15

目の前のテーブルに用意されたティーカップを手に取り、口に運ぶ。

カップを元の場所に戻そうとしたところで部屋の扉が開いた。

「いらっしゃい、アル君。待たせてしまってすまない。」

「いえ、忙しいのは知ってますので問題ありませんよ。」

テーブルを挟んだ向かいにシベルが腰を下ろして深く息を吐く。


「まぁ、確かに忙しかったが、やっと表の奴らに引き継ぎが終わってね。裏の私たちの役割はひと段落したよ。あとはアル君の報告を聞いて伝えれば終了かな。」

「なら早速ですが結果を言います。」

そう言って、あの騒動で回収した魔導具とその魔導具から取り出した魔石をテーブルに並べる。

「こっちの魔導具の外側は魔導士から奪った魔力を受け取るように設定されていました。」

「例のパーティで出された飲み物に仕掛けられていた魔法の帰着点がこれだったんだね?」

「はい。シベルさんは魔力が抜かれたことについてはどこまで知ってますか?」

「あーまぁ…一応、魔力を奪われた会場の魔導士と部下から話は聞いているが、あまり詳細な状態は知らないな。リゼ君に試してもらった感じと似たようなものなんだとは思うが…」

顎に手を当て曖昧にシベルが答える。


おそらく魔力を奪われた魔導士達は、突然大量の魔力を抜かれたことですぐに気を失ったのだろう。

その為、奪われる感覚の記憶がほぼ無く、収集できる情報が必然的に少なくなっていた。

あの場で抵抗できる可能性のあったシベルは、その後に起こる騒動での対処を優先して飲み物に口をつけていない。


「あの時、判断基準としてリゼに魔力を引っ張られていたんですよね?彼女が言うには、シベルさんは抵抗できていたみたいですけど。」

「まぁ、握った手を基準にリゼ君の方へ引き摺り込まれる魔力を引き留めることはできたが、あれはそれ以外の動きを求められていなかったからだ。抵抗しながら騒動の対処は荷が重い。下手をすれば同じように魔力を奪われるさ。」

軽く肩をすくませて言う彼の様子を眺める。シベルの言うことが大袈裟でないのならば、どういう作用があるか分かっていてあえてそれを口にし、魔力を奪われることに抵抗しながら第一段階の攻撃に対処してみせたリゼが異常なのだろう。


「それなら少しだけ補足します。リゼが言うには、魔力回路に流れている魔力に草木が根を張るような感じで魔法が伸びていたようです。そして、絡みついた魔法が魔力を巻き込んでこの魔導具に流れることで魔導士の魔力を奪った…とのことでした。作用するのが魔力回路中の魔力だった為、魔導士でない人間には影響がなかったらしいです。」

「…彼女は仕掛けの状態から把握できてたのか…とても魔力に敏感なんだな。使用された魔法については表の部隊が捕まえた魔導士から聞き出しているだろうが…彼らにも知らせておくか…」

リゼから聞いた内容をそのまま伝えると、シベルは少しだけ目を丸くして感嘆の声を漏らす。


そして、魔導具を手に取って眺めた。

「アル君、さっき外側って言ったね?魔導具の内側はまた別なのか?」

「内側は発現の場所指定……転移の意味付けがされています。」

「あぁ、そうか。多くの魔導士から魔力を奪えば発動に足りるのか…」

「はい。外側で魔力を受け取って、内側と魔石に流す。内側で転移。そして、転移されるものがこの魔石に居ました。」

「居た?」

怪訝な表情を浮かべて言葉を繰り返すシベルの声を聞きながら、テーブルの上に置いた魔石を手に取る。


「俺もこんな魔石は見たことなかったんですが、どうやら魔物の核を取り込めるみたいです。…そして、その核をバラバラにして個体数を増やす。」

「…⁈」

説明を聞いた彼が、信じられないとでも言うように目の前の魔石を見つめる。

あの時、現場で聞いた「作る」とは、何も無いところから老白樹を作る訳ではなく、パーティに参加した魔導士から奪った魔力でどれだけ数を増やせるか…という意味合いだったらしい。


「それは魔導石ではないんだね?」

「えぇ、意味付けされた魔法が込められているものではありませんでした。なので量産はできないかと。捕まえた魔導士から入手場所や方法を問い詰めるべきですね。」

「…分かった。」

シベルは静かに頷くと既に冷めてしまっているティーカップに口をつけ、中身を一気に飲み干した。それを見ながら彼に言う。

「俺からは以上です。…結局は、魔導士協会の一部に裏組織が存在してたってことなんですよね?」

「あぁ。これが全部なのか一部なのか知らないが…取り敢えず一つ潰した感じだな。」

手に持ったカップを戻しながら、やれやれと言った様子で溜息を吐く。


「それにしても、今回はリゼ君に助けられよ。彼女にその気があったかどうかはともかく…あの老白樹が会場に侵攻していたら何人喰われていたか…」

シベルが苦々しい顔をしながら呟く。

実際、あの老白樹は会場にいる参加者達を狙って作られたはずだ。

だが、彼らにとって誤算だったのはあの場に老白樹にとって何よりも魅力的な存在であるリゼが目の前に居たこと。

そして、彼女が日常を過ごしてきた白の遺跡は植物系の魔物が多い。リゼにとっては勝手知ったるものだろう。


今回の騒動で植物系の魔物を選択した時点で相手にとってはさらに分が悪かった。

「…『老白樹が一番欲しいのは確実に自分だから狩りやすい。あれは単純で良いな。』…って、言ってました。」

「…とんでもないな。」

普通なら老白樹の群れに囲まれて、狩りやすいなどという感想は出ない。そもそも、単体でも一人で相手取るような類の魔物ではない。

「あと、彼女のローブは老白樹の群れに突っ込む為に作られたらしいです。だからなのか、群れを前に嬉々としてましたね。」

「…とんでもないな。」

とうとうシベルの語彙力が家出した。

額に手を当てたまま項垂れている。その気持ちは非常によく分かるが。


「もしかして、彼女がよく出入りしている装備屋の製作かな…?」

俯いたまま何やら小さく呟くと、シベルは気を取り直すようにぱっと顔を上げた。

「よし。アル君の報告も聞いたし、こっちも調べた事を伝えようか。これ以上は探れないしね。」

「…?…何かあったんですか?」

「案の定というか…やっぱり気付いていたみたいでね。しばらくは放っておいてくれてたらしいけど、流石に警告を貰ったみたいだ。今日、逃げ帰ってきたよ。」

「何したんだ…あいつ…?」

思わず言葉が漏れた。

鍛えられたシベルの部下が逃げ帰る程のこととは何なのか。


「さて、リゼ君のことだが…彼女の外見は目立つな…お陰で目撃情報には困らなかったよ。」

「あれはそうでしょうね。」

思い出すのは星が瞬く夜空を切り取った瞳と、薄く紫色を纏う銀髪を持つ神秘的な容姿。一度目にすれば嫌でも記憶に焼き付くだろう。

「それに、世間との関わりを絶っている訳でもなかったようだ。普通に街に出入りしているし、いつもフードを被って顔を隠しているということもない。寧ろよく馴染んでるんじゃないかな?」

「…馴染む?どうあっても浮きそうですけど。」

「彼女は良くも悪くも堂々としてるからね。視線を集めても我関せずというか…どちらかと言うと街がリゼ君の存在に慣れたといえるのかな?」

そう言われてなんとなく納得する。

リゼが街に溶け込む努力をする姿より、周囲がその存在を日常として捉えるようになる方がしっくりくる。

この短い間でも、彼女がむやみやたらに周りを攻撃する人間でないことは分かる。

もたらされる損害がなければ排除される理由がない。


「おまけに納品者として登録がある。頻繁ではないがギルドに出入りしているらしい。」

「納品者…?」

「本当に何も知らずに契約したんだな君達…まぁ、冒険者登録は無いから在り方としては珍しいけどね。」

納品者とは、商売人や技術者に推薦されてギルドに登録される者である。

素材の採取を専門とし、冒険者のように討伐や遺跡調査の依頼をギルドから受けることはできない。

納品者登録はどちらかというと商業従事者の為にあり、推薦した納品者へギルドを通して指名依頼をする時に必要とされる。

通常は冒険者として登録した上でのオプションだった。


「まぁ、リゼ君が自ら進んで受注するのは推薦者である装備屋の子の依頼だけらしいが、あの街のギルドでは非常に重宝されている。」

「…?…特定の依頼しか進んで受けないなら、必然的に受注数が少なくなりますよね?それでギルドに重宝される状況になるんですか?」

「進んで受けないってだけで、指名依頼以外を嫌っているんじゃない。どうやらギルド自体が依頼を持ち込んでいるらしくて、彼女が気に入れば受注される。」

ギルドの役割としては依頼者と冒険者の仲介がメインだ。ギルド自体が特定の登録者に依頼をすることは特殊な事情を除いてほぼ無い。

さらにリゼには納品者としての登録しかない為、依頼できる内容は必然的に納品依頼のみである。


ギルドが素材納品を求めるような事があるだろうかと疑問の表情を浮かべていると、シベルが試すような笑みを浮かべて繰り返す。

「リゼ君は納品者登録しかない。…だから、『納品依頼』なら受注できるんだ。」

「あ…まさか、依頼者が討伐依頼として登録したものをギルドが納品依頼に代えてリゼに…⁈」

こくりとシベルが頷く。

なるほど、納品のみと言っても魔物素材を求めるのであれば討伐と同義だ。

リゼであれば上級の魔物でも難なく対処できるのだから、ギルドにとっても貴重な存在なのだろう。


「という感じで、普通…と言っていいのか分からないが、彼女はそこで日常を送っている。…ただ、どこをどう調べてもここ三年間しか彼女の存在は追えないんだよ。まるで、三年前に突然現れたみたいにね。」

「三年…それって…」

「『白森林の管理者』だっけ?…その白森林が発現したのも三年前だね。」

ダスティブルーの瞳が緩く笑む。

リゼと白森林となった西の森は、やはり強い関連があるようだ。

ただ単に隠れて生活していたのをやめて姿を見せるようになっただけかもしれないが、白森林の発現と共に生まれた何かだとすれば、最早人間とは言えない。


顔を顰めたまま思考に耽っていると、その様子を見ながらシベルが言う。

「…王都を中心にした東側で、五年くらい前に似た子に会ったことがある人はいたみたいだ。街でリゼ君を見かけた時、遠目では似ていたから声をかけそうになったと言っていたらしい。」

「…え?」

「だが、似ているのは顔立ちだけで髪の色も目の色も違う。おまけに魔導士でもなかったようだから他人の空似だろうけどね。」

「…五年前…そんなに深く関わった訳ではないんですよね?覚えてたんですか?」

「なかなか、印象深い子だったみたいで…」

そこで、彼は少し言葉を切って思い出すように天井を見上げる。


「聞いたのは行商人で、東側の街に納品に向かう途中、魔物に遭遇して襲われた拍子に積荷をぶち撒けた挙句、囲まれてしまったらしい。その時助けてくれたのがリゼ君に似た子で、赤みがかった銀髪を一つに縛って晴れた空のような水色の目をした女の子だったようだ。」

「助けた…?魔法ですか?」

「言っただろう?魔導士では無かったと。魔物は背に担いでいた剣で倒されたみたいだ。豪快に剣を振り回す様が可憐な容姿とあまりにも不釣り合いだったとか…」

それを聞いて、行動と見た目がちぐはぐな感じがリゼの印象と重なる。だが、その女の子は魔導士ではない。


「敢えて魔法を使わなかったとかではないんですよね…?」

「情報を持ち帰った者も同じことを思ったみたいだが、それは絶対に無いと言われた。」

報告を聞いた当時の記憶を口にしながらシベルが腰掛けていたソファに深く身を預ける。

「その時ぶち撒けた積荷というのが教材用の魔石だったんだ。アル君も見たことあると思うが…魔導士が自身の魔力の色を知る為に使うやつだよ。」

「…魔力回路中の魔力に反応して色が変わる魔石ですね。」

「そう。その子は散らばった魔石を拾い集めるのを手伝ってくれたが、色が変わることはなく透明のままだったらしい。…魔力回路を持つ魔導士であればここに例外はない。つまり、その子は魔導士では無いということだ。」

行商人から聞いたという女の子はリゼに似た顔立ちでも魔導士でないという、リゼとは別の人間である決定的な証拠があった。

結局、三年前からしか辿れない彼女の存在は得体が知れないままだ。

集めた情報を話し終え、部屋に静寂がおちる。


しばらくして、シベルが口を開いた。

「…そして、アル君。魔導士にとってはそれにも例外はないんだよ?」

「………」

そう言う彼の視線は自身の右手を捉えている。そこに在るのは真っ赤に染まった契約の魔導石。

「契約の魔導石は本来、罪人となった魔導士の行動を制限する為に使用されるものだ。知らない訳ではないだろうに、それを持ち出すとは思わなかったよ。」

「…リゼを見つけて、思考を放棄したのは事実です。」

シベルの言葉に指輪を見つめながら淡々と応えた。

契約の魔導石は依頼や報酬の内容を刻むことができるが、その本質は魔導士の生死を握ることにある。

正式な手順を踏まずに解除することは不可能で、契約から逃れようとどちらかの魔導石を無理矢理割った場合、契約破棄の魔法が魔導士自身の魔力を使って強制的に発動させられる。

そして、魔導士自身の魔力で直接魔法を展開することは、謂わば死と同義だった。


「…魔導士が精霊を指揮せずに自身の魔力でそのまま魔法を展開するとその肉体は崩壊する。もし、アル君がその契約の魔導石を割れば自身の魔力で魔法を展開させられたリゼ君は死ぬんだぞ?…それを説明したのか?」

「………」

思い出すのはこの契約の魔導石が真っ赤に染まった時にリゼが言い放った言葉。

魔力や魔法が関係することにおいて、彼女に嘘をつくことはほぼ不可能なのだと分かった。


「『殺したくなったら好きにすれば良い。できるかは知らんが。』…」

「…?それは…」

「この契約が成立した時にリゼが言った言葉です。説明はしていませんが…きっとあいつは分かってる…」

「分かっていながらそこまで煽るのか…⁈魔導士であるならば決して避けられないことだというのに…何を考えてるんだ…⁈」

「………」

シベルは呆れたように呟きながら深く溜息を吐く。


彼の肩に流れる黒髪を無言で眺めた。

「…君が『そういう存在』を求めていたのは知っている。あの日の出来事がどこかでずっと引っかかっているんだろう…?確かにリゼ君ならできそうな気がするから恐ろしいが…」

「…何も分からないこの状況で魔導石を割るつもりは無いですよ。第一、あの現象も魔導士にとって例外はないんでしょう?…だったら、魔導士が主犯だった場合、生きていることは無いんですから。」

「そこまで理解していてあえて巻き込んだのか。まぁ…この状況は彼女の意思でもあるんだろう…そう考えると非常に歪な関係性だな。後悔のないようにしなよ?」

困ったような笑みを浮かべながら言うシベルに、キリトにも同じことを言われたなと思いながら静かに頷いて返した。


そのまま最後の報告に向かう彼と別れ、家路につく。確か、今日はリゼが報酬を受け取りに来るはずだ。

自分が留守にしている間に屋敷に着いているなら、キリトと二人になるだろう。

「(…接し方は好きにしろと言ったが、どうするんだろうな。)」

キリトが何もかも隠したこの状況に後ろめたさを感じているのは知っている。

もし、この契約の魔導石を割った場合、彼に文句を言われるだけでは済まないだろう。

軽く苦笑を浮かべて屋敷に向かう足を少しだけ速めた…


「………」

屋敷の裏にある鍛錬場で空を切る音が絶え間なく聞こえ、そこに場違いな会話が混じる。


「橙鳥と一角牛ですか?それって魔物肉の代表格ですよね。屋台で売ってるんですか?」

キリトの拳を軽く払いながらリゼが彼の顎を狙って下から蹴りを繰り出す。

「納品されたらって言ってたので不定期ですね。美味しかったですよ。」

リゼの蹴りを身を反って躱しながらキリトも彼女の目の前で脚を真横に払う。

「魔物肉って口にした事ないんですよね。珍しいって事もあるんでしょうけど。」

リゼはそれを軽く跳ねながら躱し距離を取る。

「狩ってきましょうか?」

すかさず空いた距離を詰めてキリトが拳を繰り出すが、リゼはそれを横に避けてそのまま彼の腹部を蹴り上げる。

「あ、なら一緒に行っても良いですか?」

「え?」

「え?買いに行かれるんですよね?」

キリトが蹴り上げられた脚を両手で受け止めて、そのまま押し返す。

「あぁ…違いますよ。狩りに行くんです。」

「ん?討伐ってことですか?」

押し返された脚が地面に着くと同時にそれを軸にリゼが彼の頭部目がけて回し蹴りを繰り出し、キリトが片手で止める。


「………」

…確かに接し方は好きにしろと言ったが、何をどうすれば一戦交えながら魔物肉の話をする状況になるのか。


未だにわいわいと会話している二人をしばらく無言で眺めた。

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