尾を巻いて逃げたのはそっちだろう?」

確かにシベル達が実力者であることは分かる。そんな者達が揃うこの室内で自分はたった一人だ。

だが、そんな些細なことで身構える程の神経ならば、そもそも誘いになど乗らない。

おまけに以前尾行されていた時にやらかした事例もある。今更驚かれることでもないはずだ。


「で?」

「ははっ、余計な会話は要らないか。面倒でなくて良い。要件はいくつかあるんだが取り敢えず…」

先を促して短く問えば、シベルが笑う。

そして、目の前に見覚えのあるボトルを置いた。

「ちょっとアル君から借りてきたんだ。これを彼に渡したのは君だそうだね。」

「あぁ。」

「件の出来事はアル君から情報を貰ってはいるんだが少々困った事があって、リゼ君からも話を聞きたい。」

何となく分かる「困った事」に口端を上げてみせると、シベルは苦笑を浮かべた。

「…やっぱり君は分かっていたか。それとも…『知っていた』…のかな?」

「そうだと良いな?アルフの為に。」

「やれやれ…」

揶揄うように返すとシベルは軽く肩をすくめた。三人の隊員はその様子を呆気にとられながら黙って見守る。


そんな中、部屋の扉が軽く叩かれた。

「失礼します。」

この部屋まで案内してくれた店員が飲み物の入ったグラスと様々な果物で鮮やかに飾られたタルト持って入ってくる。

それを全員の前に置くとすぐに出て行った。

置かれた物を眺めてからシベルに視線を遣る。

「どうぞ、食べてくれ。ここのメニューはどれも美味しい。リゼ君は果物が好きなんだろう?」

「あぁ、好きだ。」

こくりと一つ頷いて遠慮なくタルトを口にすればシベルは小さく首を傾げた。

「君は…素直なんだか素直じゃないんだか…」

「捻くれているんだろ。」

「自分で言ってしまうのか。」

淡々と応えると、シベルが軽くつっこむ。


酸味と甘味が口に広がる美味しいタルトに満足気に笑み、中断していた話の先を促した。

「『跡形も無くなっていた』か?」

「その通りだよ。アル君達が目撃したという不気味な物体とやらの痕跡は何一つ…ね。」

そして、机に置かれたままのボトルに視線を遣った。ボトルの中には大小様々な小石が詰め込まれている。

「結構すぐに行ってもらったんだけどね。滞留していた魔力が全て霧散するのと同時に消えたんじゃないかと…」

「何だ、あの場に居なかったのか?一人くらい居ると思ったんだが。」

「いや、居たよ。でも、私達はリゼ君のようにはいかない。その時の魔力濃度に対抗できるような物も持ってなかったらしいから。」

やはりあの時、誰かしらは居たようだ。

ただ、すぐに調査ができるような体制ではなかった為、あったはずのものは既に姿を消していた。

実際、今日塔の上から見下ろした景色は一切の違和感も無くただ広い平野が広がるだけだった。

突如出現したあの土塊の存在は完全に掻き消えている。そのような状況で唯一の証拠がこのボトルの中身という訳だ。


「これがどういうものかはアルフから聞いているくせに、私から何を聞き出したい?」

「そうだな……これをアル君に渡した理由は?」

「あいつにとって必要だと判断した。」

「…何故?」

「私を欲しがったことと同じだろ?」

「………」

問われたことに問い返すとシベルは黙り込む。

そんな無言の肯定を流し、タルトを口に運んだ。

シベルは深く溜息を吐くと切り替えるようにグラスに口を付ける。

今回設けられたこの機会が、彼の仕事の為であることを考えれば先程の問い掛けは私情だろう。


テーブルにグラスを戻し、シベルが改めて本題に入る。

「…すまない、要らないことを聞いた。今日、私が知りたいのは君の感覚で出した君の結論だ。」

「………」

その言葉に、すっと視線を上げて目の前の彼を一瞥する。次いで隣のテーブルを見遣れば席に着く三人の肩が小さく跳ねた。

既にタルトが無くなった皿の上へフォークを置いてから口を開く。

「アルフはどう言った?」

「魔導石の生成において、意味付けに失敗した時に出来る魔導石の屑と同じだと。ボトルの中で辛うじて魔力の残滓が滞っているからこそ形が保たれているだけで、最早何も無いと言ってもいい状態らしい。」

そう説明しながらシベルが自身の前に置かれたタルトの皿を差し出してくる。

未だ手を付けられていないそれを素直に受け取ると彼が先を続けた。

「当時の見た目や動作のような目で分かる範囲のことや、このボトルを受け取った後の解析から判断できることは教えられるが、あの時あの場所でおそらく全てを把握できていたのはリゼ君だけだと…そうアル君に言われた。」

「………」

シベルの声を聞きつつタルトにフォークを突き刺して小さく息を吐いた。


しばらくの沈黙の後、口を開く。

「……結論としてはアルフと変わりはしない。あれは初めから魔導石…というより魔石の屑の集合体だ。だが、あの日に突然現れたものではない。」

「…え?」

「元々あの場所にあったんだ。」

「どうしてそう思う?」

「屑に残されていた魔力が周囲に馴染みすぎていた……これは寧ろ、お前らの方が心当たりがあるんじゃないか?」

「っ!」

件の出来事はアルフにも何かしらの関係がありそうだった。

先程のシベルが言った要らない質問から考えれば彼はそれを知っている。

小さく息を呑んだシベルをそのままに、更に続けた。

「魔石の屑は四足獣の形を取ろうとしたが、頭部の無い明らかに不完全な物体にしかなれなかった……既に要が無かったからな。」

「要…?」

「魔石の屑になる前にあっただろう本来の魔力。それが根こそぎ持っていかれていた。」

「………」

淡々と言葉を重ねるとシベルが俯きがちに何やら考え込む。

その姿を視界に捉えながらボトルに手を伸ばした。

「今では私ももう探れないが…あの時はそんな感じだったな。これでいいか?」

「…良いも悪いも、私達は君の言葉をただ受け取ることしかできないからね。」

真偽の判断はできないと、シベルが肩をすくめる。


そして、彼が言葉を重ねた。

「あの日に限ってその物体が姿を現したのは何故だと思う?」

「さぁな?私が居たからじゃないか?」

「それすらも自分で言ってしまうのか…」

あっけらかんと応えるとシベルが呆れ気味に苦笑を溢す。


そこでふと気付いたよう首を傾げてこちらを見る。

「そういえば、さっき教えてくれた内容はアル君に言っていないのかい?」

「聞かれてないからな。」

「そう…なのか…?」

少し意外そうに呟いたシベルに内心で同意を示す。

自分が毎度全ての問いに律儀に答えることは無い。

アルフもそれを承知しているが、気になることがあれば取り敢えず聞くという態度だった。

だが、今回の件は当日以降に質問はなく、ボトルを渡した時でさえ少し驚いた表情を見せたものの何かを追求されることはなかった。

「(聞きたいことがなかったのか…知りたくないことでもあるのか…)」

不思議に思いはしたものの、求められていないのであればそれはそれで構いはしない。


「…リゼ君はどうして今日この場に来てくれたんだ?」

「アルフの身内特典だ。」

「ははっ、そうか。これはアル君にも礼をしないといけないな。」

応えた内容にシベルが笑う。

彼が自分に接触を図った理由が件の出来事にあることは予想がついた。

だからこそ、それに対して取るべき立場はあくまでアルフに雇われている護衛としてである。

「ありがとう。さっきの情報も頭に入れておくよ。」

「他の要件は何だ?」

礼を述べたシベルの言葉に被せるように尋ねると、彼は僅かに目を瞠る。

「個人的な依頼だからアル君とは関係ないんだが…?」

「隊長がわざわざ寄越してくるその依頼に興味がある。」

「………」

先程までとは違い、今度は自分とシベルの個人的な取引であることを示してみせれば、そのことに気付いた彼は嬉しそうに笑んだ。

「じゃあ、言うだけ言ってみようか。」

「…?」

そしてシベルが隣のテーブルに着く三人の隊員へ視線を遣ると、彼らの表情が明らかに引き攣った。


改めてシベルがこちらに向き直るとにっこりと笑って言う。

「是非、しごいてやってくれないか?」

「ほお。」

良い笑顔で齎された彼の言葉に口端を上げた。


続きを聞く姿勢を取れば、シベルが口を開く。

「リゼ君も察していることだとは思うが、私達の部隊は少々特殊でね。だからこそ、これから主力を担う者達に上を見せておきたくて。」

「叩きのめせば良いのか?」

「そうだね。」

「良いだろう。」

「受けてくれるのかい?」

「あぁ。」

「それは有難い!どれくらいの期間なら付き合ってくれるのかな?」

「連続三日。」

「一日当たりの人数は?」

「五。」

「報酬の希望は?」

「この店での食事を一人当たり三回分で隊長に付ける。」

「ふむ、最高で四十五回分か。分かった。」

軽く了承すればシベルは少し驚いた声を溢したものの、とんとん拍子に話が進んでいく。


そこで、彼が付け足すように言った。

「…アル君達の言っていた通り…なのかな?」

「何がだ?」

「いや…リゼ君に依頼をすることについて先にアル君達に相談していたんだが、アル君は『興味が湧くなら報酬は度外視されるから内容が大事だ』と。キリト君は『胃袋を掴めば良い』と…」

「「「………」」」

奥の三人がシベルを凝視する。

アルフの助言はまだ良い。問題はキリトの方だ。


シベルが苦笑を溢しながら告げたことに対し記憶を探った。

「なるほど、私はキリトさんに餌付けされていたんだな。」

「「「「………」」」」

呟いた言葉に今度は全員が自分を凝視した。


最近キリトにやたらと食べ物を持たされていたのだが、どうやら餌付け用だったらしい。

アルフが毎度微妙な表情でそれを眺めていたのを思い出して、納得したように一つ頷いた。

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