02
周囲の景色が変わると同時に草花の匂いが鼻孔をくすぐる。
足が地面の感触を捉え顔を上げると、そこは森の中だった。
辺りを軽く見回し、迷いなく歩を進める。
開けた場所に出ると小さな家が一軒だけ建っている。
立ち止まることなく向かう途中、前方から歩み寄ってくる黒い小さな姿を見つけた。
その場にしゃがみ込み、声をかける。
「ラズ。」
そう呼ばれた黒い子犬が足元からこちらを見上げる。
見慣れない白いローブに鼻先を近づけ、問うように視線を向けた。
「サーシャが作ってくれたんだ。綺麗だろう?おまけに鎧装備よりも頑丈だ。」
ラズの頭に手を乗せ、滑らかな毛並みを撫でて抱き上げる。
そのまま立ち上がると同時に違和感が襲った。
「………」
木々の間を探るようにゆっくりと視線を流す。そして、小さく溜め息をついた。
「…誰か入って来たな。」
この森に外部からの侵入があるのは随分と久しぶりだ。
ここが危険な場所であることは既に広く知れ渡っているはずだが、何か目的があるのか。
思考を巡らせながら侵入者がいる場所に大体の見当をつける。
「…もう少しで果たせるかもしれないというのに…厄介な。」
どういう目的があるにせよ、それが自分にとって迷惑であることに変わりはない。
これから起こることを考えると、まだ見ぬ侵入者に苛立ちが募る。
何よりタイミングが悪い。時間をかけるわけにはいかない。
「ラズ、外から見張っておいてくれ。」
そう声をかけると彼はこくりと頷いた。
腕の中から飛び降り、そのまま森の奥に駆けて行く。
それを見送る間にもざわざわと空気が騒めくのを感じる。急いで引き摺り出さなければ。
「…行くか。」
ぽつりと呟きながら、足元に淡い光を放つ魔法陣を描く。瞬間、その姿が掻き消えた。
視界に捉えていた景色が切り替わる。
同じ森の中ではあるが先程より土の香りが濃い。
「 ( どこだ…?) 」
方向は間違っていないだろうが、姿が見えない。
かなり辿りづらくなってしまった気配を探ろうと周辺を見渡し、なんとなく当たりをつけながら歩を進める。そして、前方に人影を捉えた。
「見つけた…っ!」
と、同時に地面を蹴って駆け出す。
探していた人物を発見したは良いものの、その背後にいる「それ」に目が釘付けになった。
非常に面倒臭いやつまで引き当てている。
一気に「とぶ」べきかと考えたが、この距離なら間に合う。
それなら、このまま突っ込んでしまった方が良い。
駆ける速度を上げながら向かう先を注視する。
侵入者は男のようだ。剣を提げているが、それなりに戦えるのかそれとも飾りか、今はまだ判断できない。
「…!」
背後から近づく「それ」に男が気付いた。
男が剣に手をかけたのを目にしつつ、強く地面を蹴る。
勢いのままに「それ」目掛けて突っ込んだ。
白いローブが風をきって靡く。
足裏が「それ」に着くと同時に押し出すように思い切り蹴り付けた。
ドッっ!
重く、鈍い音をたてる。
「はっ…⁈」
思わず溢れた男の声が耳に届いた。
さっきまで「それ」がいた場所に入れ替わるように着地する。
反対に、突然重い跳び蹴りを受けた「それ」は吹っ飛ばされてその場から大きく後退した。
距離がとれたことを確認し、隣に視線を投げる。
驚きを隠せない様子でこちらを凝視する青年を無言で見返し…
「…っ ⁈」
… 濃紺の髪に映えるその瞳の色彩に一瞬全ての意識が絡め取られた。
「 ( 太陽の様な…金色の瞳…… ) 」
「…?」
青年が訝しむように眉根を寄せる。
「…!」
そうだ。呆けている場合ではない。
軽く首を振って侵入者の男から視線を外し、「それ」に向き直る。
…完全に器が出来ていた。その光景を見て男が言う。
「… 俺?」
隣で呟く青年と全く同じ姿形をしたものが、ゆらりと体を起こしながらこちらを見る。
「まだ違う。これからお前になるんだ。お前を喰ってな。」
あれは陰だ。形を持たず、霧散した核を漂わせる魔物である。
厄介なのは、喰った相手そのものになり変わってしまうこと。
欲しいものを見つけると霧散していた核を集めて魔力でそっくりの器をつくり、標的を丸呑みしてしまう。
時間が経つごとに同化し、最後には動作や癖までも完全に取り込む。
ただ、魔物としての本質は変わらない。
異常なまでの魔力への渇望と、闘争本能を持ったままだ。
他の魔物になり変わる分には特に大きな影響はない。
ただ、陰は非常に人間を好む。
見知った顔が突然人間ではなくなっていた…街にでも入り込んでしまえば、その後の被害は容易く想像できるだろう。
そして、陰は肉体だけでなく服や武器まで完璧に作り上げてしまう……前方の男の姿をした陰を冷めた目で見つめ、続けて隣の本物の青年を睨む。
「…ったく、剣なんか携えて来るな。余計な攻撃が増えるだろうが。」
「いや…無茶言うな…こんな所に丸腰で来る馬鹿がいる訳が……」
ガンッ…ィィンッ…!
何かを打ちつけたような音と金属音が、物申す青年の言葉を遮った。
陰が引き抜こうとしていた剣を短剣で抑え、
顔面を掴んでそのまま後頭部を木に叩き込んだからだ。
器らしい無表情が指の間からこちらを見返した。
「抜く動作しか見ていないんだから、扱える訳ないだろう?」
陰が青年に襲い掛かろうとした瞬間に蹴り付けたのだ。
青年が剣を使ったのは「抜こうとした」ところまで。それ以外の扱い方を、陰はまだ学んでいない。
顔面を掴んでいる右手首に陰が抵抗を示すように手をかけてくる。
そして、足元から黒い影が溢れてきた。
「おいっ⁈」
遠くから青年の声が聞こえるが、その声にも、溢れてきた黒い影にも一瞥もくれない。
「…お前は面倒だから嫌いなんだ。」
目の前にいる陰に囁くように言い放ち、右手に魔法を展開する。
「ばん。」
淡々とした声で呟くと、閃光と共にその声音とは正反対の爆音がこだました。
…バチ…バチと先程の爆音の残滓が微かに音をたてる中、陰の姿はもう何処にも無い。
軽く息を吐いて、フードをかぶり直しながら後方に居る青年の元へと足早に歩み寄る。
「えっと…」
「出て行け。」
何か言いかけた声に重ねて言葉を叩きつけ、青年の肩を掴み…足元に淡い光が溢れ出した。
「なっ…⁈」
男が戸惑うと同時に景色が変わる。
再び足が地面を捉えた時には森の外に出ていた。
突然の出来事に、青年は着地の際に少し振らつく。そして、信じられないものを見るような目で辺りを見回した。
「まさか、今の…⁈ 君は転移魔法が使えるのか⁈ 」
「………」
尋ねる青年をちらりと見やり、何も言わずに踵を返す。
「いや、ちょっと待て…!答えを…」
「うるさい。だったらなんだと言うんだ?」
伸ばされた手を躱し、振り返りながら言う。
「なんだって…知らない訳じゃないだろう?転移魔法は発動に膨大な魔力を必要とするはずだ。一人で扱える奴なんて聞いたこともない。」
「聞いたことがないだけだろう?いいからさっさと帰れ。邪魔だ。」
自分にはこれからやるべきことがあるのだ。それも、この男が森に入ってきたせいで。 苛立ちを隠すことも無く、その場を後にしようとする。
「待っ…!少しだけで良い!話を…!」
青年が後を追おうとすると、それを遮るように一陣の風が二人の間に駆け抜ける。
目の前に漆黒の毛並みを持つ、見上げる程大きな狼が佇んでいた。
「…⁈…魔石獣…か?」
男が微かに息をのむ。
漆黒の狼が静かにこちらを振り返り、尋ねるように首を傾げた。
「いい、構うな。時間がない。迎えに来てくれてありがとう、ラズ。」
男から守るように間に立ってくれている狼に柔らかく声をかける。
ドンッ…!
突如、森の奥で音がした。微かに地面が揺れる。
「…!動いたな…ラズ、追えるか?」
彼がこくりと頷くのを確認し、軽く地面を蹴ってその背に跨った。
「………」
目まぐるしく変わる状況に理解が追いつかないのか、足を止めて音がした方向を見つめる青年を見下ろす。
「 (ただの興味…というわけではなさそうだが…) 」
気付いた男と目が合うが、こちらから言うことは何もない。視線を音のした方向へ移す。
「急ごう。」
ラズに声をかけると彼は地面蹴って体を浮かし、そのまま宙を駆けた。
星屑の様な魔力がさらさらと風に流れる。
それをなんとなく目で追いながら、辺り一体に急速に濃度を増し始める魔力を辿った。
…この溜まった魔力が流れを変えたら、託された時が来る。
果たして、期待に応えることはできるだろうか。
「終わったら、何をしよう… 」
暇を持て余しているかのような気負いのない声音で呟いた言葉は、風の音に紛れて消えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます