37

階段を下った先にある扉を開けると石造りの真っ白な広い部屋が姿を現す。

「………」

「わぁ…」

「…?」

キリトは小さく感嘆の声を溢し、アルフは僅かに眉根を寄せた。

「最後の部屋か?」

「おそらくな。」

「すごく綺麗ですね。」

今まで通ってきた飾りも何も無い所に魔物だけがいる部屋と違い、最後と思われる部屋の中心には祭壇が据えられ、祭壇の真ん中には鼈甲蜥蜴を模した石像が建っていた。

石像の前には大きな盃があり、後ろには姿見型の鏡が浮く。魔物の気配は何処にも無い。


祭壇の前に立って、全員で見上げる。

このまま異空間から出るならば鏡を潜れば済むのだが、目の前の祭壇が気になるらしい。

「これは意味のあるものなのか?」

「さぁな…五分五分といったところか…」

「えっ?意味が無いこともあるんですか?」

アルフの問いに応えるとキリトが驚いたように聞き返す。

以前、魔石獣を探しに出向いた異空間では見栄えの為に用意された宝箱があった。

異空間にとっては意味のあることなのかもしれないが、探索する側にとってそれが意味を為すことはあまり無い。


アルフとキリトをその場に置いて石像の方へ向かうと、キリトが首を傾げて言う。

「祈れば良いんですかね?」

「何にだ?」

「えっと、鼈甲蜥蜴?」

「散々鱗に変えておいてか…?」

そうなるとこの祭壇の意味は鎮魂だ。魔物に魂も何もないと思うが。

二人の会話を聞きながら石像の隣に辿り着くと間近からそれを見上げる。

石像の前にある盃に視線を移すと中身は案の定空っぽだ。


すると、アルフから声がかかる。

「今までこういう所はなかったのか?」

「記憶にある分では普通、祭壇の真ん中に魔物が鎮座していたな…丁度、この石像がある所くらいに。」

そう言って、コツコツと鼈甲蜥蜴を模した石像を叩く。

祭壇の真ん中に鼈甲蜥蜴の石像があり、その前に空っぽの大きな盃が添えられている…先程から変わらないその構図をずっと正面から眺めていたアルフが口を開く。

「何か捧げろとでも言いたげだよな。」

「これか?」

「…おい。」

「いや…リゼ殿それは…」

アルフの言葉を受けて鞄から鼈甲蜥蜴の素材でいっぱいになった布包みを取り出すと、その中身を空っぽの盃の中にひっくり返した。

この部屋に来るまでに幾度も繰り返した戦闘によりその量はとんでもなく多い。


途端に、まるで金が溢れ出てきているかのようになった大きな盃を見てアルフとキリトが声を溢す。

「鼈甲蜥蜴の石像への捧げものが鼈甲蜥蜴の鱗ってどうなんでしょう…」

「最早、新手の嫌がらせだろ。」

「そうか?」

二人には不評だが異空間で手に入る物はこれしかない。

そんな所で捧げものを求めるならばあり得ないこともないはずだ。

全ての素材を盃の中に突っ込んでアルフとキリトの元に戻ると、未だに二人は「黄金色の鱗で満たされた盃を前にした石像」という状況を怪訝な表情で眺めていた。

その隣でラズが軽く尻尾を揺らす。

確かに正面から見るとなかなかの絵面である。


だが、異変が起きたのはすぐだった。

小刻みに揺れ始めた地面から低い音が鳴る。

「「「…⁈」」」

そして、盃の中身を満たしていた大量の鼈甲蜥蜴の素材が突如として消えたかと思えば、勢いよく石像が割れた。

細かくなった石像の破片が舞う中、眩い光に目が眩む。

「お。」

「これ…」

「えぇ…」

捉えた光景に全員の声が重なる。

透き通る黄金色の鱗が光を反射して輝き、同色の巨大な翼が部屋に影を落とす。

鋭く尖った鉤爪が祭壇を抉り、長い尾が優雅に揺れた。

「もしかして…」

「竜か…?」

「いや、竜の見た目をした魔物だ。」

美しく圧倒的なそれは、見た目こそ竜そのものだが本質が違う。

竜は精霊の祖であり個としての存在は無い。その姿を現すのは無数の精霊が集まり一つの意思を持った時。

ある時には存在するがある時には存在しない…それがこの世における竜だ。

だが、目の前に在るのは魔物としての魔力。完全に似て非なるものである。


「だとしてもこれは…」

「ちょっと…やり過ぎな感じがしますが…」

「異空間における固有種かと。おまけにこの期間限定でしょうね。見た目は完全に鼈甲蜥蜴の上位互換…加えて鼈甲蜥蜴の素材を受けて出現したことを思えば、祭壇の意味的には崇め奉るでも鎮魂でも無く…」

「『捕食』ですよね……」

「餌を要求してたんだな、こいつ。」

個人的な結論を述べると二人が若干引き気味に応える。


辺りを見渡す魔物の竜の様子をしばらく淡々と眺めるが、それを見たアルフが呆れた声音で言う。

「落ち着き過ぎだろ。」

「二人もそこまで切羽詰まっているように見えないが?」

「それは、あれよりも得体の知れない奴が隣に居るからな。」

「アルフ様っ!」

「まぁ、否定はしないが。」

キリトが嗜めるように主人の名を呼ぶ中、アルフの言葉に口端を上げた。

そこで、ようやくこちらの存在に気付いた竜が視線を向けると、鋭く尖った牙が覗く口元からチラチラと火の粉が舞った。

落とされた視線に応えるようにそれを真っ直ぐ見据えながら言う。

「取り敢えず離れてろ。私から。」

「竜からじゃないんですね。」

「自覚あるんじゃねえか。」

軽くつっこまれながら、睨む竜の元へ気負うことなく歩を進める。

反対にアルフとキリトが素直に後ろに下がると、二人の側でラズが見上げる程大きな漆黒の狼に姿を変えた。

「…!」

躊躇うことなく近付いてくる存在に目の前の竜が真っ向から炎を吐く。

装備で守られた全身で熱を感じつつ眼前で軽く弾いて消す。

「…さて、どうしようか。」

抜き身の短剣を片手で弄び小首を傾げて呟く。そして、狂ったように吠える竜を見上げた。



欠伸を一つ溢しながら普段よりも賑やかな街通りを歩くと、手に入れた軍資金で飲みにでも繰り出すのだろう冒険者達とすれ違う。

その度に必ず戸惑いを見せる姿は遺跡に出向く前と変わらない。

見慣れるまでにあとどれくらいの時間がかかるのか。

だが、冒険者とは別の立場で慣れてしまったアルフとキリトは既に周囲の様子に気を留めることがなくなっていた。

「リゼ殿、お疲れですか?」

「歩きながら寝るなよ。」

再び溢れた欠伸の後に目元を拭えば、二人が覗き込んでくる。流石に歩きながら寝ることはないが、万が一そんなことになればラズが運んでくれるだろう。

キリトに抱えられた黒い子犬を見れば彼は軽く尻尾を揺らして応えた。


手を伸ばしてラズの頭を軽く撫でると、それを見たキリトが口を開く。

「あの緊迫感の中で相当の運動量でしたから無理もないですよね。寧ろ、リゼ殿も寝ると分かってちょっと安心します。」

「いつからか寝ないかもしれない奴になってたんですね。」

キリトの中で構築されている自身の人物像は一体どうなっているのだろうか。

そこで今度はアルフが呆れたように言う。

「『眠くなるだけ』っていうのもどうかと思うが?あれだけやっても魔力不足にすらならないのは何故だ…」

「私は魔導士の方であれだけ物理的な戦闘が可能なことが不思議です。」

「………」

興味深げに見てくる二人の視線を流す。そんなことは今更のはずだ。改めて気にされたところで事実も態度も変わらない。


「でも、流石というか…初めから翼しか狙ってませんでしたよね?やっぱり飛ばれると面倒だからですか?」

「同じ土俵に引き摺り下ろした方がやり易かったので。」

「…魔物の竜は初めてじゃなかったのか?」

「過去一度だけだ。その時は異空間に入った瞬間、目の前に居た。」

「狂ってるな…」

「異空間は『大抵狂ってる』というのも、今日きちんと理解しました。」

いつもの調子で淡々と応えるとアルフが呟く。キリトも先程まで滞在していた異空間の記憶を思い起こして頷いた。

突拍子もないことが起こるのは事実だが、出口となる鏡も近くにあることを思えば、異空間に遊ばれているとも言える。


「そういえば、鼈甲蜥蜴竜の存在は今まで冒険者ギルドで知られていなかったんですか?」

「「鼈甲蜥蜴竜…」」

キリトの疑問に応える前に不意に名付けられた名称をアルフと共に繰り返した。

そのまますぎて、もうその名でしか呼べない。


そんな奪われた思考を戻しつつ口を開きかけるが、先にアルフがキリトに問う。

「キリト、この祭りで遺跡や異空間に出向くのは普通どんな奴だ?」

「え?冒険者の方々ですよね?」

「じゃあ、その冒険者は何の為に祭りに参加する?」

「それは…依頼を受けて、鼈甲蜥蜴の素材を手に入れる為…」

「素材を手に入れて最終的に得る物は?」

「…お金…ですね。」

「そういうことだ。」

アルフの問いに順に答えていったキリトが、全てを理解して苦笑した。

鼈甲蜥蜴祭りが発生してから一日を待たずして、冒険者ギルドには発生区域をほぼ全て特定できる程の情報が集まる。

おそらく、祭壇を持つ異空間も幾つかあったはずだ。

それにも関わらず鼈甲蜥蜴竜の存在が知られていないのだから、不思議に思うのも無理はない。

だが、その情報を提供している存在が冒険者が主なところ、彼らの本分を思えば答えは簡単だ。


アルフが軽く肩をすくめると続けて言う。

「祭壇の意味に気付いたとして、そもそも手に入れた素材を捧げたりしない。そんなことを躊躇わずにやるのは、ギルドの依頼も受けずに遺跡に出向いて素材にも金にも興味のない奴くらいだ。」

「二人も気にしていないように見えたが?」

「気にする前にひっくり返してただろ…まぁ、祭壇の方に興味があったのは事実か。」

「そうですね。初めからお金を稼ぎに行った訳ではないですから。」

つまり、この場に居る全員がある意味で同類だったからこそ、鼈甲蜥蜴竜の存在を知るに至ったということ。

今まで発覚する機会に恵まれなかった以上、冒険者ギルドにも情報は無い。


そんなやり取りをしながらギルドの建物前に辿り着く。中は相変わらず賑わっているようで、しばらくその場で立ち止まった。

取り敢えずギルドに来てはみたものの、混雑している光景を見て、より一層面倒になる。

「………」

無言で踵を返すとアルフとキリトが察したように苦笑を溢した。

だが、ギルドの扉を背にして再び歩き出そうとしたところで声がかかる。

「リゼ。」

「………」

渋々振り返れば開いた扉の前に強面の男が仁王立ちしていた。視線が合うとダンは顎で入れと促す。

「見つかったな。」

「捕まっちゃいましたね。」

「………」

二人の声を聞きながら小さく息を吐いた。

元々立ち寄るつもりでここまで来ていたこともあり、素直にギルドの入り口へ向かう。


ダンに続いて敷居を跨ぐも、部屋の中央付近から受付まで手続き待ちの人々でいっぱいだった。部屋の後方にある依頼ボード近くに留まるとダンが呆れた声音で言う。

「…ったく、目の前だっただろうが。直前で諦めやがって。」

「こんなに混んでるんだ。寧ろ、完了報告もない私が来る必要などないだろう。」

「俺が暇なんだよ。」

「知らん。」

普段ふらふらと外を出歩いているダンにとって、祭り期間中にギルドに縛り付けになるのは退屈らしい。

ダンとの会話に何となく周りの視線が集まるのを感じながら、呆れられることに納得がいかない返答を寄越され顔を顰める。


「…で?アルフとキリトだったか?どうだったよ、祭りは?」

ダンが二人に視線を投げるとしばらく考えてから、アルフとキリトが応える。

「騒がしい。」

「荒れてました。」

「はっ、違いねえ。」

端的に述べられた感想にダンが揶揄うように笑いながら頷いてみせる。

そこでふと気付いたように続けて尋ねた。

「お前らも素材持ってんなら買い取るぞ?」

その言葉にアルフとキリトがこちらに視線を寄越す。

それを受けて膨らんだ布袋を二つ、小さな鞄から取り出した。

それに少しだけ周囲がびくつく。

「二度目でもまだ気色悪いな…」

「慣れろ。」

ダンが呟いた文句を一蹴しながら二人に袋を渡す。


アルフとキリトは受け取った袋から一枚だけ素材を抜き取ると残りを全てダンに渡した。

「ん。」

「お願いします。」

「…結構あるな。リゼ、異空間まで連れて行ったな?」

「許可は貰った。」

「まぁ、お前の判断なら良いけどよ。ギルドの依頼案件でもねぇし、こいつらも動けるみてぇだし。」

そう言って中身を確認し終えたダンが顔を上げる。そして受付の方を見てから言葉を重ねた。

「悪いが買取金は後日取りに来てくれねぇ

か?流石に報告の手続きで期間中は手一杯だわ。」

「構わない。」

アルフが応えると隣でキリトも一つ頷いた。


二人の素材の売買が成立したところでギルドに立ち寄った本来の目的の為に口を開く。

「長。」

「おー、情報提供料だろ?どれだけ集めてきたか知らんがあるだけ全部買い取るぞ。」

「鼈甲蜥蜴竜の素材でいいか?」

「あ…?鼈甲蜥蜴…竜?」

聞いたことがある名前へ突如付け足された単語にダンが怪訝な様子で聞き返す。

その声を耳にしながら、琥珀色に輝く巨大な牙を鞄から取り出した。

「っ⁈」

ギルド内に居た全員が二度見する。

騒つく周囲をそのままに牙を片手に持ったままダンを見上げた。

「…お前ら、大概にしろよ。」

「「「………」」」

こちらを睨むダンから三人でそっと視線を逸らした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る