17

ぱちぱちと木が爆ぜる音と肉の焼ける匂いがする。

近くの地面には、円形に装飾された鏡が落ちているが、その鏡面には何も映されていない。

「(…もう良いか。)」

目の前の焚き火で焼かれている肉の刺さった串を徐に手に取って齧り付く。

出来立ては大抵美味しい。


今いる場所は食べられる魔物が多く出現する遺跡で、冒険者界隈では晩餐の遺跡とも呼ばれている。

そんな遺跡の中で先程狩った羽兎の肉を焼いて食べているのだが、別に空腹を満たす為ににここに来た訳ではない。

きっかけは、キリトに頼まれて手合わせをした時に遡る。


あの日、好奇心を湛えたライトグリーンの瞳を向けて口にしたのは、アルフが帰宅するまで鍛錬に付き合ってくれないかということ。そのことに対する報酬の提示もあり正式に依頼として受けた。

鍛錬の最中に昼食は済ませたのかと聞かれて、魔物肉を食べたと答えたことからキリトも興味が湧いたのだろう。

納品依頼ができるかどうか、割と真剣に聞かれた。

キリトが本当に依頼をしてくるかどうかは不明ではあるが、取り敢えずこの場所に魔物の様子を見に来たのが今だ。


「(…まぁ、異空間への入り口を踏むとは思っていなかったが。)」

もぐもぐと口を動かしながら、近くの地面に転がっている何も映さない鏡を見遣る。

魔力溜まりから遺跡へと変貌を遂げた時、遺跡の中には鏡が出現する。

出現する数に決まりは無く、鏡の大きさも形もバラバラだ。

姿見サイズの鏡が宙に浮かんでいるとしたら、その鏡面に触れれば異空間へとべる。

異空間の中は遺跡の様相とは全く別だ。

遺跡が森林だとしても鏡を潜れば建物内だったりする。


今回は手鏡サイズのものが地面に出現しており、それに気付かず見事に踏んだ。

突然、目に映る景色が森の中から草原に変わり、大量の羽兎が駆け回っては襲ってくるという事態に見舞われた。

羽兎は通常、魔力が体内に満たされている時は逃げ回るタイプの魔物なのだが、異空間に出現する魔物は特徴が異なったものがおり、異空間にしか存在しない魔物もいる。


今回も、襲ってくるタイプと逃げるタイプが混在していたが、何を思う事もなく討伐した。

襲ってきた羽兎は色とりどりの爪が残り、通常通り逃げるタイプはその姿をそのまま残した。勿論、何も残らない個体もいるが。

素材の爪と羽兎そのものを持って異空間の出口となる対の鏡を探す。

見つけた先で鏡面に触れ、元の場所に戻って来ると、地面に転がる鏡には何も映らなくなっていた。


鏡の先に次の異空間が出来ると、再度、鏡面に周囲の景色を映すようになる。

しばらくは、誰かが同じようにこの鏡を踏んでも異空間にとばされることはないだろう。

因みに、鏡の位置は動かせない。

…今度訪れた時も踏みそうだ。


「…さて。」

最後の肉を口に入れてから焚き火を消して、立ち上がる。

残りの羽兎を持って、街の方向へ足を向けた。


いつもの賑やかな通りを迷うことなく歩を進める。

「(今日は屋台は無しか。)」

ある日の魔物肉の串焼きを売っていた屋台があった所に辿り着くが、どうやら納品が無かったらしい。

そのまま、前方に見える建物の扉を開ける。

「いらっしゃい…ま…せ…」

振り向いた店員と視線が合うと相手が少し惑う。

初見だと大抵こうなる為、特に気にしない。


厨房の方に視線をやって尋ねる。

「親父さん、居るか?」

「…え?あ、少々お待ちください!」

一瞬呆けた様子だったが、出迎えた店員はすぐに奥へと駆けて行った。

しばらく待つと、がたいの良い男が厨房から出てくる。

「やっぱり嬢ちゃんか!どうした?俺に何か用か?」

「これ、食べるか?」

「ん?」

元気な声で尋ねる彼に持っていた袋を差し出す。中身を確認した屋台の店主は、途端に目を輝かせた。

「羽兎じゃないか!どうしたんだ、これ?」

「集団に放り込まれた。」

「…何で?」

晩餐の遺跡で異空間にとばされたからだが、軽く説明をしても彼は不思議そうな顔をするばかりだ。

遺跡の中をよく知らなければ理解し難いのだろうが、そういうものと思ってもらうほかない。詳しい仕組みなど知らないのだから。


「まぁいいか…で、これ貰って良いのか?」

「あぁ。代わりに聞きたいことがある。」

「嬢ちゃんが?なんだ?」

あっけらかんと応えた店主に羽兎をそのまま渡して言う。

「魔物肉を焼く以外の食べ方はできるか?」

「勿論!魔物肉も肉だからな。」

「じゃあ、持ち込んだら調理は可能か?」

「えっ…持ち込み…嬢ちゃんが持ち込んでくれるのか⁈やるやる!いつでも来い!」

思っていた以上に食い付かれた。

魔物肉を手に入れて、それをどう食べるべきかはやはり知識と経験がいるだろう。

ただ焼くだけでも美味しいのは美味しいが、どうせなら別の食べ方があっても良いはずだ。

そう考えてここに来てみたが、かなり前向き…前のめりに了承がもらえた。

「贅沢言うなら手に入りにくい魔物が良いな!楽しみにしてるぞ!」

「分かった。」

店主の希望も頭に入れつつ、礼を言って店を出た。


再度、街通りを歩く。

見上げると、夜空の瞳がからりと晴れた青空を映した。今日は天気が良い。

「(少しだけ散策してから、一度西の森に帰って…ラズと一緒にアルフの屋敷にとぶか…)」

そう思いながら、冒険者ギルドのある建物の前を通り過ぎる。


途端に、勢いよく扉が開いた音とその近くにいたのだろう冒険者の悲鳴が耳に届いた。

「リゼさーーーん!待って!止まってー!」

「………」

続いて聞こえてきたのは、自分を必死で呼び止めるハイテンションな声。

仕方なく足を止めて振り向くと、ギルド受付の制服を纏った人物が猛スピードで駆けてくる…のを、すんでのところで躱す。


そのままその人物は目の前を勢いよく通過して、ある程度先で止まった。

「………」

「…お嬢、通り過ぎてる。」

「…ごめんなさい。」

受付業務を放棄して飛び出してきたギルド受付担当が、高い位置で纏めたポニーテールを揺らしながら、両手で顔を覆って戻って来るのを静かに待った。


「…というわけで、この中で気になるものはありませんか?」

時々ギルドから持ち込まれる依頼は、先程自分を呼び止めたギルド受付担当のプレゼンから始まる。

数枚の依頼用紙を前に、椅子に腰掛けたまま彼女の声に耳を傾けていた。

全て話し終えた受付担当が期待を込めた眼差しを向けてくるのを流しつつ、一枚の依頼用紙を見つめる。

「これ、食べられないのか?」

「え?」

唐突な問いかけに、受付担当がきょとんとした表情で声を溢した。


見つめていた依頼用紙を手に取って彼女に渡す。

「晩餐の遺跡なんだろ?あそこの魔物は大抵食べられると思うが、その双刀熊は素材が毛皮だけなのか?」

「あぁ…そうですね。双刀熊は毛皮が主です。魔物肉は……」

そう言いながら、受付担当は何かの資料を漁り始めた。それを黙って眺めていると、不意に手元に影が落ちる。

「食えるぞ、そいつ。」

「長…」

頭上から声がした。見上げるとガラの悪い男がひとり、後ろに立ってこちらを覗き込む様に見下ろしている。


男の足元に視線を落とせば、その両手はそれぞれ冒険者の襟首を掴んで引きずっていた。

「ギルド長、お帰……あーー!また、そんな持ち方っ!床が土まみれじゃないですか!」

気付いた受付担当が声を上げると、それを聞いた者が、気するのはそこなのかと疑問の目を向ける。


受付担当から抗議を受けた男は呼び名の通り、この街の冒険者ギルドのギルド長だ。

彼の上にギルド統括がいるが、現場のトップはこの強面である。

「どうしたんですか、その方達は?」

「通りでドンパチやってたんでな。そんな元気あんなら冒険者らしく遺跡で遊んで来いっつーわけで、連れて来たんだよ。」

そう言いながら明らかに元気の無い冒険者を引きずって、依頼ボード近くの壁に寄り掛からせる様に置いて戻って来た。

オブジェと化した冒険者二人は、この街のギルドに慣れた者からは憐れみの目を向けられ、まだここに来て日の浅い者には引かれている。


「で、リゼは腹でも減ってんのか?」

「遺跡で肉を食べて来たからそれは無い。」

「何で遺跡で肉なんか食ってんだよ…って、おいっ新人!遺跡は呑気に飯食う場所じゃねえからな!間違えたこと覚えるなよ!」

「えっ?違うんですか?」

ピクニックの様な食事風景が浮かんでいた受付担当が、ギルド長の言葉を聞き返しながらギルド内にいた冒険者を振り返る。

彼らがぶんぶんと首を振るのを見て少し残念そうな顔をしたが、間違えた事を覚えずに済んだようだ。


一連の流れを淡々と眺めながらギルド長に問いかける。

「それで、長。双刀熊は食べられるのか?」

「あぁ、ここじゃねえが一度どこかの冒険者パーティが持って帰って来たのを見た事がある。あの硬い双刀を砕いてやったとか何とか自慢気に話してたな。解体すりゃあ大部分が霧散しちまって、すっかり小さくなった魔物肉が手に入ってたぜ。」

記憶を探りながら教えてもらったことで、魔物肉が手に入る可能性があるのは分かる。

だが本来、毛皮が素材として流通しており、魔物肉の存在はほぼ知られていないということは、おそらく単純に倒すだけでは駄目なのだろう。

何か条件があるのかもしれない。個体差だった場合はどうしようもないが。


「これ、受注すんのか?」

「ついでがあればな。」

「ええーっ!今回は無しですか⁈」

依頼用紙を摘み上げながら尋ねてきたギルド長に答えると、それを聞いた受付担当が声を上げる。

「残念だったな新人。」

彼女の肩を叩いて励ましながら、今度はギルド長が一枚の紙をかざしてくる。

「リゼ、持ってるもんあったら出せ。」

「………」

最早、言い方がカツアゲのそれである。


軽く息を吐きながら、ギルド長が差し出してきた納品依頼リストを見る。

自宅に溜め込んでいるものに何があったかと記憶を漁りつつ目を通すと、丁度良いものを見つけた。

リストから視線を外し、小さな包みをギルド長の目の前に突き出す。

「ん。」

「お、なんだ。」

受け取ったギルド長が包みを解くと、色とりどりの魔物の爪が姿を見せた。

「異空間の羽兎の爪か。また、珍しいもん持ってたな。晩餐の遺跡にでも行ってたのか?」

「まぁな。その素材は不可抗力だが。」

「あー、もしかして踏んだか?ははっ、愉快だな。」

晩餐の遺跡にあるあの鏡は結構有名らしい。何が起きたか思い当たったギルド長が意地の悪い笑みを浮かべながら可笑そうに声を上げる。その様を呆れた目で眺めた。


「これ、受注登録と完了報告までしとけ。」

「あっ、はい!リゼさん、納品者カード貸していただけますか?」

受付担当に言われてカードを差し出す。

それを受け取った彼女が、何かに気付いた様に声を出した。

「ん?リゼさん、指輪してましたっけ?すごい真っ赤ですね。」

「あ?指輪?」

受付の少女とギルド長の視線が左手に嵌められた指輪に移る。


途端にギルド長が目を瞠り、両肩を掴んだ。

「リゼ!お前…これ、誰だ⁈こんなもん寄越したのは⁈」

「…よく分かったな…魔導士でもないのに。」

「…見た事くらいあんだよ。この気に食わない赤をな。」

ドスのきいた声がギルド内に響き、業務中のギルド職員も騒がしかった冒険者も、この場にいた二人以外の全員が凍りついた。


周りの様子を一瞥し、再度ギルド長を見遣る。

「落ち着け。人ひとり殺してきたみたいな顔してるぞ?」

「やるならこれからだな。」

「やめろ。私の意思だ。邪魔するな。」

「………」

緊張感を伴ったまま互いに睨み合う。しばらく沈黙していたギルド長が口を開いた。

「…内容は?」

「…護衛。あいつに手を出すなら容赦はしないぞ?」

「………」

底冷えする声でそう答えると、ギルド長は軽く舌を打って何も言わずに掴んでいた肩から手を離す。不満気な表情がそのままだったが。


「てめえの意思ね…まぁ、そうじゃねえとお前相手にこんなもん上手くいく訳ねぇか…」

「当たり前だろう。」

緩んだ空気に溜息を吐きながら、肩をすくませて応える。


「…あ、あああ、あの…も、も…もう、だ…大丈夫です…か…?」

「「………」」

めちゃくちゃに震える声がした方向に二人で視線を向けると、いつの間にかギルド内にいた全員が反対側の壁際にはり付く様に距離をとっていた。

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