29
ふらふらと目的もなく街通りを歩く。
周囲はいつも通り賑やかで活気に溢れていた。違うのはこの場に居る自分だけ。
「(…ちゃんと、取り繕えていたかな?)」
気軽な笑顔を装って家を出たが、胸の内は随分前からぐちゃぐちゃだ。
どうしたら良いのかも分からず衝動的にここまで来た。
顔を上げた先の店に卓上型の鏡や高そうな宝石が散りばめられたアクセサリー類が並ぶ。
綺麗な鏡に栗色の髪とライトグリーンの瞳を持つ自身の姿が映された。
「………」
ただの子どもに高級店が並ぶこの場所はあまりにも似つかわしくない。
周りに保護者らしき大人もいないのだから、より一層浮いていた。
だが、今の自分にそんな違和感を気にする余裕は無い。
思い出すのは大好きな家族の姿。
巡るのはその姿を塗り潰す思念。
出来ることは分からないが、必要なものは明白だった。
「(…お金があれば……)」
もうずっとそればかりを考えている。
光を受けてキラキラと輝く美しい宝石へガラス越しに手を伸ばした。
俗に言う、泥棒やら盗賊やら強盗やらの類はこういった物を盗んで売っては稼いでいるのだろうか。
それは、或いは自分にも……
「やめておいた方がいいと思う。」
「っ⁈」
突然真後ろから聞こえてきた声にびくりと肩が跳ねる。
恐る恐る振り返ると、おそらく自分と同い年か年下くらいの年齢で濃紺の髪の少年がこちらを眺めていた。
やめるも何もまだ何もしていないのだが、真っ直ぐに見つめてくる太陽の様な金色の瞳に思わず怯む。
「急にいなくなったと思ったら…どうかしたのかい?」
「シベルさん。」
両者がしばらく何も言わずに佇んでいた所に黒髪の男性が駆けてきた。それに目の前の少年が応えると、今度はダスティブルーの瞳が不思議そうにこちらを見遣る。
「えっと…」
何か言わなければと戸惑いながら口を開きかけた時、少年の声がそれを遮った。
「さっきから挙動不審だし、何するつもりかなんて知らないけど、迷ってるならやめておいた方が良い。絶対、今の君には成し得ないから。」
「………」
「おいおい…アル君…」
はっきりと叩きつけられた言葉にその場で縫い付けられたかの様に身体が動かなかった。
状況が全く飲み込めていない黒髪の男性は迷いながらも少年を軽く嗜める。
だが、少年の目はライトグリーンの瞳を捕らえて離さない。
「えっ?君、大丈夫っ⁈」
男性の少し慌てた声が聞こえる。
そもそも既に限界だったのだろう。不意にぼろぼろと大粒の涙だけが溢れ落ちていた。
声もなくただただ地面を濡らしながら立ち尽くす様に、流石に虚を突かれたようで少年の金色の瞳も戸惑いに揺れた。
「ご…ごめん。」
「…!」
申し訳なさそうに謝る少年に、咄嗟に首を振る。彼は何も悪くない。寧ろ声をかけてくれて助かった。
今でさえもこの状態なのだ。絶対に成功はしないし、そもそもやって良いことだと思っていない。
溢れる涙を止めようと俯いたまま目元を擦る。
すると、とんっと肩に手が置かれ、落ち着いた声音が耳に届いた。
「取り敢えず…場所を変えようか?」
「………」
先程から何が何だか分からないまま立ち会っていた男性に促され、少年と共に手を引かれて歩き出す。
小さな喫茶店の前に着くと男性は気負うことなくその扉を開けた。
カランと鳴った鈴の音に喫茶店の主であろう年配の男性が顔を上げる。
「おぉ、シベル。いらっしゃい…って、子守り中か?おいおい、そっちの坊ちゃん泣いちまってるじゃないか。何やってんだ、お前さん。」
「いや、面目ない…悪いけど奥の部屋使っても良いかな?」
「おう、空いてるから大丈夫だぞ。適当に何か持って行ってやるからゆっくりしていけ。」
「ありがとう。」
顔見知りなのだろう店主と言葉を交わしながら、慣れたように男性が店の奥へ歩を進める。
案内された個室でテーブルを挟み、男性と少年に向かい合う形で腰掛けた。
「さて、流石に落ち着いたかい?」
「…はい。ごめんなさい。」
ここに来るまでに、溢れていた涙は止まってくれた。だが、擦り続けていた目元はヒリヒリと痛みを残す。
そこで、扉が軽く叩かれた。先程の店主が姿を見せるとこちらに視線を落として言う。
「あーあー…ずっと擦ってたのか?赤くなっちまって。何があったか知らないが、これでも飲んで元気出せ。」
「あの…今、手持ちが…」
「坊ちゃんから金なんか取らねえよ。シベルに貰うから気にするな。」
「サービスじゃないのか。」
悪戯っぽく笑みを浮かべる店主に男性が軽くつっこむ。ケラケラと可笑しそうに笑いながら店主は更に言葉を続ける。
「当たり前だろう?なぁ、アル坊。」
「ご馳走様です。」
「はいはい。どういたしまして。」
目の前に座る少年に店主が声をかけると、彼は当たり前のようにぺこりと頭を下げる。
それに手を上げて応える男性を眺めていると自身の頭にぽんっと手を置かれた。
こちらを見下ろす店主と視線が合う。
「飲まないと今度はそこの兄ちゃんが泣いちまうからな。ありがたく貰っとけ。」
そう言って笑うと、彼は部屋から出て行った。
再度、目の前の二人へ顔を向けるとグラスへ既に口をつけている少年と、こちらの視線に気付いて軽く手を振る男性を視界に捉える。
「あの…ありがとうございます…えっと…」
礼を述べて困ったように首を傾げると、途切れた言葉の先を男性が引き継ぐ。
「シベルだ。この子はアルフ。」
「き…キリトです。」
「キリト君だね。よろしく。さて、自己紹介も済んだところで…アル君、さっき何であんな事言ったんだ?挙動不審だとか…やめとけとか…」
「…この前シベルさん達が言ってた『何かしでかしそうな人間』の動きそのままだったからです。」
互いに名乗り、件の出来事についてシベルがアルフに尋ねると、アルフは少し罰が悪そうに答えた。
その内容に今度はシベルが呻く。
「ゔぅん…君の優秀さがこんな所にも発揮されるとは…どうやらキリト君を追い詰めたのは私みたいだな…すまない。」
「いやっ!ち、違います!」
「「…?」」
申し訳なさそうに頭を下げるシベルを見て慌てて否定すると、二人は尋ねるような視線を向けた。
「あの…」
言葉を切り、話してしまって良いのだろうかと惑う。
これは二人に全く関係のないことだ。言ったところで困らせてしまうだけだろう。
「ねぇ、これは尋問だよ?答えてくれないと困るんだけど?」
「えっ⁈」
「アル君っ⁈」
持っていたグラスをテーブルに置いてアルフが唐突に言う。
それをシベルと共に目を丸くしながら見返した。
「君の事情なんか関係ないし、それを聞いてこっちがどう思うかは君が決めることじゃない。」
「………」
だから、何も考えずにぶち撒けてしまえと…アルフの目が真っ直ぐに見据えられた。
それにまた泣きそうになるのを堪えて俯く。もうずっと前から抱えきれなくなっていたのに、それを晒せる相手がいなかった。
「父さんが…身体を壊して……ずっと風邪だと思ってたのに…そうじゃなくて…」
「「………」」
自分でも話が纏まっていないのはよく分かる。それでも、口をついて出てくる言葉を目の前の二人はただ黙って聞いていた。
きっとシベルもアルフも頭のいい人なのだろう。
要領の得ないまま、ぽつりぽつりと心の内を吐き出した。
ずっと元気だった父にある時から咳が続くようになったこと。
ただの風邪で少し休めば治ると思っていたが、そうではなかったこと。
床に伏せる父が大丈夫だと申し訳なさそうに笑い、母と弟が大丈夫だと泣きそうに笑うこと。
「…皆んな…大丈夫じゃないけど大丈夫だって言うから…僕は怖いし不安だけど…それを口にしちゃうと家族を壊しそう……」
「………」
「そうか…」
思いつくままに言葉を紡ぎ続けて渇いた口をグラスに付けた。
果実の甘酸っぱい香りがすっと胸まで落ちる。久しぶりに美味しいと思った。
状況的には何も変わっていないのだが、思考がすっきりする。
グラスをテーブルに戻したところで、アルフが尋ねてきた。
「それ、治らないの?」
「…薬はあるけどちょっと高くて…それに長くかかるみたい。だから…僕達には手が出せない…」
「ふーん。」
「………」
アルフはただ軽く相槌だけ打つとそのまま視線を落とす。
そんな彼をシベルがどことなく興味深げに眺めていた。
そこで、しっかりと顔を上げる。
「あの、ありがとうございました。もう大丈夫なので帰ります。」
「えっ?でも…」
唐突なお礼と帰宅宣言にシベルが少し惑う。
だが、そもそも尋問という言葉でアルフが強制を装ってくれたからこうして話ができたのだ。それだけでもう十分だった。
「誰にも言えなくていっぱいいっぱいだっただけなんです。帰ってまた出来る事を考えるので…」
「帰り、急ぐ?」
「え?えっと…まだ日も高いしそんなに遠くないから、ゆっくり歩いて帰ろうと…」
アルフの問いかけに送ってくれようとでもしているのかと思って首を振ると、彼は更に言葉続ける。
「じゃあ、ちょっと一緒に来て欲しいんだけど。」
「は…い…?」
その申し出に疑問の表情を向けた。
街を出たところでシベルと別れ、のこのことアルフに付いて行った先に立派な屋敷が建っている。
「…あの、ここは?」
「俺の家。」
「えっ⁈」
ここが自宅だというアルフは慣れたように門扉を潜った。
それに続いて良いものかどうか逡巡しつつ、彼の背を追う。
「(わぁ…)」
屋敷の中はもっと見慣れなかった。
どんどん進んで行くアルフに離されないよう気を付けながら辿り着いた部屋は、様々な機材が置かれた研究施設のようだった。
「アルフ、おかえりなさい。」
「ん?その子は…?」
その部屋で丁度仕事をしていたのか、アルフの両親であろう二人がこちらに気付くと、彼に連れられた存在を不思議そうに見遣る。
だが、自分はアルフに言われて付いて来ただけで何の為にここに呼ばれたかが分からない。
どうしようかとアルフの背に視線を流すと、彼は二人へ向けて口を開いた。
「犬が欲しいって話覚えてる?」
「は?」
「え?」
「(犬…?)」
突然の犬が欲しい発言に彼の両親と共に首を傾げながらも、その場でただ行く末を見守った。
「…それから私はアルフ様の元でお世話になることになりました。」
「………」
そう締めくくれば、どこか反応に困っている様子のリゼが無言でこちらを見下ろしていた。
何かおかしかったかと直前の言葉を思い起こす。そこで気付いた。
「あっ、違いますよっ⁈犬として飼われた訳ではなくて、アルフ様付きの補佐として雇っていただいたんです!」
「…あ…はい。」
慌てて付け足した説明にリゼはこくりと一つ頷く。ただ、何やら思うことでもあるのかその声は曖昧だった。
やはり全く頭が回っていない。
体調が悪いのもあるが、リゼから貰った茶の効能だろうか、先程からぽかぽかと身体の内側が温かくなり眠気が襲う。
細かく言うならば、屋敷に連れられたその日に雇われた訳ではなく、きちんと両親に事情を説明し許しを得てからだった。
自身の意思も確認され、互いに同意した上の雇用である。
正式に決まった後は治療費を前払いの形で請け負ってくれ、自宅にも自由に帰らせてくれた。
「アルフ様達のご助力で父の病も完治し、今は家族皆んな元気に暮らしています。」
「へぇ。」
そう短く応えるとリゼは再度椅子の背もたれに身を預ける。
それを横目で眺めながら先程の彼女の言葉を思い起こした。
「(…はしゃぎ過ぎかぁ…)」
それを聞いて、間違っていないと素直に思った。
アルフの日常が壊れてしまったあの日から、今度は大事な主人を失いそうでどうしようもなく怖かったのだ。
だからこそ、アルフの居場所がここであることを主張し続けた。
ふらふらと彷徨い歩くようで、目を離した途端に消えてしまいそうな危うさに必死に抗っていた時、彼が見つけてきたのがリゼだ。
未だ謎が多く得体の知れない彼女だが、とても感謝している。
彼女の為に部屋を用意するのも、できるかどうかも分からない製作実験をするのも、この屋敷で新しく刻み始めた時間を実感して嬉しかった。
アルフの欲しい答えには辿り着いていないが、「あの日」以外のことにも手を出すようになったのはリゼのおかげだろう。
隣に座る彼女をぼんやりと眺めていると、視線に気付いたリゼが小首を傾げた。
それを見て、呟くように言葉を紡ぐ。
「これからも、アルフ様をお願いしますね。」
「…頼む相手を間違えてますよ。」
「そうでしょうか?」
「はい。」
はっきりと寄越された返事に苦笑を溢す。
今は、この場所にいつまでも留まるつもりは一切ないと言っている。
彼女にとっての意味が無くなれば、すぐにでも離れてしまうだろう…まるで幻影のような存在。
だが、例え契約の魔導石で結ばれた歪な関係でも大事な主人の側に居て欲しいと願う。
「うーん…どうすればここに居てくれるんですか?」
「………」
欲張って尋ねると、それを聞いたリゼは少しだけ視線を上に遣る。
再び夜空の瞳がこちらを向くと、いつもの調子で応えた。
「キリトさんのご飯は好きです。」
存外気に入ってくれていたらしい。
要は、胃袋を掴んでみせれば良いのだろうか。
リゼの言葉に小さく声を出して笑う。
「ありがとうございます。また、ご馳走しますね。」
「それなら早く治ってもらわないと困りますので寝てください。」
長らく何も言わずに話に付き合ってくれていたリゼだが、流石に軽く苦言を呈される。
それに緩く笑みながら、今度こそ誘われるままに眠りに落ちた。
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