06
周りを木の根っこのようなもので囲まれて、四方八方から迫る枝葉に絶えず刺し貫かれそうな状況の中、今にも気を失うのではないかという青年を無言で眺める。
背後では、大人の腰程の高さを持つ黒い狼が攻撃を通すまいと縦横無尽に駆けていた。
悠長に構えている場合ではないのだが、このくらいの手数なら彼に任せておけば問題ない。
今は、目の前の人物をどうするか考えなければ。
こんな場所に自分以外の人間がいるなど、普通あり得ないのだから。
この森は現在、異常なまでの魔力濃度を持つ魔力溜まりだ。
さらに、ここは魔力の流れの起点であり終点である。この場所に来るには魔力溜まりの中を移動しなければならない。
もちろん、そんな事をすれば辿り着く前に高濃度の魔力にあてられて魔物の餌食になるだけだろう。
ならば結論としては、魔力の流れる方向が変わった瞬間に巻き込まれたということ。
この空間が完成する前に一時魔力の流れが止まり、魔力溜まりが消失した。
その時にエリア内に足を踏み入れていれば、再び一気に放出される魔力の流れに引っ張り込まれる。
遺跡の中で発現する異空間への転送現象と似ているが、この森で生じるものは遺跡と違い、移動することを自分の意思で決められるものでもなく、転送先も魔力溜まりであることに変わりはないのだからタチが悪い。
「( …魔力の流れが止まる瞬間に偶然居合わせたというより、この森を張っていたとする方が可能性が高いな…) 」
艶のある濃紺の髪を見つめながら、軽く息を吐いた。
魔力溜まりのせいで森の中に入れないことは分かっていたはずだが、そこまでしてここに何の用があるのか。
取り敢えず、纏っていた白いローブを脱ぎ、魔力を流して大きさと形を変える。
そして、それを目の前にいる人物に向けて無造作に放った。
「…⁈」
「…着ろ。」
突然、頭上からローブを被せられ、それを身に着けることを強制された青年が戸惑いの色を浮かべるが、言われた通りに袖を通す。
…思っていたより素直だ。
「…!これ…」
「…少しは動けるだろう。自分の身は自分で守れ。」
万全とはいえないだろうが、迫る枝葉を自力でなんとかするくらいにはできたようだ。
高濃度の魔力の中で動く為には、魔力溜まり中の魔力濃度より強い魔力が込められたものを身に着けていれば良い。
ここの魔力濃度に匹敵するものといえば、全てが老白樹の糸で作られ、尚且つ自身の魔力を流したこのローブくらいだ。
「( まぁ、今以上の魔力濃度になれば耐えられんだろうが… ) 」
そう思いながら、青年を置いて踵を返す。
そもそも、時間をかけるつもりはない。少し凌ぐことができればいいのだ。
「ラズ!」
漆黒の狼の名を呼び、その場から一気に駆け出す。
目指すのはこの空間を作り出している大樹だ。
捕食しようと迫る枝葉を躱し、切りつけ、魔法で貫きながら、真っ直ぐ前を見据えて猛然と駆け抜ける。
無数の枝で作られた壁が覆いかぶさるように目の前を塞ぐが、間髪入れずに風穴が開く。後ろをついてくるラズが黒石の刃を放ち、進行の邪魔をさせない。
幾度となく続く攻撃を流れるようにいなし、あと少しで大樹の根元まで辿り着くかという時、突如足元の地面が持ち上がった。
そして、勢いそのままに宙に放り出される。
追ってくるのは大樹に相応しい力強く太い複数の根。
「…鬱陶しい。」
浮いた体をそのままに、迫る根を冷めた目で眺めながら魔法を展開する。
生成された無数の氷の刃を真正面から放った。
凍っては砕け散る大樹の根は、完全に動きを止める。
チラチラと氷の破片が舞う中、冷気の漂う地面に着地する。
根に直接的なダメージを受けたことで枝葉の応酬も鈍化したようだ。それでも執拗に続く攻撃の対処はラズに任せて先に進む。
凍った地面をじゃくじゃくと踏み鳴らしながら大樹の根元に立ち、その幹に触れる。
「……引き剥がすか。」
そう呟くと、短剣を構えて勢いよく目の前の幹に突き刺した。
溢れ出すのは大樹に内包された高濃度の魔力。抵抗するように短剣が押し返されるが、力づくでさらに切っ先を押し込み、突き刺した短剣を通して自身の魔力を無理矢理流す。
バキバキと音をたてながら外殻が割れる。その隙間から覗くのは真っ白な空洞。
「(…あぁ、なんとかなりそうだ。)」
満足そうな笑みを浮かべて、その隙間に短剣を持たない片手を突っ込む。
途端にとてつもない勢いで魔力が噴き出し、周辺を真っ白に染め上げていく。
短剣を抜き取ると同時に突っ込んだ片手に幹が絡みつき、ずぶずぶと沈む。
どうやら取り込んでしまうつもりらしい。
だが、片手を突っ込んだ時点で既に勝敗は決している。
「………」
『貴方に頼みがあるの。聞いてくれる?』
記憶にあるのはたった一度の邂逅だけ。そこで、世間話のように託された願い。
「今日、叶えよう。」
飲み込まれている片手から一気に魔力を流し込む。
周辺を真っ白に染め上げる大樹の魔力が、より濃密で潤沢な魔力に呑まれていく。
途端に大樹の外殻が不自然に歪み…破裂した。
器を失い解放された魔力が、森全体に一斉に吹き荒れる。
「………」
薄く紫色を纏う銀髪を靡かせながら、先程まで大樹が根付いていた場所に立ち、目的のものを探して辺りを見回す。
側にラズが寄り添って来たのを見下ろした時、こつっ…と小さな音が聞こえた。
向かった先で、地面に転がっていた物を拾い上げて呟く。
「懐中時計?」
金地で植物らしき彫刻が施された蓋を開けると、透き通った青い魔石が露わになる。
まるで水中にいるかのように魔石の中に文字盤が浮かんでいる。
まじまじと眺めながら、針が動いていないことに気付く。魔力を流せば動かせるのかもしれないが…
「( 私の魔力では魔導石すら作れないからな…壊してしまうわけにはいかない。)」
懐中時計の蓋を閉めて、ポケットに仕舞う。
地面に横たわる枝葉も周囲を囲っていた根も、この空間を形作っていたもの全てがぼろぼろと崩れていく様を横目に、ある場所に向かう。
「へぇ、生きていたか。」
「…おかげさまで…?」
足を止めて見下ろすと、地面に座り込んで肩で大きく息をしながらも返事をする濃紺の髪の青年。
「(まぁ、私のローブを貸してやったんだ。四肢がちぎれてるなんてことは無いと思っていたが…)」
地面に視線を落とし、彼の足元に積まれた枝葉の数になかなかの実力者だったことを知る。
「…俺からすれば…君が生きてることのほうが…不思議なんだが?」
そう言いながらこちらを見上げる青年を、静かに見返す。
「………」
数歩近付き彼の目の前にしゃがみ込むと、彼は何か言おうと口を開くが途端にがくりと項垂れてしまう。
「もう、限界だろう?この場所に一体何の用があるのか知らんが諦めろ。」
段々と濃くなる魔力で既に森全体が真っ白になっている。この中ではもう貸したローブでさえ、意味をなさない。
「( だが、ローブが無くなると死にそうだな。取り敢えず、このまま森の外まで引き摺り出すか。)」
強い魔力にある程度の時間晒されていたのだから、ここから出たところでしばらくは動けないだろう。
森の外でローブを回収した後はそのまま捨て置くつもりで立ち上がる…が、強く手を引かれた。
再び視線を落とすと、彼は金色の瞳でこちら真っ直ぐに見つめて何とか言葉を紡ぐ。
「…俺は…、君に用…が…」
「………」
そこまで言うと、するりと彼の手が離れ地面に倒れ込んだ。
…どうやら、自分を探していたらしい。
その為にずっとこの森を張っていたのかと、思い切り顔を顰めた。
気を失っている彼の端正な横顔を見下ろす。
…過るのは、今は閉じられた瞼の先にある色彩。
暫く迷った末に、溜息を吐いた。
「…お前はその目を持って生まれたことに感謝すべきだ。」
今は何も聞こえないだろう相手に文句を言いつつ、手を伸ばした。
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