第25話 食堂車
大きく汽笛を轟かせ、黒鉄の塊はゆっくりと線路を走り出す。
アンデッドを阻む山脈の抜け道。だが、見方によっては逃げ場の無い棺桶でもあろう。死体が乗るにはおあつらえ向きだが。
「わ、わ! なんだかドキドキする!」
「動く心臓なんてないだろ」
「む……それはそうかもしれないけど、素宮さんにはないの? 楽しいとか、ワクワクするようなことって」
事実の何が不服なのか。イアルはムッと眉を寄せると、俺の事を半眼で睨んだ。
何を買い被っているのか知らないが、こちとら掃き溜めに安穏を求めたスケルトンである。古びた客車の窓から外を見つつ、カチリと顎を鳴らした。
「そういうのは死ぬ前にやっとくもんだ。骨に鮮度を求めるものじゃない」
「はぁー、全くいけませんなァ。何事にも感動がないなど、心からまでも肉が削げ落ちてしまったご様子」
「カビた亡者がよく喋る」
窓に写ったバンハルドは、わざとらしく肩を竦めてみせる。新しいアンデッドでもないだろうに、ご大層なことを口にできるものだ。
心をざわつかせる波風など、嫌という程感じてきた。アンデッドになってから、時の流れが惰性に感じてもなお、幾度かの山や谷を覚えたものである。
不要とは言わない。だが、感動とは日常との高低差であり、高低差であれば疲れを伴うのは道理だろう。
黄ばみが取れなくなって久しいこの骨身には、余計な疲れなど求められようはずもないのだ。
「バンハルド、支度の方は?」
「整えてございます」
静かに穂芒が問えば、バンハルドはゆるく包帯の巻かれた顔を引き締める。
余計な口さえなければ、仕事が出来るタイプと褒めてやれそうなものだが。
「よろしい。ではイアル、これより食堂車へ参りましょう」
「ショクドウシャ? 何か食べるの?」
着せ替え人形さながらに、ゴシックなドレスに身を包んだ俺の雇い主は、食堂車など言葉すら聞いたことがなかったに違いない。それでも、語感から食事処だろうと当たりをつけたようだが、これにはバンハルドが首を横に振った。
「食事もございますが、今は社交の場と考えていただければよろしいかと」
「わざわざ顔見せが必要なのか?」
「バンハルドが申し上げた通り、食堂車は社交の場。姿を見せぬとなれば、無用な噂話が立ち起こりましょう」
カツンと顎がなった。
アンデッドになろうと人は人。立場の上下や富の有無にも関わらず、暇を持て余せば、火のない所に煙を立てたがるものらしい。
馬鹿馬鹿しい話だと、俺は軽い体を一層深く座席へと沈ませた。
「金持ち相手のトラブル対応は専門外だ。そっちは任せる」
「素宮さんは来ないの?」
立ち上がりかけた所で、イアルは僅かに心細そうな表情を見せる。
相変らず、こいつは俺に何を求めているのかわからない。完全に見た目通りの子どもということもないだろうに。
「わざわざトラブルの種を蒔きに行く奴があるか。それに、下男がひょこひょこついて行くのも場違いだろ」
一応の許可を求めて穂芒へ視線を流せば、彼女は合理的と判断したらしい。よしなに、と短く返ってきた。
滲むように体へと溶け込んでいく影。最後までイアルはどこか寂しそうにこちらを見ていた気がしたが、全身を覆った影が消えれば、彼女らしからぬ凛々しい瞳が現れる。
「では、参りましょうか」
背筋を伸ばしてバンハルドに呼びかける穂芒入りのイアル。
コンパートメントを後にする小さな背中を眺めながら、不思議なものだと首を傾げる。
如何に憑依の瞬間を見ていたとはいえ、声と体が全く同じでありながら、俺には完全な別人に見えているのだから。
■
線路の継ぎ目を越える度、足元から緩い振動が伝わり、テーブルを包む白いクロスと赤いランプシェードがゆらゆらと揺れる。
だが、それを気にする者は、この場で私とバンハルドくらいのものだろう。外の感覚を共有出来ていれば、イアルが楽しんでくれたかもしれないが。
「おお、これは穂芒様。またお会い出来る日が来ようとは、感激至極にございます」
と、両の腕を大げさに広げて見せるのは、ディレクターズスーツを身に着けた綺麗な防腐ゾンビ男。私の記憶通りなら、スクラップサルベージ会社の社長だったはず。
尤も、見た目や立場がどうであれ、結局はアンデッドのすることである。他の周りを囲んできた面々も含め、過去との違いがあるようには思えない。
――けれど私は、変わってしまったのでしょうね。
心の中にかかった陰を振り払うように、ついとスカートの裾を持ち上げる。
「大変、ご無沙汰しておりました。気持ちの整理をつけるため、世俗から離れておりましたので」
「心中お察しいたします。部外者である我々でさえ、あの日の悲劇を忘れることができないのですから」
周りに同調を求めるのは、民族衣装を纏うキョンシー。多数のキャラバンを率いる物流業界の重鎮であり、彼が是と言えば頷かざるを得ない者も多いだろう。
私からすれば、求めてもいない同情に過ぎないのだが。
「皆様にそう仰っていただければ、大地に還った者達も報われましょう」
「とんでもございません。何かお困り事がございましたら、是非とも我が家をお頼りください」
「貴女様のお力になれるなら、社を挙げて支援させていただきますよ」
我も我もと挙がる手からは、一種の熱狂か同調圧力のようなものが感じられる。
一方、私の心は驚くほど冷ややかだった。
利害を最優先する富裕層らしい反応は、私が都市を失ったあの日と変わらない。上に立つ者が持つべき高潔さなど何処にもなく、だからこそ、私は穂芒の名前を駒とされないよう身を隠さねばならなかったのだ。
「まぁまぁ皆さんその辺で。穂芒様がお困りではありませんか」
車両の奥から響いた低い声。これがただ出遅れた者ならば、周囲は気にもしなかっただろう。
しかし、彼らは一様に騒ぎを収めると、波が引く様に道を開けた。
覚えがないはずもない。あるいは、忘れることなど許されない、と言い換えるべきか。
花道となった食堂車の中央を、悠然と歩いてくる全体的に四角い男。先のキョンシーなど比べ物にならないほどの空気を纏う彼は、顔こそ血色の悪い人間のようだが、モーニングコートの袖口からは磨き上げられた骨の手が覗いている。
崩れきらない体を持つ上位アンデッドのワイト。だが、種族それも。
「驚きました。まさか、
ウエストメンテナンスライン鉄道グループの長。鉄の森では長に比肩する立場を持ち、影響力は沿線の町村にまで広く及ぶ財界の重鎮である。
それがどうして、重要な立食会が開かれるでもない列車の中に居るのか。偶然でなければ、理由は1つしか思いつかない。
「当然でございましょう。穂芒様のお名前で列車のご予約が入ったのに、つまらん会議など出ては居れませんよ」
満はそう言って、固められた髪を撫でつけながら微笑む。
その表情は、過去に父と語らっていた時の物と変わらない。
「ご多忙の中、恐縮でございます」
「とんでもない。以前お会いした時と変わらず、凛々しいお声を聞けて嬉しゅうございます」
差し出された手を取れば、最早取り巻きにできることは何もない。最奥の豪奢なテーブルへ導かれ、私は彼と相対する位置へ腰を下ろし、バンハルドが背後についた。
「よくぞ、よくぞ今日までご無事で。貴女様が行方知れずとなられて以来、私は亡きご当主に顔向けできぬと後悔の日々を送っておりました」
「申し訳ございません。ですが、穂芒の名を貴きとして残すためには、必要な賭けだったのです」
深く深く頭を下げる。私としても、満に何も言わず出奔したことに関しては気がかりだったのだから。
亡き父と満は、アンデッド化以前からの付き合いであり、都市を災害が襲った時も、真っ先に支援の手を届けてくれたのは彼だった。私を含め、灰にならなかった者のほとんどは、霊石輸送用の貨物線を辿ってきた救援列車に救われたのである。
そんな相手に不義理を働いたことは、必要と信じたとは言え拭っても拭いきれない汚点。謝罪1つで許されるものではないが、満は困ったように首に手を当てた。
「聡明な貴女様のことですから、何かお考えがあったのでしょう。しかし、今見るべきは過去ではなく未来。どのような展望が、貴女様をこの場へと戻らせたのですか?」
「災害より逃れたあの日より、私の目指す先は変わっておりません。取り戻すべき誇りは、ただ1つのみ」
机の上に掌を重ね、彼の黒い眼を真っすぐ見据える。頭の片隅でイアルの感嘆が聞こえた気がしたが、今は無視しておく。
一方、ワイトの方は理解を示すように頷きながらも、その表情は厳しいものだった。
「都市の復興となると、難しい問題ですな。霊脈を刺激することなく霊石を掘り起こす術は、未だ誰も見つけられておりませんし」
「先に必要なのは、技術を会得するための地盤です。都市を築かないことには霊脈の研究は進まず、産業を興さないことには都市など生まれようはずもありません」
「……ここにお父上がいらっしゃれば、とてもお喜びになられたことでしょうが」
言葉を選んだ遠回しの否定。財界の重鎮である彼からすれば、私の話は実現性のないものとしか考えられなかったに違いない。
――父がこの場に居れば、私の話など聞いてすら貰えなかったでしょうね。
喜ぶ顔など思い浮かぶものか。いつも難しい顔をして、振るう権力を責任として背負い込んだ父である。こんな話をしたところで、そうか、の一言で会話を終えたことだろう。
だが、そのあまりに大きな背中を頼ることはできない。この影が穂芒の名を継がねばならない以上、責任を背負うのは私の役目なのだ。
「私とて困難の意味は理解しているつもりです。なればこそ、ただの夢物語で終わらせるつもりはございません」
「と、申しますと?」
初めて、満がこちらを見た気がした。
それは興味か、あるいは同情か。どちらでも構わないが。
チラと周囲に視線を流す。食堂車の中でこちらを見ている者は居なかったが、意識がこちらを向いている雰囲気はひしひしと伝わってきた。
忘れてはならない。ここは公共の場なのだ。
「今はまだ、朧気な考えに過ぎません。妄想と変わらないものを吹聴して何になりましょう」
「おっと、これは失礼を。気が利かぬものでして。今はただ、貴女様のご帰還を祝わねば。ささ、どうです一杯」
パンと手を打った彼は、もう総裁の顔をしておらず、前に座っているのは、私もよく目にした父の友の姿だった。
見計らったかのようにテーブルにグラスが並べられ、ポンと音を立ててボトルの栓が跳ぶ。
ただ、あまりにも鮮やかに漂ってきた独特の甘い香りに、私は待ったと小さく手を挙げた。
「申し訳ありません。この体は、ヴィダ酒を受け付けないのです」
「そうでしたか。以前は嗜まれていたので、ついつい。君、何かソフトドリンクを頼めるかな」
「かしこまりました」
言われるがまま、ウェイターは下がっていく。
霊体型が憑依体に影響を受けることは珍しくない。満もそれは理解していたのだろう。特に追及されることはなく、心の中で胸を撫でおろす。
今の私が抱える最大の秘密は、間違いなく借り物の身体についてなのだから。
■
ガタンガタンと一定リズムで響く走行音。遠くから流れる汽笛に、ドォドォという力強いドラフトの声。
それらの混ざった独特の合奏を背中に聞いていた最中、紛れ込むように控えめなノックが転がりこんだ。
「ルームサービスをお持ちしました」
骸骨でなければ、舌打ちの1つくらいしたかもしれない。わざわざ他との接触を避けるよう、コンパートメントに引き籠っているというのに、頼んでもいないサービスを持ってこられても困る。
まともに高級列車など乗ったことがないが、乗車券に含まれている類の物なのだろう。この部屋を使うのが自分だけならば、後にしろの一言で片が付くのだが、今は一人旅ではないのだ。無料提供される飲食物を受け取っていなくて、後で文句を垂れられるのも鬱陶しい。
俺は仕方なく、聞き覚えのないボディケアラーなる下男を装い、コンパートメントのドアを開けた。
「はいはい、こりゃどうも。何を頂けるんでしょう?」
「食堂車をご利用になられないお客様向けの軽食になります。ご飲酒はなさいますか?」
「そりゃあもう。是非ともお願いしますよ」
俺の振る舞いは、下男というよりも品のない骨と言った方がいいかもしれない。そもそも演技は得意じゃない上、金持ちの使用人など経験がないため、自分なりにへつらう者をイメージしてみたら、出てきたのは掃き溜めに居る物乞いのようだった。
客室係の制服に身を包んだ骸骨は、言われた通りにカートから銀のトレーに食事を乗せ、ついでに氷の入ったバケツにヴィダ酒も突っ込んで、コンパートメントのテーブルへと下ろし去っていく。
愛想がない、というよりは、室内に貴人が居ないことを悟ってのことだろう。こういう場に、表情の判別ができないスケルトンを使うのは、理にかなっているような気がしなくもない。
――沈黙は金か。プロ意識様様だな。
余計な詮索も受けず、豪華な飯と高い酒が貰えたのだ。腰を折りながらドアを閉めた俺は、戻ってきた孤独の中、上機嫌にボトルの栓を抜いたのだった。
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