23

きっと、新しく踏み出した一歩に浮き足立っていたのだろう。

まだ何も成し得ていないのにこれからの日々はきっと充実していると、根拠もなく信じていた。

だからこそ、たった今見舞われた災難に一気に血の気が引く。

「(あぁ…調子に乗るんじゃなかった…これから立派な装備屋になるつもりだったのに…)」

己の薄茶色の瞳が捉えるのは、黄金の毛を纏う見た目こそ美しい獣型の魔物。

どうしても欲しい素材があって、それは特に手に入れることが難しいものでもなかったので自身で出向いて来たが、未だ日の浅いこの土地で危険区域を見誤った。

この近くには魔力溜まりがある。目の前の魔物はおそらくそこから彷徨ってきたのだろう。

この場から逃げ出すことも許されず、襲いかかってくる魔物の姿をただただ視界に収めた。

酷くゆっくりと感じられた時間に、声もなく固く目を閉じる。

「……?」

だが、いつまで経っても目前に迫っていた魔物が襲ってこない。

恐る恐る目を開けると、思ってもいなかった光景が映る。

「えっ⁈何でっ⁈」

目の前には、地面に倒れた魔物。そして、それは既に魔力が霧散し始めている。

何が起こったのかとキョロキョロと辺りを見渡すと、少し先に黒いローブを纏った人物が背を向けて歩いていた。

自分以外にこの場に居るのはその人物だけだ。おそらく魔物を倒した張本人だろう。

そう思い、声を張り上げる。

「待ってー!そこの黒いローブの人ー!!」

周辺の静けさと相まって、想像以上に声が響いた。

呼び止められた人物の肩が突然の大声にびくりと跳ねる。


何事かと足を止めて振り向く元にすぐに駆け寄った。

「あの!助けてくれてありがとう!もう駄目かと思っちゃった。」

「…?…助ける?」

素直に礼を述べるが、目の前の人物は首を傾げる。大きめのフードを深く被って顔が見辛いが、声音的に女性だ。

「えっ?あの魔物倒したのって、あなただよね?」

「そうだが…あれは、急に飛び込んで来たから退けただけだ。」

「………」

事実だろうか、淡々と述べられた内容に目を丸くした。

魔物を討伐する行為はここまで簡素に証言できるものなのか疑問が浮かぶ。

だが、気を取り直すように軽く首を振った。

「そうだとしても、そのおかげで私は助かったから本当にありがとう!」

「…そうか。それは良かった。」

改めて伝えられた感謝に彼女は軽く応じると、そのまま踵を返して立ち去ろうとした。

それにまた目を丸くし、慌てて引き止める。

「ちょ、ちょっと待って!待って!」

「…?」

まだ何かあるのかと怪訝な様子で振り向く姿に、魔物が倒れていた場所を指差しながら畳みかけるように問いかけた。

「あれ!あの魔物素材、忘れてる!回収して帰らないと!」

「何故?」

「『何故』っ⁈えっ⁈冒険者にとっての収入源だし…素材は討伐の対価だよ?必要でしょ?」

「いや、要らない。」

「『いや、要らない』っ⁈」

考えられない回答にテンションがおかしくなってきた。

彼女が冒険者かどうかは不明だが、素材が要らないとはどういうことなのか。

目の前にいる人物と背後に放ったらかしにされている素材を何度も交互に見返していると、どうしたものかと彼女が口を開く。

「要るなら持って帰れば良い。」

「はぁっ⁈」

思わず非難するような声音で応えると、初めに呼び止めた時と同様に彼女の肩がびくりと跳ねる。

「それは駄目!あれはあなたが倒したんだから、あなたの物なの!対価は得るべきなの!分かる⁈」

「………」

そう捲し立てながらぐいぐいと距離を詰めると、反対に彼女はじりじりと後ずさり、困ったように首を傾げた。

その様子を見ながらはっきりと告げる。

「でも!あれは欲しいから買い取る!」

「…⁈」

そのまま黒いローブの人物の手を取って放置されていた素材を回収し、彼女を引き摺るようにして街にある自分の店へ向かった。


「見積もるのでそこで待っててください。」

「………」

つい最近構えたばかりの店で、強引に連れ込んだ彼女に声をかける。

戸惑いつつも本気で抵抗することはなく、流されるままに付いて来てくれたことで少しずつ冷静さが戻っていた。

店の奥に引っ込んで一人になったところで、我を見失っていたことに頭を抱える。

「何てことを…」

偶然とはいえ魔物から助けてくれた謂わば恩人に一方的に持論をぶつけて、尚且つ同意を得ることもなくここまで連れ込んだ。

拒絶されていた場合、果たして自分は無事だったのだろうかと、手に持つ素材を眺めながら今更に思う。

「だってさぁ…これは欲しいよねー…」

襲われた時は魔物の種類に思考を割く余裕などなかったが、この素材は装備屋にとっては非常に需要があるものだった。

今まで素材となったものしか見たことなかったが、元々はあんなにも美しく恐ろしい魔物だったのかと感慨に耽る。

日々、遺跡探索に向かう冒険者達のようには一生なれないだろう。

「(…そういえば、あの人は冒険者なのかな?)」

開店準備で散らかったままの店の奥で彼女に支払う金額を揃えながら、互いの素性も名前も知らないことに気付く。

「お待たせし…」

「………」

店内に居る黒いローブ姿の人物に声をかけようとするが、じっと加工場の方を見つめている様子を捉えてなんとなく言葉が途切れる。

そのまま声をかけることを一時躊躇ったが、軽く深呼吸をしてから口を開いた。

「どうかした?」

「…!」

まるで夢から覚めたかのように彼女がはっと振り向くと、こちらの不思議そうな視線に応えて小首を傾げた。

「…何となく懐かしくなっていただけだ。」

「懐かしい?この店、最近荷物入れたばかりなんだけど…」

「だろうな。こっちの話だ…気にしないでくれ。」

そう言う彼女の口元は緩く笑んでいる気がした。それを見て、少しのお詫びを兼ねて尋ねてみる。

「良かったら見て行く?」

「良いのか?」

「勿論、勿論!強引にここまで連れて来ちゃって申し訳なかったし…あ、私はサーシャっていいます。ここを立派な装備屋にしてみせるから、これからどうぞご贔屓に!」

「リゼだ。よろしく。」

簡単に名前だけを答えた彼女が今まで深く被っていたフードを徐に脱いだ。

柔らかい銀髪が肩に落ちると窓から差し込む光で薄く紫を纏い、まるで夜空の様な瞳が星の瞬きと共にこちら見下ろす。

「…っ…ごほっ!」

「っ⁈」

思わず呑んだ息に咳き込み、持っていた素材の買取金が床に散らばる。

「(わあ…うわあ……)」

「…大丈夫か?」

声にならない声で感嘆しながら、実際も咽せ続けているので声になっていない。

顔が隠れていた時も雰囲気があったが、素顔が見えると更に存在感が増す。

何故か先程魔物と対峙した時と同じような感覚が走った。本能から圧倒される。

そんな心の内など知ったことではないのだろうリゼは、足元にばら撒かれた買取金を拾い上げながら告げた。

「申し訳なく思う必要はない。」

「…けほっ…え?」

「私はちゃんと自分の意思で付いて来たんだ。嫌ならここに居ない。」

「………」

そう淡々と言うと、集めた買取金を差し出してくる。その言葉は嘘ではなさそうだった。

「そっか!良かった!…って、これはリゼさんに払う分だから!」

「あぁ…そうだったか。」

「じゃあ、こっち。どうぞ入って!」

流れで受け取りそうになった買取金をそのままリゼに渡し、加工場へ案内する。

素直に足を踏み入れたリゼは、何故か慈しむ様な眼差しで周辺を眺める。

こちらから提案したこととはいえ、この店内のどこもかしこも散らかっているので少し恥ずかしい。

「本当に物を入れたばかりで整理できてないんだ。新しいものも古いものもあって、ちょっとちぐはぐ。」

「それこそ、これから馴染むものだろう?楽しみだな。」

「………」

彼女にとっては何か特別なことを言ったつもりはないのだろう。ただ、穏やかな声音で端的に述べられた言葉がこの先を約束してくれた気がして嬉しくなる。


そこで、ふとリゼが思い出したように振り向く。

「そういえば、サーシャはあそこで何してたんだ?」

「…え?」

「何か目的があってあの場所にいたんじゃないのか?魔物に会いに行ったわけじゃないだろう?」

「あ…そうだった…」

魔物に襲われるという想定外の事態に加えて、リゼの存在と魔物素材の買取を経てすっかり忘れていた。

当初は装備加工に必要な別の素材を手に入れたくてあの場所に出向いたのだ。

それを一切果たすことなく店に帰ってきてしまっている。

「あー…まぁ…必要な素材だけどまだ開店できる状態でもないし、ギルドに依頼して納品を待つしかないかな。」

品質を求めなければ魔力溜まり周辺の何処にでもある素材だ。魔物を相手にするわけでもない為、自分自身で取りに行くこともできる。だが、今日のような目に遭うのを避けるには、ちゃんとプロに依頼した方が良い。

一人で納得したように頷いているとそれを眺めていたリゼが問いかけてきた。

「何の素材だ?」

「縫い付けの時の糸に織り込む糸だよ。」

「糸に織り込む糸…ああ、白綿華だな。」

「え?分かるの⁈」

「覚えがある。」

つい数時間前に魔物素材を要らないと断言したリゼが、用途を聞いただけで素材と結びつけて応えたことに驚く。

「…リゼさんって、冒険者?」

「いや、違う。たまにギルドに素材を買い取ってもらうから冒険者と似たようなものだが、肩書きは無い。」

「…ふむ…」

淡々と事実だけを述べる様子を見て、しばらく考える。

魔物から助けてくれたあの時、気付いた時には全てが終わっていた。一体何をしたのかは分からないが、リゼが強者であることは間違いないだろう。

素材の価値にはあまり頓着していないようだがそれ自体には詳しい。

踏んできた場数が多いのか、もしかしたら素材加工に関わる知り合いがいるのかもしれない。

俯いていた顔を上げ、目の前の夜空の瞳と視線を合わせて口を開く。

「リゼさんに白綿華の納品依頼ってできる?」

「…!」

尋ねた内容にリゼが少しだけ目を丸くした。そのまま軽く首を傾げて言葉を返す。

「冒険者ギルドを通した方が良いんじゃないか?」

「一般的にはそうだけど、リゼさんは大丈夫かなって。」

「………」

素材の納品と依頼に個人的なやり取りが禁止されている訳ではない。

ただ、なかなかに元気いっぱいの冒険者達と商談を個別にやり取りするのは厄介だったりする。反対に冒険者に不満が募ることもある。

需要と供給が合致していても、そもそも立っている土俵が違うのだ。

その点、ギルドを通せば依頼を多数の人物に見てもらうことができ、内容によってはそれなりの相手に割り振ってもらえる。

持ち込まれた素材はギルドで鑑定してから依頼者に渡りその対価をギルドを挟んで冒険者に支払う為、齟齬が起きにくい。

対立したとしてもギルドによって冒険者は守られ、依頼人も守られる。

それを踏まえて彼女も尋ねてきたのだろう。

黙っているリゼに続けて声をかける。

「それに、リゼさんは冒険者登録してないんでしょ?」

「指名なのか…?」

「うん。」

ただ単純に白綿華を手に入れたい訳ではないと頷いて返すと、リゼが微かに眉根を寄せる。

嫌なら断ると彼女ははっきりと言っていたのだから、この依頼も気に入らなければ拒否するだろう。

それでも、これから先を見届けて欲しくて唐突に願いを口にした。

リゼは何かを思い出すように宙を見つめてから、加工場を見渡して口を開く。

「…家の近くにあった気がするから持ってこよう。また来る。」

「…!ありがとう!」

「悪いが質の良し悪しは分からない。見てから決めてくれ。」

そう言って軽く手を上げて店から出て行った彼女を見送った。


「………」

「…サーシャ?」

次の日、早々にやってきたリゼが差し出してきた物を目の前にして絶句した。

袋いっぱいに詰め込まれた純白の素材を手に、やっとの思いで声を出す。

「…な、何…これ…」

「…?間違えたか?」

「違う!そうじゃなくて、これ!」

「…?」

何が言いたいのかと疑問の目を向けるリゼに、抑えきれない興奮と共に納品された素材を突き出す。

「こんなに綺麗な白綿華見たことない!リゼさんの家って遺跡の近くなの⁈」

「……似たようなものだ。」

「えぇ…」

ここまで質の良い素材がこんなに沢山手に入るということは、かなり魔力の濃い遺跡や魔力溜まりが近くにある証拠だ。

ならば、リゼの自宅もその近くにあるということで、おそらく魔物の脅威にも晒されやすい環境に違いない。

だからこそ、彼女が強者であるのは至極当然のことなのだろう。

真っ白な素材を感動と戸惑いの目で観察していると、割り込むようにして別の袋が差し出された。

「これも回収して来たんだが、使うか?」

「えっ⁈これって…」

「白綿華の採集中に邪魔してきた魔物の素材だ。一応持って来てみた。」

「………」

受け取ったもう一つの袋の中身を確認して黙り込んだ。袋を覗き込んだまま微動だにしなくなった様を見ながらリゼが言う。

「要らなければ持って帰…」

「…リゼさん。」

「何だ?」

「わ…」

「『わ』?」

袋を脇に置き、唐突に彼女の両手を掴んで握る。リゼの顔を正面から見つめると彼女が小首を傾げた。

「私の納品者になってくれませんかっ⁈」

「…⁈」

勢いよく発せられた半ば告白じみた台詞に、リゼは目を丸くした。


それから、納品者としての肩書きを得た彼女はギルドを通して依頼される素材の納品を淡々と請け負ってくれている。

基本、必要になった時にギルドに依頼を登録し、時間がある時にそれをリゼが確認していた。

納品と受取もギルドを介して行うことができる為、必ずしも直接リゼとやり取りする必要は無い。

ただ、彼女はどうやら加工作業を見るのが好きなようで、不定期にふらりと店にやって来てはしばらく作業を眺めていく。

その時に依頼していた素材を直接納品してくれることもあるが、加えて道中手に入れた魔物素材を持ち込んで来るのはリゼならではだろう。

「(今度はいつ頃来るのかなぁ?)」

魔物素材を取り出しながら、加工場に設置されたテーブルと椅子に視線を流す。

それはリゼの為に用意した見学スペースだ。

初めは突然用意されたその場所に彼女は苦笑を浮かべていたが、今では当たり前のようにここに座る。

どこか嬉しそうに加工作業を眺めるリゼの様子は見慣れた光景になった。

そこで、カランカランと店の扉が開いた音がする。

もしかしてと思い、出入り口を覗くと白いローブを纏った姿が目に入った。

「…!リゼさ……」

名を呼ぼうとして、捉えた別の色彩に言葉が途切れる。

「…サーシャ?」

「…?」

「こんにちは。」

いつも通り白いフードを目深に被ったリゼの後ろに、無言で軽く頭を下げた濃紺の髪を持つ人物と人懐っこい笑みで挨拶をする栗色の髪の人物が居る。

彼女が誰かを伴って来ることなど考えたことがなかった。

こちらを見つめる夜空の瞳に応えようと口を開……

「ごほっ!」

「「「っ⁈」」」

…思わず呑んだ息に咳き込んだ。

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