28

目の前の景色が切り替わる。

視界に机と棚を捉え、足が床に着いた。視線を流せば要望通りに誂えられた硬めの寝具がある。

部屋の扉の下部には小窓があり、一緒に転移したラズがその小窓を押して先に出て行く。

ここは、ひょんなことからアルフの屋敷に用意された転移先の部屋だ。机と棚、寝床まで揃えられており、きちんとした一人部屋として確立されている。

だが、未だ転移先以外で活用したことはない。そういう機会が訪れるかどうかも不明。

部屋が用意されてからもここに自身の持ち物が増えることはなく、勿論生活感は皆無だ。

そんな状態を一瞥し、先に出て行ったラズを追うように部屋の扉を開ける。


「リゼ殿、いらっしゃいませ。」

屋敷の一階に降りる階段に向かう途中、ラズに連れられたキリトと鉢合わせた。

いつものように人懐っこい笑顔で迎えてくれたキリトだが、彼の所作に僅かな違和感を覚える。

小さく頭を下げて応えると、彼が申し訳なさそうに続けて言う。

「すみません。アルフ様は数日留守にしてまして。どうぞ、お茶だけでも。」

「………」

キリトの言葉に、腰に着けたウエストポーチ型の鞄を見下ろす。

これは、例の「何でも入る鞄」製作実験において作り上げた完成品だ。

三人で遺跡から戻った後、後日一人で遺跡に向かい遺跡内や異空間内で夜刻石を集め、アルフの屋敷に持ち込み延々と割り続けるという作業を何日か行った。

際限なく続くかと思われた魔石割りは、維持できる魔力量を超えたのか、割った欠片が残るようになったことで終わりを告げ、出来上がった鞄は一時アルフに預けた後、彼から正式に貰い受けた。

初めこそ「ちょっと奥行きのある鞄」だったものは限界まで魔力で満たされ、今では立派な「何でも入る鞄」となっている。


「(数日留守…か…)」

アルフが屋敷に居ない理由には大体見当がついている。

塵怪の素材の一つである夜刻石が実は魔石であることを知ったアルフは、流石にただの装飾品として扱われるのは問題だろうと証明に動いていた。

彼の家系が代々魔導石の研究に携わってきた以上、この部分を正さない訳にはいかなかったようだ。

それと並行して、案外簡単に実験が成功した「何でも入る鞄」の解析も行っていた。

鞄の方は全員の興味と好奇の産物であり、例え成功したとしても初めから公にするつもりはなかったらしい。

ただ、その性質を知りたかったアルフは塵怪の布素材でいくつか袋を用意し、その中にも同様に魔石を割るよう数回依頼してきた。

その時、彼がその端正な顔を一度だけ僅かに顰めたことを見逃してはいない。

特に進展も何も尋ねていないが、何かしらややこしい事態が起こっている事は察している。

「(そして…その原因は十中八九自分だろうな…)」

そう思いながら自嘲するように薄く笑みを浮かべた。腰のベルトから提げた二本のバングルに軽く指が触れると、小さく音を鳴らして揺れる。


だが、そんな分かりきった事実より気になることが目の前にある。顔を上げるとこちらを見つめるキリトと視線が合った。

先程から一言も発することなく立ち止まったままの相手を、彼はずっと待っていたようだ。

「………」

「リゼ殿?」

依然としてその場から動かずキリトを見つめると、彼が不思議そうに問いかけてくる。

その声を聞きながらも、逆にキリトへ問いかけた。

「風邪ですか?」

「…⁈」

淡々とした声音で投げた言葉にキリトの肩が小さく跳ねた。

ライトグリーンの瞳を逸らして逡巡するそぶりを見せると、諦めたように息を吐く。

途端にキリトの姿勢が崩れた。

「やはりリゼ殿には隠せませんか…無駄な抵抗でしたね…」

「………」

困ったように笑って言うキリトの額に手を伸ばす。触れた熱に思わず顔を顰めた。

「休みましょう。」

「いや…でも…」

「力ずくで眠らせましょうか?」

「…そ、それはご勘弁を…」

体調の悪い者にも一切容赦のない物言いに、彼の表情がひきつる。

同じようにキリトを見上げていたラズが狼に姿を変え、彼の腰元に寄り添った。

「あ、監視付きですか…」

「はい。どうぞ、そのまま部屋へ。」

その言葉に抵抗することもなく素直に従うキリトにラズが付き添う姿を見送る。

「さて、想定外のとんぼ帰りだな。」

そう呟きながら、一度西の森に戻る為に魔法を展開した。


再び捉えていた景色が切り替わると、目の前にある自宅の扉を開ける。

「(…三対、三対…四…、温かい方が良いか…)」

戸棚から数種類の小箱を取り出し、燻してから乾燥させた葉を順に入れ、湯を沸かし始めた。

その間に装備から別の服に着替える。

着替えと言っても使用している装備類が全て布素材で作られている為、見た目にそこまで変化はない。明確に装備らしい様相をしているのはローブくらいだ。

飾り気のないシンプルな普段着に身を包み、果物をいくつか袋に詰める。

先程沸かしていた茶をボトルに注ぎ、同様に袋にまとめてから、その荷物一式を鞄に入れた。

ウエストポーチ型の鞄より明らかに大きい荷物は、ずぶずぶと闇に飲み込まれるように消えていく。

「(アルフが不在の時…っていうのが、なんかキリトさんらしいな。)」

ふとそんな事を思いながら取り敢えずの物だけを持つと、再び足元から淡く光が溢れた。


転移先であるアルフの屋敷で部屋の扉を軽く叩く。

「はい、どうぞ。」

すぐに中から返事があり、遠慮することなく開ける。

足を踏み入れた先でキリトが楽な服装に着替えて寝具に腰掛けていた。

彼の隣には、子犬姿のラズが伏せている。

「私の部屋、よく分かりましたね。ご案内したことないと思うのですが…」

「ラズが付いて行ったので、知らなくても辿れます。」

「あぁ、なるほど。」

キリトの疑問に答えながら部屋にある椅子を拝借し、彼の近くに移動させる。

「今日は何か食べましたか?」

「あ、はい。リゼ殿がいらっしゃる少し前に…普段通りとはいかなかったのも事実ですが…」

「そうですか。」

食欲が多少落ちているようだが、全く受け付けない訳でもないようだ。

とにかく、体調が悪いなら休養するに限る。

既に何かしら口にしているならと、先程袋にまとめた荷物を鞄から取り出した。

「あの…リゼ殿…」

「何ですか?」

魔法を展開してマグカップを一つ転移させたところでキリトから声がかかる。

それに返答しながら袋の中にあるボトルを掴む。

「えっと、私なら大丈夫ですので…あまりお構いなく…」

「私はアルフの護衛なので。」

「えっ、はい……ん?」

遠慮がちに言うキリトへ軽く言葉を投げると、彼はその紛れもない事実に頷きながらも首を傾げた。

そんな様子を一瞥してから口を開く。

「『キリトさんの無事』は『アルフの無事』と同義かと。」

「………」

淡々と持論を述べて、ボトルを傾ける。香ばしい香りと共に湯気が立った。


熱で頭が回っていないのか、何も言わないキリトに茶を注いだマグカップを手渡す。

「どうぞ。」

「…ありがとうございます。」

彼は素直に手を伸ばすと、立ち上る香りに誘われるように中身を覗く。そして、躊躇うことなく口を付けた。

「これ、美味しいですね。」

「…ただのお茶です。あとは寝てください。」

独自に配合した茶で、出回っているようなものではないが口に合ったようで何よりだ。

だが、自分は医者でも何でもない。

実際、キリトに勝手に治ってもらうしかないのだから、さっさと休むように促す。

飲み干したカップを受け取ると彼の隣に伏せていたラズが床に降り立つ。

「ここまで体調を崩すのは何年振りでしょう…熱が出るのもすごく久しぶりです。」

「はしゃぎ過ぎたのでは?」

「…そう言われるとめちゃくちゃ恥ずかしいんですが…」

大人しく布団を被ったキリトは齎された診断内容に両手で顔を覆った。

転移用の部屋を熱心に作ったり、遺跡で意気揚々と魔物をぶん殴ったり、ここ最近の彼を思えば妥当な気がする。

キリトも何かしら思い当たる事はあるのか、困ったように笑った。


まだ眠るつもりはないのだろう、どこか話した気に寄越されたキリトの視線に応えるように、足元に居るラズを抱え上げてから椅子に腰掛ける。

しばらく部屋に沈黙が流れた後、キリトが静かに口火を切った。

「リゼ殿は…一体おいくつなんですか…?」

「…さあ?」

「それは…長生きし過ぎて忘れているということでしょうか?…それとも秘密ということですか?」

「………」

ぼんやりした声音ながらも攻めてくる。

熱のせいかキリトの自制心が緩くなっていた。それに軽く肩をすくませて応える。

「護衛を辞める時には答えてあげますよ。」

「それならいいです。」

おそらく正常でない思考にも関わらず、すぐさま否定されるあたり、まだ引退は望まれていないようだ。

キリトはライトグリーンの瞳を向けて更に言葉を続ける。

「…リゼ殿は…人間ですか?」

「人間ですよ……って言ったら納得しますか?」

「………」

「魔物ですよって言った方がすぐに頷いてくれそうですね。」

「…申し訳ありません……」

素直に謝罪するキリトへ愉快そうに口端を上げて見せると、彼は小さく息を吐いた。

こうやって碌な情報を与えていないのだから、キリトの中で自分が何者になっていようとおかしくはない。

「(…人間ではないという結論に傾いていながら、こうして部屋での滞在を許すというのもどうかと思うが…まぁ、そこは今更か。)」

ラズの毛並みを撫でながら背もたれに身を預ける。


そのまましばらく、部屋にはそれぞれの息遣いのみが静かに続いた。

キリトの方に視線を遣ると、うとうととしながらも未だ眠りにはついていない。

だが、もうじき彼の意思に関係なく寝息を立てることになるだろう。

視線を外して目を閉じると、再び続くと思われた静寂が不意に破られた。

「…私と初めて会った時、アルフ様は犬が欲しかったそうです。」

「(…犬?)」

一体何の話が始まったのかと疑問に思いながらも、ぽつりぽつりと呟くように言葉を紡ぐキリトの声に、黙って耳を傾けた。

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