22
土砂降りの雨の中、歩を進める度に水が跳ねる。辿り着いた玄関扉の前で呼び鈴を鳴らした。
しばらくすると、開いた扉の先で背の高い男が顔を覗かせる。
「いらっしゃいませ、リゼ殿。やっぱり少し濡れてしまいましたね。どうぞ、使ってください。」
「…ありがとうございます。」
抱えていたラズを下してキリトから手渡されたタオルを受け取る。そして、先にローブの露を払った。
貴重な素材で仕立てられた全身の装備は、これだけですぐに元の様相を取り戻す。
そもそも魔法で近くに転移している為、長時間雨に晒されていた訳ではない。
ただ、この土砂降りの中ではローブから溢れた髪は多少なりとも水を被ったようで水滴が落ちる。
ラズは少し湿った毛並みをキリトに大人しく拭いてもらっていた。使ったタオルはすぐに彼に回収される。
「アルフ様、リゼ殿がいらっしゃいました。」
「…?」
連れ立って向かった先で、開けっぱなしになっている部屋の扉から中を覗く。
机に向かうアルフはキリトの声に気付いていないのか、一切反応を示さない。
彼は何やら真剣な様子で一枚の手紙を食い入るように見つめていた。
「アルフ様?」
「…!…あぁ、悪い。入って良いぞ。」
キリトが再度声をかけると、やっとこちらの存在に気付いたアルフが手紙を机の引き出しに仕舞い、顔を上げる。
部屋に足を踏み入れながらアルフに問いかけた。
「依頼は?」
「特に無い。」
「分かった。」
この会話で今日のここでの用事は終了である。
「リゼ殿、どうぞ。」
それが分かると見計らったようにキリトがお茶を用意して、ソファに押し込む。
その為、毎度御用聞きに訪ねてきて御用がないのだから帰ろうとするが、すぐに帰れたことは無い。
素直にティーカップに口をつけると、移動してきたアルフが反対側に腰掛けた。
彼が何かに気付いて一度窓の向こうに目を向けると、口を開く。
「濡れたか。」
「まぁ、すぐに乾く。」
「…通信機が使えたら良かったんだが。」
濡れた毛先を弄りながらなんてことないように応えると、アルフが軽く息を吐きながら言う。
通信機にも種類があるが、それは全て通信機能を持った魔石が利用される。
なかなか貴重で高価な為、一般的には浸透していないが、アルフにとっては入手が困難なものでもない。
ただ、魔力溜まりや遺跡内では通信の魔石に影響が出るらしく機能しなかった。
要は、魔力溜まりに住んでいる護衛に通信機は役に立たない。
その為、時々こうして屋敷を訪ねていた。
「でもリゼ殿、ここに直接来ることもできますよね?」
「はい。」
キリトの問いかけに、以前間違えてアルフの書斎に直接転移してきたことを思い出す。
だが、あれは間違えたからであって好き好んでやった訳ではない。
苦々しい表情を浮かべていると、それを見たアルフが許すように告げる。
「この部屋に直接転移するくらい別に構わないが…」
「嫌だ。」
「………」
アルフの言葉を食い気味に拒否すると、彼が少しだけ目を丸くする。
そのまま視線を落とし何事か考えていたかと思えば、改めて口を開く。
「よし、リゼの部屋でも用意するか。」
「…転移する為だけのか?」
「なら、寝床と机、本棚でも置こう。」
「…転移する為だけの部屋にか?」
「キリト、どこが使える?」
「ええっと、それでしたら…」
「………」
突然の提案に呆れた声音で問いかけるが、キリトを加えて決定事項のようにあれやこれやと必要な物を言い合う。何故か二人とも乗り気だ。
実際、護衛ならば住み込みでもして常に側に付くべきかもしれないが、この契約は建前に過ぎない。
加えて、契約の魔導石でアルフの護衛を約束している以上、それなりの事態になれば自身の左手にはめられた指輪が反応を示す。
すぐに側に移動できる手段を持つ護衛を雇い、さらに本来護衛など必要としていないアルフは、在り方に口を出してくることは無かった。
今も住み込みを要求している訳ではなく、ただ転移場所を提供しようとしているだけだ。
「(…まぁ、好きにすれば良いか。別に困ることでも無い。)」
アルフとキリトのやりとりを眺めながら、隣に座るラズの頭を撫でる。
「リゼ、ちょっと来い。」
場所が決まったのか二人が手招く。それを見て小さく肩をすくませてから立ち上がった。
連れてこられたのはこの屋敷の二階、アルフの書斎斜め上辺りの部屋だ。
キリトが部屋の扉を開け、彼の後ろから中を覗く。
家具類は棚が一つあるだけで、他には使い込まれた木剣が数本差さった木箱と何が入っているのか分からない箱が複数積まれている。
長く使われていないのだろうが、部屋に埃は溜まっていなかった。
「えっと、一応掃除はしているんですが…」
部屋の中に足を踏み入れながらキリトがどこか曖昧に言葉を切る。
それを耳にしながら辺りを一通り見渡した。
「(…物の整理はしていない…か…)」
キリトなら指示があれば片付けるはずだ。それがただの荷物置き場と化した部屋になっているのは、それ以降手をつけることを望まれなかったからだろう。
「………」
同じように部屋に入って木剣を掴み上げているアルフの背を眺める。
どういうきっかけがあったにせよ、良い傾向なのかもしれない。それなりに気力が湧いたのなら彼の生贄になった意味もある。
アルフの持つ金色の瞳に、あの燻った感情をのせられるのが心底気に食わなかったのだから。
そう思いながら眺めていた光景で、アルフが掴んだ木剣を軽く振ったのを視界に捉えた。
「っ⁈」
…と同時に勢いよく目の前に飛んできた刃を片手で掴む。
「…おい。」
「…すまん。」
「リゼ殿⁈お怪我は⁈」
こちらの心情などお構いなしに飛来してきた木剣の刃は、見事に根元から折れている。
使い込まれていた上に放置されていた為、朽ちてしまっていたようだ。
それを呆れた声音でアルフに突き返すと、彼は素直に謝った。
未だにおろおろしているキリトに、軽く手を上げて問題がないことを示す。
あれ位で怪我などしようものなら自分は既に生きていない。
「アルフ様。」
「…すまん。」
大事ない事を確認したキリトは少し諫めるような口調で主人の名を呼ぶ。それに対してもアルフは素直に謝った。
そのまま彼は折れた木剣を手に僅かに苦笑を溢すと、次は近くに積まれた箱の中を確認し始めた。
それを横目にキリトがこちらへ向き直る。
「リゼ殿、次からこちらへ転移ください。」
「…ありがとうございます。」
「家具類はこれから色々揃えますけど、ご要望はありますか?」
「いや…」
特に望んだことでもない為、好きにしてもらって構わない。
ただ、キリトの期待を込めた眼差しに、何か言わなければならない気がする。
転移する場所としての部屋にどこまで手をかけるつもりなのか。
「…寝具は硬めが好みです。」
「分かりました!」
実際ここで寝ることがあるかは不明だが、キリトが嬉しそうに承諾する。
そのまま配置でも考え始めたのか、彼が部屋の中をうろうろと観察し始めた。
その姿を目で追っていると、隣でやり取りを聞いていたアルフが口を開く。
「リゼは案外キリトの押しに弱いよな。」
「それはお互い様だと思っていたが?」
「…あぁ、まぁ。」
否定をされないということは、おそらく今考えていることも同じだろう。アルフと共に無言でキリトを眺める。
「「(…大きい飼い犬…)」」
「…あの…お二人とも、その目は何ですか…?」
視線を感じて振り向いた先に何を思ったか、キリトがどこか納得し難い表情で尋ねる。
「いや、何でもない。」
「…です。」
「信じられないんですが…」
視線に込められた内容は秘めたままアルフと共に応える。キリトはそれを不満気に見返して、その場にしゃがみ込むと足元に居るラズの頭を撫でた。
大人しく撫でられるラズに緩く笑みながらキリトが先程と同じ質問をした。
「ラズ殿は、ご要望はありますか?」
「……」
その問いかけにラズがキリトをしばらく見つめると、部屋の入り口に向かい、扉を軽く鼻先でつついた。
「…?…えっと…?」
「自分用の小さい出入り口が欲しいそうです。」
「あぁ、なるほど!分かりました!」
少し困った顔をしたキリトにラズの要望を伝える。快く承諾を示したキリトに、ラズが二度、尻尾をゆっくり振った。
「そんなこと言ってるのか。」
どこか感心したように呟きながらアルフがラズを軽く撫でる。
そして、先程の折れた木剣を手に立ち上がった。
「キリト、取り敢えず箱の中は全部確認するから後で俺の部屋に入れとけ。ここの部屋は任せる。」
「はい、承知しました。」
「リゼもそれで良いよな?」
「好きにしろ。」
アルフの指示にキリトが応え、加えてこちらにも確認をとってくるが、要望なら先程伝えてある。それにここはアルフの屋敷だ。どうしようと文句は無い。
そのままいずれ出来上がるであろう贅沢な転移場所を後にした。
書斎に戻ってくると、ふと思い出したようにアルフが口を開く。
「そうだ。塵怪…だったな…その魔物の素材ってあるか?」
「布素材ならあるが…」
彼の問いに軽く首を傾げながら手元に魔法を展開させると、灰白色の布が姿を現す。それをアルフに渡した。
「塵怪の纏っているローブだ。」
「へぇ。」
受け取った布を眺めているアルフを横目に再び魔法を展開して、さらに四、五枚の素材を転移させる。
「こういうのもある。」
「わぁ、色とりどりですね。あ、革もあるんですか?」
抱えた素材を今度はキリトに手渡す。カラフルな色で染まったものや柄のあるもの、さらには革まである。
それに目を遣りながら、アルフが怪訝な顔で尋ねる。
「…そんなローブを纏った奴がいるのか?」
「こっちは異空間にいる塵怪だ。あそこは大抵狂ってる。」
「「…大抵狂ってる……」」
アルフも遺跡の鏡を潜ったことは無いらしい。キリトは言わずもがな。
キリトに渡した分のローブを纏っていた塵怪は、異空間中の廃城で徘徊していた個体である。
廃城となる前は煌びやかだったのだろうダンスホールのような場所で、色とりどりのローブが舞っている様は意外と壮観だった。
そんな当時の光景を思い返しながら、さらに言葉を続ける。
「塵怪は夜刻石と呼ばれている石も素材として手に入るが、そっちは長にカツア…納品したから今は手元に無い。」
「今カツアゲって言いかけなかったか?」
ギルド長のダンの物言いが毎度カツアゲのそれな為、内心そのように形容しているだけだ。
きちんと対価はもらっているので、真っ当な取引である。
「夜刻石…聞いたことないな…魔石や魔導石なら大方知ってると思ってたんだが…」
「魔石に分類されていないからだろう。あれは装飾品…宝石とされている。」
「あぁ、それならアルフ様はあまり精通していませんね。」
納得したようにキリトが頷き、アルフも軽く肩をすくませた。その様子を見ながら尋ねる。
「必要か?」
「いや、今はいい。この布素材だけ借りても良いか?使った分は後で払う。」
「分かった。」
彼の言葉に頷いて返し、ラズを抱える。
窓の向こうに見える弱まってきた雨脚を一瞥し足元から淡く光が溢れると、その場に残るのはアルフとキリトだけだった。
後日、貴重なのものなら言っとけと、預けた素材の相場を知ったアルフに軽く怒られることになるのをこの時はまだ知らない。
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