33

少しだけ気になったことがあった。

台座に卵形の器が据えられた魔導具の意味付けを尋ねた時、何故か彼女は背後を振り返った。

だが、名を呼んだ後はいつも通りで、返ってきたのは魔導石の意味付けだけ。

何かあるのかそれとも何も無いのか、いまいち判断がつかない。

そんな曖昧な状態のまま、外庭で展示会を見物していると彼女は木立の先に見える塔を眺めていた。

その姿に、僅かな嫌悪感を抱く。

こちらを見上げて不思議そうに問いかけてきたことには適当に返した。


確かに違和感はあったのかもしれないが、彼女はそれをあまり悟らせてくれない。

ただ、そんな彼女の様子が今は明らかにおかしい。

「リゼ…?」

「………」

先程からリゼは俯いたままで、呼びかけに一切の反応を示さない。それに眉根を寄せ、再度口を開く。

「リゼ!」

「………」

強めに名を呼ぶと、彼女はようやくゆっくりと視線を向けた。

「…⁈」

一切の温度が感じられない凍てつくような夜空の瞳に思わず息を呑むと、目の前に影が落ちる。

「ぅ…ぶっ…⁈」

突然、リゼの白いローブを頭から被せられたかと思えば、そのまま抱きつくように倒れ込んできた彼女をどうにか抱きとめて支える。

顔面に覆い被さっていたローブから頭を出し、自身の懐に収まるリゼを見下ろした。

だが、彼女は視線を後ろに向け、ローブを押さえつけたまま動かない。

声をかけようと口を開きかけるが、吐き捨てるように小さく呟いた言葉が先に耳に届く。

「…中途半端なことをしたな……」

「え…」

それに短く声を溢すが、視線を流して捉えた状況に目を瞠る。


「これは…」

自分達以外に、この場に立っている者が誰もいない。

先程まで賑やかな会話を交わしていた参加者達が、頭や口元を押さえて地面に膝をつく。

そんな周囲の光景とリゼがローブを自分に被せてきたことから、どうやら今この場所には身体に不調をきたす程の魔力が滞っているらしい。

「着ていろ。」

白いローブを預けてきたリゼは踵を返して数歩離れた。

その動きについて行くように、チラチラと白い何かが舞う。

「(これは…リゼの魔力か…?)」

白の遺跡の由来である森全体を真っ白にした魔力と見紛うそれは今、リゼの足元を白く染めていた。

彼女は溢れる魔力の残滓をちらと見遣り、短く息を吐いた。途端に白い魔力が消える。

その姿を眺めながら、渡されたローブに身を包む。

既にリゼによって大きさを変えられていたそれに足元まですっぽりと覆われた。


「………」

彼女は塔の建つ方向を見つめながらも側を離れることはしない。

露わになった薄く紫を纏う銀髪を風に流し、悠然と佇む様はいつも通りだ。

「(さっきまでのリゼの態度も気にはなるが…今は…)」

リゼと同じように塔の建つ方向へ視線を遣った。そこには否が応でも思い出される記憶がある。

あの場所で出来ることなどもう何も無いと思っていたが…

「リゼ、この先に何かあるのか?」

「あぁ。」

先程とは違い、夜空の瞳を上げてすぐに寄越された肯定に軽く拳を握る。

今、自分はどんな表情をしているのだろうか。

望みを言えとばかりにこちらを黙って見つめ続けるリゼに視線を合わせ、固く結んでいた口を静かに開いた。

「…連れて行ってくれ。」

「いいだろう。」

リゼは軽く了承してみせると、そのまま木立の中へ足を踏み出す。そんな彼女の後を黙って追った。


「………」

「…は?」

一切の躊躇もなく木立を突っ切って行くリゼに遅れないよう気を付けながら、辿り着いた先で目にしたものに眉根を寄せる。

そこに在るのは、土塊と岩塊が集まってできた大きな固まり。

見上げると、四足獣の形をとろうとしたのか胴と手足らしきものがある。ただ、頭にあたる部分がない。

見るからに不格好で不完全な物体だった。

「まだ形成の途中か?」

「…これ以上は無理だ。崩れている。」

呟いた疑問にリゼが応えた。

彼女の言う通り、湧き出るかのように物体の内側がぼこぼこと脈打つが、定着することなく土塊が地面に落ちる。

「こんなもの…一体どこから…」

塔の周りはただの広い平野が広がるだけで、荒れていることもない。

ただこの場所に土塊と岩塊が突然現れたかのような状態だ。

「…!」

そんな光景を見つめていると、目の前の物体がゆっくりと移動を始めた。

それにより降ってくる土や石は、自身の元に届く前に宙で弾かれる。

リゼが魔法を展開しているからだろう。

加えて彼女は今も周辺を探り続けているはずだ。

おそらく自分よりも把握していることが多い。

「魔物か?」

「違う。」

「魔力は?」

「ある…が、手に入るものなど何も無い。」

「そうなのか?」

「…奪った後……とでも言っておこうか。」

「奪う…?」

物体に魔力はあるが魔物では無く素材が手に入ることも無いと断定したリゼが後に続けた言葉に、首を傾げる。


それを一瞥した彼女は心底気に食わないとでも言いたげに短く息を吐いて呟いた。

「…犠牲が出たかどうか……どうせ無事では無いだろう。」

「…⁈」

思わずその場から後ずさる。自分の表情が凍りついていることが見えずとも分かった。

「(…奪ったから犠牲……あの日は誰かの搾取が招いた結果だったのか……)」

「………」

こちらを見上げたリゼが微かに目を瞠る。

だが、そのまま黙って視線を外した。やはり、彼女は何かを察してもそこに踏み入って来ない。

ただ、例え今、尋ねられたとしてもまともに答えられるとは思えなかった。


「(あぁ…腹が立つ……)」

ゆっくりと何処かを目指して移動をしている不気味な塊を見据えた。

今更になって姿を現したこれは一体何なのか。

あの日奪われたというものはどれ程の価値があるというのか。

誰がそれに無闇にも手を出したのか。

「…リゼ、あれは倒せるか?」

「あぁ。」

彼女は当たり前のように返すと一歩前に出た。

絶えず落ちてくる土と石を相変わらず宙で弾きながら、リゼの前で別の魔法が展開される。

目の前に居る物体の足元を片手で指し示し、すっと人差し指を空に向けた。

その僅かな動作とは裏腹に、途端、地面から突き出た鋭い鉱石が鈍い音を立てて物体の胴と四肢を貫く。

しかし、鉱石の爪に縫い留められた物体は身動きこそとれないが、力尽きる様子はなかった。

「…効いていない?」

「ここに居ろ。」

そんなことは初めから分かっていたかのように、地面に引き倒されている不完全な塊にリゼが歩み寄る。

頭の無い首元の前に立つと手で触れた。

それに呼応するように周辺の空気が騒めき、リゼの足元が白く染まる。

「あ…」

「………」

びくりと一度全身が脈打った物体はその動きを止めてぼろぼろと崩れると、辺りに土埃が舞った。


ただの土塊と岩塊の山になったそれを冷めた目で一瞥したリゼがこちらを振り向く。

「終わった。」

「知ってる。」

見れば分かる報告を一言口にした彼女に応えながら側に移動する。

「何をしたんだ?」

「……喰い合い…だな。」

「『喰い合い』?」

そう表現されるものとしては遺跡内に自生する植物の生存競争や、魔物同士の抗争、捕食がある。

謂わば、純粋な魔力量と質による制圧だ。

精霊を指揮した魔法での戦略を介さない、最も単純な「自分の方が上である」という主張。

おそらく、不気味な物体の魔力はリゼの魔力に呑まれるか散らされた結果、その身をただの土塊に変えたのだろう。


「…末恐ろしい奴。」

短く息を吐いて目の前の護衛に手を伸ばす。

その柔らかい髪に触れて撫でると掌がざらついた。

「思いっきり被ったな…」

「ふむ。」

彼女の紫を纏う銀髪が土埃に塗れていつもより燻んで見える。

何度か手で梳かしてみるが元のようには戻らない。

リゼは弄られる髪をそのままに自身の装備の表面を払う。

汚れることを知らないそれはすぐに元の様相を取り戻した。

それを見て、装備のようにはいかない彼女の髪から諦めて手を離す。

「…屋敷に帰るか。」

「キリトさんに見られたら掃除されそうだ。」

「それは…否定できないな…」

毛先を眺めながら言うリゼに同意を返した。

雑巾で拭かれることはないだろうが、この様を目にした瞬間に浴室に突っ込まれそうではある。

本来の幻想的な色彩を知っている以上、自分でさえ気になってしまうのだから、よく気のつくキリトは尚更だろう。


「リゼ、魔力濃度が薄くなるのは今はどの辺りからだ?」

「そこの木立を抜けた先…さっきの展示会場の辺りはもう大丈夫だろう。」

「そうか…すぐ戻るからここで待ってろ。」

「分かった。」

リゼをその場に残して展示会場の方へ足を向ける。

「(誰かしら居るかもしれないが……)」

そう思いながら、ポケットの中にある通信機を軽く握った。

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