30

朝焼けで赤くなった空を眺めながら家路を辿る。しばらく屋敷をあけてからの久しぶりの帰宅だ。

「………」

その場で足を止めて上着のポケットから二つの灰白色の小袋を取り出す。

一つの袋の中身には何も入っていない。だが、もう一つの袋の中には真っ黒な闇がある。

例の「何でも入る鞄」解析用に作った袋はいくつもあるが、完成した鞄のように闇を体現させたのは一つの方法だけだった。

しばらく袋を見つめてから小さく息を吐くと、再びそれをポケットに押し込んだところで屋敷をあける前の記憶が巡る。


リゼに頼んで塵怪の布素材で作った袋の中に夜刻石を割ってもらった日、キリトと二人で頭を悩ませた。

「リゼ…本当に何者なんだ…」

「どういうことなんでしょうね…」

机の上に並べた幾つもの小袋を前にして呟く。

それらは全て塵怪の布素材で作られた袋に夜刻石を割り入れたものだ。

だが、リゼがやって見せたように夜刻石を割っても同様の結果にはならなかった。

そこに違いがあるとすれば…

「あいつが普通でないことは分かっていたが…これは本当に人間かどうかすら怪しくなってくるな…」

言いつけ通り、屋敷に素材を持ち込んで「何でも入る鞄」製作に取り組んでいたリゼは、連日訪ねて来ては延々と夜刻石を割り続けていた。

彼女は自身の魔力で割っていると言っていたが、そもそも意味付けされた魔力を持つ魔石や魔導石は外部から別の魔力の干渉を受け難い。

そこを無理矢理可能にするにはそれなりの魔力を注がなければならないのだが、通常ならば魔力不足に陥ってもおかしくない作業をリゼは一切休むことなく何度も繰り返していた。

加えて転移魔法を展開して白の遺跡にある自宅に帰るのだから、彼女の魔力量は計り知れない。


ただ、そこまでならいつものことだとまだ割り切れるが、問題は魔力量ではなくその性質だった。

「…専用の機器で割っても、魔導士の方に割って貰っても夜刻石の魔力は袋の中に留まるだけで、しばらくしたら霧散してしまうんですよね?ただ、リゼ殿に割って貰ったこの袋は真っ黒ですから、素材の所為ではないということで…」

「あぁ、リゼの魔力の所為だ。簡単にできたと思った『何でも入る鞄』は、どうやら偶然の産物だったらしい。」

そうキリトに応えながら、同じく机の上に置いていた魔石の欠片に手を伸ばす。

それは金色と水色にはっきりと分かれて色付いていた。


手に取った魔石の欠片を目の前に掲げながら眉根を寄せる。

「二種類の魔力が必要…という訳でもなさそうなんだよな。」

「そうなんですか?リゼ殿と他の魔導士の方との違いと言えばそこだと思いましたが…」

「まだ全部調べてないから確実ではないが、そもそもこの袋の中に魔導士の魔力は残って無さそうだった。リゼのものも、他のものも…な。」

魔導士の魔力が影響しているというならば、夜刻石の魔力とは別の魔力が残っているはずだが、今のところそれがない。

真っ黒に染まった袋も染まらなかった袋も、解析の結果は全く一緒だったのだ。

だからこそ、この解析に引っかからない何かについてもっと突き詰めるべきだろう。

「ちょっと手伝ってもらうか……しばらく屋敷をあける。留守は頼むな。」

「はい。かしこまりました。」

そんなやり取りの後キリトに屋敷の留守を任せ、知り合いの魔導士にしばらく手伝って貰ったが、結局一つの推測を得ただけだった。


「(…足りない鍵を握るのはただ一人…か…)」

徐々に活気を増し始める通りを横目に、帰るべき屋敷へ向けて歩を進めた。


屋敷の門扉を潜ると何となく気配を感じて鍛錬場に足を向ける。

辿り着いた先で目にした光景に思わず見入った。

「………」

舞うように動く身体に合わせて、薄く紫を纏う銀髪が流れる。

手には何も持っていないはずが、まるで剣を振っているかのように錯覚させられる程、その姿は堂に入っていた。

風を切る音や地面を蹴る音が静かに耳に届く中、その場で立ち尽くすように目の前の存在を見つめる。

「(…綺麗だ……)」

そう素直に思う。

例え魔導士としてはあり得ない事であったとしても、この光景に対する感慨はその一つに限られた。

不意に全ての音が止むと、静寂の中、今まで瞼の裏に隠されていた色彩が映る。

「…帰ったか。」

「来てたんだな、リゼ。」

夜空の瞳がこちらを捉えると、相変わらずのぶっきらぼうな口調で出迎えられた。


夢から現実に引き戻されたかのような感覚でその声に応えながら、ゆっくりとリゼの元に歩み寄る。

そして、彼女の腰元にある鞄を一瞥すると前置きも何も無く尋ねた。

「リゼ、どうやらその鞄は君にしか作れないようなんだが?」

「へえ。」

唐突に投げられた言葉にリゼは短く反応を示すと、可笑しそうに口端を上げた。

その姿を責めるように見据えると、彼女は軽く肩をすくませる。

こういう時に見せる不遜な態度は出会った当初から変わらない。

「…心当たりは?」

「あるにはあるな。」

「それを教えるつもりは?」

「ない。」

単刀直入に聞くが、やはり答えてはくれないようだ。


視線を外して小さく息を吐くと、続けて言う。

「俺はリゼの魔力が影響していると思っている。」

「そうか。」

「…だが、袋に体現された真っ黒な魔力を解析しても、その結果は体現されなかった袋の魔力と同一だった。」

「そうか。」

「…違っていたのは魔力が安定して袋の中を真っ黒に染めるか、安定せずにしばらくして袋から魔力が無くなるかという結果だけだ。」

「そうか。」

「………」

なかなか態度が悪い。適当に相槌を打つリゼに顔を顰めた。


ただ、それはある意味この話題が彼女の存在そのものの核心に近いことを示している。

今回作り上げた鞄は、ほぼ塵怪を素材で再現する行為だった。

リゼが夜刻石を割った後、かき混ぜることを提案したのも塵怪の靄が渦巻いていた状態に近付けてみようとしたからだ。

そのような過程を前提に、塵怪の纏うローブとして布素材、ローブの内側の靄として夜刻石があり、唯一、核の役割を果たすものが足りない。

だが、元々魔物が発生する条件を鑑みれば仮説は出来る。

遺跡や魔力溜まりは自然界の魔力が集まった場所だ。

魔物を魔物として安定させる魔力がそこに起因している以上、核の代わりとなるものは遺跡や魔力溜まりの魔力。

つまり、リゼの魔力は自然界の魔力と性質が似ているか、もしくは自然界の魔力そのものか…

「…リゼは人間か?」

思わず口をついて出た問いかけに、彼女が僅かに目を瞠る。そして揶揄う様に笑みを浮かべると首を傾げた。

「人間だと言えば納得するのか?」

「それなりの理由が無いと無理だ。」

「…なら、まだ私は人間にはなれないな。」

リゼが何者であるか…その答えは未だに齎されることはない。

誰が何をどう調べようと、憶測の域を出ないことを彼女は確信している。

つまり、今答えを持つのはこの世できっとリゼだけなのだろう。


諦めたように深く溜息を吐くと、彼女はそんな相手のことはお構いなしにいつもの調子で尋ねてくる。

「依頼は?」

「………」

その問いかけに視線を上げるとリゼは黙って続きを待つ。

しばらくの沈黙の後、口を開いた。

「タイミングが合えば同行…護衛を依頼しようと思ってた。当日の朝、屋敷に来い。」

そう言って一枚の紙を渡す。リゼは一度広げて中を確認した後、すぐにポケットにそれを仕舞った。

同時に今まで何処に居たのか、子犬姿のラズがリゼの足元に駆け寄って来る。


そんな一連の様子を眺めていると、ようやくいつもと違うことに気付いた。

「…?…今日は装備じゃないのか?」

「まぁな。もう大丈夫だろうが様子は見ろよ。」

「は?」

先程の仕返しだろうか、前置きも無く唐突に告げられた内容に一体何の事だと疑問の目を向ける。あまりにも言葉足らずだ。

だが、詳しく説明するつもりはないのか、彼女はラズを抱え上げて一度だけ視線を投げると短く言う。

「キリトさん、熱で寝込んでたぞ。」

「っ⁈」

思わず屋敷の方を振り向き再びリゼに視線を戻すと、既に彼女はそこに居なかった。

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