25

湿った風が頬を撫で、波音が絶えず耳に届く。そして、視界には青い海が広がっていた。

立っている場所は大海に浮かぶ一隻の大きな船の上である。ただ、足元が揺れることはない。

その不自然さがここを異空間…創られたものであると物語っていた。

周囲を一瞥し、隣で辺りを物珍しそうに眺める老婦へ問いかける。

「辿れるか?」

「えぇ、大丈夫よ。寧ろはっきりしたわ。あっちね。」

指し示されたのは船内へ向かう扉だった。魔石獣はどうやら船の中のどこからしい。

海中に居ると言われたならばさらに面倒な状況だっただろうが、そこに思考を割く必要はなさそうだ。

「(まぁ、異空間の海だからな…案外、海中で息ができるかもしれない。)」

船上から大海を眺めながら老婦の指した扉に向かう。

躊躇うことなく開けると、船の外観の大きさよりもさらに広い船内に顔を顰める。やはり異空間は異空間だ。


異様に幅広い一直線の通路があり、その両側の壁には小部屋の扉が等間隔に幾つも並んでいる。そして、扉と扉の間を埋めるように多様な武器が壁に飾られていた。

「…で、これはどうしろと?」

「空っぽね。」

思わず溢れた言葉に老婦が応える。

視線の先には蓋の空いた宝箱が一つ置かれていた。中身は確認した通り空だ。

船内に入ってすぐ足元に置かれていた宝箱の用途が分からない。持ち歩くべきものなのか、放置して良いものか。

「……ラズ。」

しばらく考えてから、黒い子犬の名を呼ぶ。星屑の様な魔力に包まれた彼は見上げる程の漆黒の狼に姿を変えた。そのまま老婦の前に伏せる。

その光景に目を丸くした彼女へ声をかけた。

「ラズに身の安全を確保させるから乗ってくれるか?」

「まぁまぁ、素敵な護衛さん!お願いね、案内はちゃんとするわ。」

「あぁ。」

老婦がラズの背に横乗りで腰掛けたのを確認し、先へ進むべく前方に視線を向ける…と、先程まではそこに居なかったはずのものが音もなく佇んでいた。

「何でそうなる…」

「あら、可愛い。」

視界に捉えたのはピンク色の骸骨だった。派手な色味が目に痛い。骨を包む様にゆらゆらと同色の靄が揺れる。

しばらく無言で観察していると、カタカタと小さな音がしてぱかりと開いた口から火を吹いた。

「っ⁈」

迫る熱気に無数の水の塊を展開して防ぐと、視界が一時白く染まる。

蒸気に紛れて一気に距離を詰め、腰に掛けた短剣を抜きざまに薙ぐと、頭蓋が床に転がった。

そのまま横たわるピンク色の頭と胴を眺めるが、寸断された箇所を繋げようと小刻みに動き始めた瞬間、胴部分を踏み砕く。

「貴方のご主人は容赦が無いわねぇ。」

一連の流れを見ていた老婦がラズにかけた言葉が耳に届くと同時に、ピンク色の骸骨から火柱が上がった。

「…!」

突然の攻撃を躱し、ラズ達のいる場所まで下がる。天井まで火が立ち上るが、船が焼けることは無い。

「(力ずくでどうにでもなるが、楽ができるなら楽をすべきか…)」

そう思いながら船内の壁を見遣ると、飾られた短剣を一つ徐に手に取った。

前方に見えていた火柱が徐々に小さくなり完全に消えると、現れたのはすっかり元の状態に戻ったピンク色の骸骨だった…が、復活を果たした直後の頭骨に投擲された短剣が突き刺さる。

そのまま倒れ込むとその姿は霧散し始めた。

「不思議…船内の武器なら倒せるのね…」

「これだけあからさまに並んでいるからな。そういうことだろう。」

さぁ使えとばかりに所狭しと壁に掲げられた武器類を見ながら応えると、背後で何かが落ちた音がした。


そこにあるのは結局放置していた空の宝箱だけだが、駆けて行った老婦の魔石獣達がそれを担いで戻って来るのを黙って待ってみる。

よく見てみるとその背に乗せて運んでいる訳ではなく、宝箱は僅かに浮いていた。

すぐ足元に届けられた宝箱の中身を覗くと、透き通るピンクに色付いた球体の魔石が一つ納まっていた。

「さっきの魔物の素材かしら?」

「ふうん…」

美しい魔石に視線を落としながら、軽く周囲を探る。あのピンク色の骸骨の他に通路に魔物は居ない。だが、等間隔に並んだ左右の個室に気配がある。

個室に居る魔物から素材を得れば、さぞかし立派な宝箱が出来上がるだろう。

だが、ここには異空間を攻略にきた訳でも金を稼ぎにきた訳でも無い。

「魔石獣は何処だ?」

「もっと先よ。」

魔石が一つ入った宝箱をそのまま老婦の魔石獣達が運びつつ、全ての部屋を素通りして行く。完全なる無視である。

「…!」

「あら。」

このままではどの扉も開けられることがないと察したのか何なのか、素通りしていた部屋の扉が次々と開いた。

目に優しくない色とりどりの骸骨が通路に出てきてはカタカタと不満気な音を立てる。

「構って欲しいみたいね。」

「………」

その光景を見て、軽く息を吐いた。流石、異空間に力を入れているというべきなのだろうか。何というか…

「全体的に主張が激しい…」

「ふふふっ。」

老婦の楽しそうな笑い声を聞きながら、壁に掛けられた細身の大剣に仕方なく手を伸ばした。


「異空間って面白いのね。さっきの骸骨魔物さん、腕が四本あったわ。あの子達はみんな固有種かしら?」

「おそらく…まぁ、そこら辺はギルドに聞いた方が確かだが。」

それなりに多くの魔物を相手にしてきたとは思うが、つい先程魔物が発生しない遺跡を初めて目にしたばかりだ。

自分が知っている範囲のことなど、はっきり言って当てにならない。

そう老婦の言葉に応えたところで、宝箱の中に新たな球体の魔石が納まった。濁りなく透き通ったまるで水滴の様な美しい透明だ。

他の魔石よりも大きいそれは、既に納められていた魔石の色を通して七色に輝く。

この場所は入り口から真反対にある最後の部屋だ。ここに至るまで、扉を自ら開けることはしなかったが、素通りしては勝手に出てくる魔物を相手にし、結局は立派な宝箱が出来上がっていた。

だが、その宝箱が霞むほど最後の部屋は豪華だ。中央に玉座が置かれ、その周りは金銀財宝で埋め尽くされている。

最早、ここが船の中である事は関係無いらしい。

因みに玉座には先程まで腕が四本の骸骨が鎮座していた。おそらくあれがこの異空間の主だったのだろう。

宝箱の中に納まった透明の魔石を一瞥し、部屋の一角で辺りを見渡す老婦の元に歩み寄る。

「この辺りだと思うのだけれど…」

「………」

持っていた細身の大剣を壁に立て掛けてから、財宝の山を確認していく彼女の隣に座り込んで、同じように財宝の山を漁る。

すると、子犬に戻ったラズが、ある一箇所の山を崩してこちらに視線を向けた。

そこには、周りの豪華な装飾が施された物とは明らかに様相の違う石があった。

飾りの無いそれを手に取って、老婦に差し出す。

「居たぞ。」

「あぁ!良かったわ、見つかって。」

彼女は嬉しそうに受け取り、ポケットから取り出した袋にそれを入れた。

魔石化した骸の見た目は普通の宝石や魔石とあまり変わらない。

ただ、魔石獣となる魔石化した骸は、月明かりに照らせばその中に魔法陣の様な紋様が浮かぶという。

残念ながらここに月は無いが、探していた魔石で間違いなかったようだ。

「今日中に探し出せるとは思わなかったわ。ありがとう、お嬢さん。」

「こんな所まで同行してくれたおかげだがな。」

「楽しかったわよ?貴方達が優秀だったから、私達は傷ひとつないもの。」

「………」

本来、探して欲しいと依頼してきた人物を、同意があったとはいえ異空間まで連れて行ったのだ。怪我などさせるわけにはいかないだろう。それを成し得る自信がないならば、受注者としてやってはいけない。

彼女達に傷一つないのは当然のことである。

「目的は済んだ。戻ろう。」

「えぇ。」

老婦と連れ立って、出口となる鏡に向かう。この部屋に来るまでにも鏡をいくつか見かけたが、探し物が最後の部屋にあったので素通りしてきた。

主の部屋であったこの場所には今まで見た鏡よりも立派な姿見が掲げられている。

「さて、この子の主人はすぐに見つかるかしら…」

「いつもはどうしているんだ?」

「探し出した後は私が預かってるの。そしたら不思議と主人が見つかるのよ。家に訪ねてきたり、街で声をかけられたり…」

「…へぇ。」

老婦が呟いた言葉に問いかけると、彼女は可笑しそうに笑いながら応える。

主人と魔石獣の縁を「魔石獣に導かれる」とか「魔石獣が会いに行く」と形容されるのも、あながち間違いではないのかもしれない。

足元から見上げてくるラズを一瞥し、軽く口端を上げる。

そして、目の前にある鏡面に手を伸ばした。


一瞬で景色が一面の広い草原に切り替わる。

「「「きゅっ!」」」

途端に複数の小さな声と共に、足元に魔石が転がってきた。振り返れば、魔石の山に埋もれた老婦の魔石獣達と散乱した球体の魔石が目に入る。

「…そういえば、宝箱は素材じゃなかったな。」

「そうね…」

老婦の魔石獣達はずっと魔石でいっぱいになった宝箱をその背に浮かせていた。

だが、先程まで魔石が納まっていた宝箱は異空間で用意されていた謂わば創り物であって素材ではない。

鏡から遺跡に戻って来ると同時に魔力として霧散してしまったようだ。

異空間における見栄えだけの為に創られた宝箱を思い出して小さく溜息を吐いた。

一体何を目指していたのか分からないが、異空間に文句を言っても仕方がない。

魔石の山から魔石獣達を助け出し、腰にある小さな鞄から一枚の白い布を取り出す。

布全体に魔力を流し大きさを変え、草原に散らばった魔石を拾い上げていく。

「便利なものを持ってるのね。嵩張らなくて良いわ。」

「懇意にしている装備屋が作ってくれた。」

サーシャお手製、老白樹の糸で作られた布である。

ここ暫くサーシャが依頼した素材集めで遺跡や異空間に出向いていたのだが、種類と量が必要になるからと収集の補助として渡された。

ローブ同様、布全体に魔力を流せば大きさを変えられる。集めた素材の量に合わせて一纏めにすることができ、とても便利な代物だ。


黙々と全ての魔石を布の上に集めて包み終えると、それを片手に提げてから改めて歩を進めた。

そこで老婦が遠慮がちに声をかけてくる。

「お嬢さん、ずっと気になっていたことがあるのだけれど…」

「…?」

彼女の方に視線を遣り、先を促す様に小首を傾げると続けて問われる。

「もしかして、もう一体魔石獣を連れていたりするかしら?」

「いや?」

「そう…でも、気のせいでもないのよね…魔石獣に呼ばれる時と似た『生』を感じるのだけれど…」

そう言って、今度は老婦が困った様に首を傾げた。

彼女の感じ取れる気配が魔石化した骸からのものであるならば、この場で該当するのは先程異空間から探し出した魔石化した骸と、彼女の魔石獣三体、そしてラズだ。

「(勿論、私の魔石獣はラズだけ…)」

他に魔石化した骸と似たようなものなど持っていただろうかと今の自分の持ち物を思い返した。

手に持つのは異空間から持って帰った球体の魔石、それを包む老白樹の布、腰のベルトからは短剣と種子が入った小瓶を三つ提げ…

「あ…」

「…?」

小さく声を溢して足を止めると、老婦が不思議そうな視線を向ける。

ベルトに繋いだ華奢な鎖の留め具を外し、ポケットから思い至った物を取り出す。

「もしかして、これか?」

「…‼︎ そう、これだわ!…けど、懐中時計…?」

見つめる先には金地で彫刻が施された蓋を持つ懐中時計がある。

戸惑いに応える様に蓋を開けてみせると、老婦が小さく感嘆の声を上げた。

まるで水中に文字盤が浮かんでいるような美しい見た目の青い魔石が姿を現す。

「これは一体……魔石なの…?」

「魔石ではあるが、これが何かは私も知らない。」

「少し見せて貰っても良いかしら?」

「あぁ。」

老婦に懐中時計を渡すと、彼女は興味深げに観察しながら魔石の表面に優しく触れた。

「(『生』を感じる…か…)」

その様子を眺めながら先程の老婦の言葉を頭の中で繰り返す。

魔石獣に呼ばれるという彼女の体質を思えば、それに似た魔力が懐中時計の魔石に込められており、その気配を感じたということ。

それが生命であるならば、懐中時計の魔石も条件を満たせば何かしら姿を現すのだろうか……そこで、老婦が口を開く。

「…魔石獣とは違うわね。これには多分、器が無いわ。」

「器?」

「私が魔石化した骸に呼ばれる時、ぼんやりと形を捉えるのだけれど、この懐中時計の魔石にはそれが無いの。この子達の様に獣の姿をとったりできないから、例え魔力を流しても意味を為さない…ちょっと気配に違和感があったのも当たり前ね…」

「………」

そうして老婦から差し出される懐中時計を受け取った。


西の森を白森林たらしめていた魔力の中心にあったそれは、ある依頼を完了したことで今、自分の手元にある。

ただ、件の依頼を寄越した人物にはもう二度と会うことはできない。つまり、返す先もないのだ。

最も、託されたのはこの懐中時計を取り出して回収することだけで、その後を何も望まれなかったから、その扱いは自由ではあるが…

「…もしかしたら、何処かに器があるかもしれないのか…」

ふと思いついたことを口に出す。

懐中時計の状態で姿形をとれないならば、謂わばここには中身しかない状態だ。

だが、「生」が感じられる以上は何かしら生きているものがあるはず。

中身が消えずにここにあるのだから、器も消えていないのではないだろうか。

懐中時計を元の様にポケットへ仕舞いながら再び帰路を辿り始めると、先程の呟きを聞いた老婦が口を開く。

「そうねえ…可能性としてはあると思うけれど、あてはないのでしょう?見つけられるかしら…」

「まぁ、暇つぶしみたいなものだ。見つからないなら別にそれでも構わない。」

「そうなの?なら、これまで通り持ち歩くのが良いわね。引かれ合うかもしれないから。」

「そうか…」

自分がこの懐中時計を手に入れてからこうして持ち歩いていたのは、動かない時計の針を動かしてみたかったからだ。

魔石である以上、遺跡や異空間に何かしらきっかけがあるのではないかと常に携帯していたのだが、時計の針が動いたことはなくその形跡すら見たことはない。

だが、今回新しい事実が発覚したのも持ち歩いていたからこそなのだから、老婦の言う「引かれ合う」も無きにしも非ずだ。

そうして求めた先にあるものは果たして…

「…何が出るか楽しみだ。」

「あらあら。」

運良く目的に辿り着いたとして、それが良いものである保証などない。

どこか好戦的な笑みを浮かべて呟くと、その様子を見た老婦が可笑しそうに笑った。


老婦の自宅に辿り着くと、いつから待ち構えていたのか元気な声に囲まれる。

「あっ!帰って来た!」

「お帰りなさーい!」

「遺跡は?冒険した?」

「えぇ、優秀な冒険者さんがいたからとても心強かったわ。」

「………」

出かける時にも集まっていた子供達が好奇心で一杯の表情をして出迎えると、老婦は穏やかに笑みながらそれに応えた。

実際のところ自分は冒険者ではないのだが、特に何も言わずにやり過ごす。

だが、そのまま放っておいてはくれないらしい。

「冒険者さん、強いの?」

「魔物と闘う?」

「女の人?」

「貴方達、落ち着いて。困ってるわ。」

矢継ぎ早に投げられる質問に一つ一つ答える間がない。老婦が子供達を嗜めるところで、取り敢えず一度頷いて返した。

子供に好きも嫌いも無いが、何しろ自分とは色々と熱量に差がありすぎる。

軽く息を吐いて視線を流すと、一人の女の子が老婦をじっと見つめていた。

それに気付いた老婦はその女の子に問いかける。

「何かしら?」

「そこには何が居るの?」

「「…⁈」」

そう言って女の子が指し示すのは、先程異空間で探し出した魔石獣が納まっているポケットの辺りだった。

まさかと思い、老婦と無言で視線を合わせる。

彼女が魔石化した骸を取り出して渡すと、それを両手で受け取った女の子が慈しむ様に魔石を握り込む。

途端にその場で淡い光が溢れた。

「あ。」

「あら、まぁ!」

一度逸らした視線を再び向けると、小さなうさぎを小さな腕に抱えた女の子が幸せそうに笑った。

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