16
特にすることもない昼下がり、暖かな日差しが差し込む中、眠くなりそうな陽気に欠伸が溢れる。
キリトがどこかそわそわと時折窓の向こうを覗く。
何かあるのだろうとは思うが、特に詮索はしない。彼は無闇に隠し事をすることはないのだから、重要な内容ではないと踏んでいる。
思考がぼやけそうになりながら、先日の出来事を思い起こした。
この間まで迷いが見えていたキリトの表情がいつもの穏やかなものに戻っていたのは、シベルの所から帰った時だった。
報酬を受け取りに来たリゼと留守番をしていたキリトが居るであろう自身の屋敷に辿り着いたは良いものの、待っていたのは二人して鍛錬しながら魔物肉の話をしているという、どうしてそうなったのかよく分からない光景。
その後、雇い主の帰還に気付いた二人は鍛錬を終え、リゼが淡々と報酬を受け取って帰るのをキリトは笑顔で見送った。
その様に少しばかり目を瞠り、キリトに尋ねる。
「何かあったのか?」
「いや、リゼ殿から警告を貰いまして…ちょっと、身の危険を感じました。」
「何したんだ…あいつ…?」
シベルの部下といいキリトといい、悉く生命の危機を感じさせるリゼの行動に若干引きつつ、溜息を吐く。
「まぁ、区切りがついたようで何よりだ。」
「はい。寧ろ、アルフ様が返り討ちに遭いそうなので安心しました。」
「そこはお前の立場的にも心配するべきだろう…」
余程腹に据えかねていたのか、彼に似合わず軽く毒付いてきたのがついこの間の記憶だ。
「(機嫌がなおったなら良いが…)」
そう思いながら、未だどこか落ち着きのない様子のキリトを横目に、眠気に誘われるままソファに深く身を預けた。
…五年前のあの日も、確か天気だけは呑気なものだった。
「………」
微かに部屋の扉を叩く音がする。
いつの間にか閉じていた瞼をゆっくりと開けると、手に持ったままの本を視界に捉えた。案の定、あるページから一切前に進んでいない。
コンッコンッ…と、扉を叩く音が今度ははっきりと聞こえた。
「アルフ様ー。入って良いですかー?」
「………」
寝起きで全く頭が回っていない中、視線だけ声のする方へ向ける。
結局、返事をしないでいると部屋の扉が開いた。
「居るじゃないですか!」
「…なんか、面倒だった。」
「もう少し抗ってください。」
やっと発した声は変わらず眠気を含んでいる。取り敢えず立ち上がり、体を軽く伸ばした。
窓の外を眺めると、澄み切った空に暖かな日差しの昼寝日和だ。
「…で?なんだ?」
「シベル殿の部隊の方がいらっしゃってます。両親の仕事を見に来ないかと。」
「いや、もう来てるのか?連れて行く気しかないだろ、それ…」
報告された内容に軽くつっこんだ。
勿論、断るつもりは無いので出掛ける準備をしようと動く。突然訪ねてきたのは向こうだが、あまり長い時間待たせる訳にはいかない。
「キリトも行くぞ。」
「はい。ただ、アルフ様…先にお顔でも洗ってきた方が良いのでは?非常に眠そうです。」
実際、未だに意識はぼんやりしている。
今、床に倒れ込んだらそのまま寝られそうだ。欠伸を溢しながらキリトの助言に素直に従うことにした。
…屋敷まで迎えに来た人物に連れられ、ある部屋の扉を潜る。部屋の中には複数の人間が集まっていた。
「よく来たね。アル君、キリト君。」
穏やかな声音で出迎えられ、その先ではダスティーブルーの瞳を持つシベルの目が緩く笑んでいる。
「突撃してすまないね。結構順調に調査が進んでるみたいで、下手したら見逃しそうだったから、思い付きで呼んでみた。」
「まぁ、驚きはしましたけど…断る理由も無いですし、実際、興味しか無いので呼んでもらえて良かったです。」
「ははっ、そうか。将来有望で嬉しい限りだ。」
軽く言葉を交わすと、部屋に置かれているソファに座るように促される。提げていた剣を側に置いて腰掛けた。
「おっ、剣も持ってきたんだな。すぐには出ないから、その間遊んでもらおうかと思ってだんだ。」
「俺もキリトも、どうせなら稽古つけてもらおうと思って来ました。」
「…らしいぞ、君達。良かったな。」
シベルが声をかけると、俄かに周りが騒がしくなる。
何をしようかと話しながら出て行く者、準備をしようと動き出す者など相変わらず個々人が自由だ。
「…本当に、シベル殿の部隊は特殊ですよね。」
「そういう役割だからね。縛られないからこそできることもある。まぁ、表の部隊と違って賞賛を受けることはないけど。」
辺りの様子を見回してキリトが苦笑混じりに言葉を溢すと、シベルが応える。
シベルの部隊は騎士団や魔導士団の様に市民の間で存在を公にされている組織ではない。
噂程度の異変や確実性のない状況において、他の組織が動けない時にも自己判断で自由に調査や摘発を行う。
実際、シベルの裏部隊によって日の目を見ることなく潰された事案は多かった。
初動での対処を行った後は表部隊に引き継ぐ為、裏部隊の手柄が公表されることはない。何より、公表されると動きづらくなる。
存在を知られていないことが利点でもあるからだ。
「そういえば、表部隊と違って制服もありませんね。シベルさんの服装も、決められたものではないんでしょう?」
「そうだね。でも、必要があればどの部隊の制服も着ることができる。私たちはあくまで、有象無象でなければならないから。」
「…すごくレベルの高い有象無象ですね。」
裏部隊としての存在を確立するシベル達にとって、標章は必要ないらしい。
部隊に所属する人間も、魔導士もいればそうでない者もいる。ただ、共通して個々人の実力は非常に高い。
単独で調査することもあれば、少人数で事態に対処しなければならない時もある。
「自由」に求められるのは、純粋な「強さ」だった。
「今回の件は私達の管轄じゃないから、完全に興味本位の見学だね。今、アル君の両親は魔導士団と一緒だよ?丁度、そこの窓から見える塔の辺りだ。」
そう言いながら、シベルが窓の向こうを指差した。ここからそう遠くはないと思われる先に高い建物が見える。
「突然魔石が出現するようになったというのは、あの辺りなんですね。」
「あぁ。塔の周りはただの広い平野なんだが、近頃複数の魔石が発見されるようになったらしい。その数が日に日に増えていくもんだから、街の警備兵を通じて相談があったのが始まりだ。」
シベルが塔を眺めながら応える。
今回、両親に届いた調査依頼はある魔石の解析で、現在二人がここに出向いているのは周りの環境の把握と魔石の採取の為だ。
「では、旦那様と奥様が解析されるのはその不自然に増えていく魔石ですか?」
「そう。何せ種類が色々あるみたいで、最早分類さえも面倒な状況らしい。現地調査自体は確かに順調なんだけど、解析する方が時間がかかりそうだね。」
キリトの問いにシベルが困ったような笑みを浮かべた。魔石の採取が終われば、これから両親は屋敷に籠るのだろう。
「そういえば、父さんと母さんは俺達が来ることを知ってるんですか?」
「勿論、二人の許可を貰ってから屋敷を訪ねたよ。流石に勝手に連れて来る訳にはいかないさ。まぁ、尋ねたら『すぐにでも』って食い気味に言われたから、アル君も解析に駆り出されそうだね。」
「………」
両親が許可済みということは、おそらく状況を見ておけということだろう。となると、その後の解析を手伝うことになる可能性が高い。
しばらく昼寝はできなくなりそうだ。
「ということで、伝えた時間までまだ余裕があるから、彼らと遊んでやってくれ。」
そう言うと、待ってましたと言わんばかりに周りに居た隊員にキリトと共に連れ出される。返事をする間もなかった…
「あぁ、現場か?行ったぞ。」
「俺も。気になったら行くのが仕事だからな。」
「え?お前らも行ってたの?いつ?」
「(…それで良いのか?)」
わいわいと話す隊員達の様子を息を整えながら眺める。
「遊び」という名の「訓練」を受け、少しだけ休憩を挟んでいた時、これから向かう場所が話題に上った。
ほとんどの隊員が、例の突然魔石が発見されるようになった場所に行ったことがあるにも関わらず、誰がいつ行ったかは互いに共有していないらしい。
今回は管轄でないということもあるかもしれないが、おそらく普段からこうなのだろう。
それぞれが興味の赴くままに雑多な情報を集めているようだ。
ここから少し離れた場所に目をやれば、同じように休憩しているキリトが見える。
基本、ここではキリトと別々で「遊ぶ」。
剣を使う自分とは違い、キリトは身一つだ。
なんでも、「武器の持ち込みを禁止されているような場面で圧倒的に有利な敵を圧倒的な力量差で屠れる人間を育てたい」らしい。
一体、ここの隊員達はどんな場面を想定して、キリトをどんな化け物に仕立て上げたいのか。
少しだけ遠い目をしながら、目の前で繰り広げられる会話に再び耳を傾けようとした時だった。地面が微かに揺れている気がした。
だが、そう感じたのも束の間…突然、地の底から轟音が響き、前方に見えていた塔を光の柱が飲み込む。
「「っ⁈」」
その場にいた全員が弾かれたように立ち上がった。一瞬生じた強烈な光に目を瞬きながら、塔の建つ方向に視線を向ける。
景色には変化がない。だが、何事も無かったかのように静かなのが、寧ろ不自然だ。
すぐに何人かが塔の方向へ駆け出し、何人かがシベルの元へ向かう。
「あの…」
「分かっている。暫く待て。」
近くにいた隊員に肩を掴まれたまま話しかけるが、引き続き待機を言い付けられる。
視線を移せばキリトも同様だった。酷く嫌な予感がする。
この場に残っている全員が塔の方向を見つめる中、空に黄緑色の光の球が弾けた。
それを合図に残りの隊員が動き出し、ずっと自分の動きを止めていた隊員がこちらを見下ろす。
「………」
それをしっかり見返すと、彼は軽く息を吐いて付いて来るように顎で促した。
その事に少しだけ安堵する。
引き続き待機を求められれば、抵抗する気しかなかった。
「アルフ様…!」
一瞬の光に飲み込まれた場所を目指す途中、駆けて来たキリトと合流する。
ライトグリーンの瞳が不安げに揺れていた。キリトの目に映る自分もおそらく同じだろう。
しばらく走り続けて、段々と慌ただしい声が耳に届き始めた。
「…⁈」
辿り着いた先の光景に思わず足が止まる。
辺り一面には無数の魔石が飛び散ったようにばら撒かれ、この場で調査をしていた者は誰一人として立っている者がいなかった。
動いているのは、先程駆けつけたシベルの隊員達だけだ。
だが、そこには何よりも目を疑うものがあった。
「何故…喰われているんだ…」
駆けつけた者の一人が、思わず溢した声が耳に届く。
視線の先には、倒れ込んだ魔導士が一人。その魔導士の周りには光の粒が纏わりついている。
そして、少しずつ身体が消え始めていた。
「………」
それを見て、魔導士の身体が持つ特徴を思い出す。
魔法を使えない人間に比べて魔導士は運動能力が劣るが、最大の特徴は肉体の崩壊があること。崩壊が生じれば、骨すら残らない。
発生条件の一つは、精霊を指揮して魔法を発動させるのではなく、自身の魔力そのものを使って魔法を発動させた場合。
もう一つは、精霊の怒りを買って精霊に身体ごと喰われる場合だ。
つまり、目の前にある光の粒に包まれた状況はこの魔導士が精霊の怒りを買う何かをしたことを意味していた。
これは、自然現象ではないのか…
「(探さなければ…)」
「アルフ様!」
散らかり始めた思考を追いやり、最も重要なことの為に駆け出す。
魔石を踏んでは転びそうになりながらも、絶望的な願いを持って視線を走らせた。
「…!」
「あ…」
そうしてやっと見つけた姿に、血の気が引く。遅れず付いて来ていたキリトが小さく声を漏らす。
目の前にあるのは魔石が散らばる地面に倒れ込んだ傷一つない両親の姿だった…
それ以降の日々は、所々記憶が曖昧だったりする。
あの瞬間あの場所に居た人間で生きていた者はいない。
当初両親に依頼されていた魔石と現場に散らばった無数の魔石の解析は、シベルに無理を言い自分が全て請け負った。
暫くはその作業に忙殺されていたはずだ。
魔石を解析すれば何かしら分かることもあるかもしれないと思っていたが、普段よく見る魔石と全く同じでそれ自体に変わったところは無かった。
不自然だったのは、同じ場所に発生したにも関わらず、種類が信じられない程に多かったことくらいだ。
結局、全ての魔石を調べ終えても、原因も理由も分からなかった。
周辺に微かに残った魔力から、通常考えられない程の魔力が一気に吹き出したのだろうとされており、外傷が無かったのは死因が魔力によるものだったからだという。
一瞬で死に誘う魔力とは、どういうものなのか…想像することすら難しい。
あの日起きた事をどうにかして明らかにしたかったが、色々な場所の魔力溜まりを調べても、遺跡で魔物を狩って魔石の採取や解析を行ってみても進展はない。
積もるのは無力感と焦燥感だけだった。
そんな日々で、どこかで投げやりになっていたところはあるのだろう…だからこそ、あの夜空の瞳に囚われた。
全てを超越したかのような圧倒的存在感に…自分は魅入られている…
「えっ⁈リゼ殿っ⁈」
「あ、間違えた。」
突然の驚いた声とその後に聞こえた呑気な声に、少しだけ意識が現実に引き戻された。
夢と現の狭間で、そのまま瞼を上げずにしばらく微睡む。
どうやらリゼが部屋に直接転移してきたらしい。
ぼんやりとしたまま、遠くから聞こえてくる会話に耳を傾けた。
「晩餐の遺跡ですか?」
「はい。ここが一番魔物肉を求めるには最適な場所ですね。」
「(……その話題はまだ続いてたのか…)」
先日同様、魔物肉の話をする二人に、覚醒しきっていない頭の中で一人静かにつっこみを入れた。
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