第24話 プラットフォームにて

 鋼とコンクリートの間から吹き上がる白い蒸気。滲むような油と鉄の香りに、繰り返されるガスが抜けるような音。

 人間がまだ世界の支配者だった頃。こいつは間もなくスクラップにされるはずだった機械の1つか、あるいは余程こだわりのある何者かが、自らの趣味によって保存していた物だろう。

 時代錯誤というべきか。あるいは、アンデッドらしいというべきか。


「な、なんか凄い、ね……むぐっ」


 石炭と油を喰らい、炎と蒸気を通わせる鉄の化け物。巨大な蒸気機関車を前に、イアルがぽかんと口を開けてしまうのも無理はないだろう。

 とはいえ、俺はその姿を他に見られまいと、顎を持ち上げてやらねばならなかったが。


「いきなり間抜け面晒すな。今朝方にも言われたばっかりだろうが」


「ご、ごめん。そうだよね、気を付けないと……」


 人間と変わらないように見える頬に、彼女はムッと力を籠る。多分、本人としては真剣なのだろうが、俺の中では余計に不安が渦巻いた。

 ただでさえ、イアルはガスマスクをして過ごすことに慣れていて、それは感情を覆い隠すことにおいて最強の防具だったのだから。


「――なぁ、やっぱり寝かせといた方がよくないか?」


「ご心配は尤もですが、結論は変わりません」


 同じ体から同じ声で、しかし明らかに異なる凛とした口調が返ってくる。残念ながら、取りつく島はなさそうだったが。

 この問題提起は、昨日の夜に遡る。



 ■



「3枚?」


 ガンスミスの所から宿へ戻った矢先。俺は差し出された上等な紙切れに首を捻らねばならなかった。

 乗り込む列車の名称とコンパートメントの番号が刻まれたそれが、切符であることは疑いようもない。

 ではどういうことなのか、と影の少女へ視線を投げれば、彼女はこちらの疑問よりも初歩的な部分を口にしてくれた。


「私とバンハルド、そして貴方の分です。素宮」


「いや、こいつの分は? 俺だけ乗ってもしょうがないぞ」


 俺が旅をしている理由は、あくまでイアルを案内する仕事の為であり、それは数日前の宿で説明しているはず。

 まさか穂芒というこのレイス。聡明に見えるのは雰囲気だけで、中身がとんだド阿呆なのではないだろうか。などと出資者相手にとんでもなく失礼なことを考え。


「イアルは私で、私はイアルです。お分かりいただけますか?」


 短い説明に合点が行ったことで、こっそりとスカスカの胸を撫でおろす。こっちはイアルの面倒を見るだけでも、日々気苦労が絶えないのだ。見た目と中身の乖離したお馬鹿様が追加されれば、失われて久しい胃腸が幻肢痛を引き起こしかねない。


「それって、私はこだまの身体ってこと?」


「表向き、そうしておくのが無難でしょう。2つの意識が1つの肉体を共有しているというのは非常に稀有なこと。それもイアルのように美しい身体となれば」


「う、うつ……っ!? もぉ、急に変なこと言わないでよぉ!」


 事実を羅列する穂芒の言葉を、イアルは褒められたように受け取ったらしい。ないないと落ち着きもなく手を振りながら、染めようもない頬を袖で隠していた。

 相変らず、こいつがアンデッドだと言うのが信じがたい反応ではある。ただ、イアルの反応がどうであれ、重要な部分はそこじゃない。


「下手を打てば、金持ち連中から余計な注目を集めるか。難儀だな」


「お嬢様がこのような場にお姿を見せられるのも、大層久方ぶりで御座います。一定の衆目に晒されるのは避けがたいでしょう」


 イアルの性質を考えれば、目立つような真似は可能な限り避けるべきだろう。最終的な目的が、アンデッド全体のハイコープス化、あるいは人間への回帰だとしても、今はまだ夢物語に過ぎず、富裕層や支配者層がこれらの目標にいい顔をするとも限らない。何なら、そのような技術を独占しようと考える者が出てきたり、バンハルドがしたように肉体そのものを狙ってくる輩が現れる可能性だってある。

 とはいえ、それはあくまでイアル単体で考えた際の話だ。


「穂芒が体を使ってる分には問題ないだろ。少なくとも、こいつを貨物に放り込むよりはな」


 彼女が強力なレイスであり、聞く限り名の売れた支配者層の1体であることは疑いようもない。

 そんな奴が所有し、憑依している肉体であると喧伝すれば、如何にその身体が美しかろうとも、無茶なことをしてこようとする輩は早々居ないだろう。

 そう思っての肯定だったが、どういう訳か穂芒は首を横に振った。


「いえ、憑依状態は維持しますが、肉体の占有は必要に応じてと考えております」


「……理由はあるんだろうな?」


 眼球があれば、俺はギロリと穂芒を睨んでいただろう。それくらい、とんでもなくリスキーなことをこの影女は言い出したのだ。

 しかし、元掃き溜め労働者程度の圧力など、高貴なる霊体様にはあってないようなものらしく、彼女は涼しい顔をしたまま淡々と口を開いた。


「不測の事態への備えです。私が肉体を制御している時、イアルは外の状況を知ることができない様子。私の声こそ聞こえているようですが、それだけでは何か問題が起こった際、突然全く知らない場所に立たされることになるでしょう」


「つまりは、半ば寝ているようなものだと?」


「そこまでじゃないよ。ただ、目を瞑った状態でこだまの声だけが聞こえてる、って感じなんだ」


「逆に私は、憑依状態でも外の状況を知ることは可能です。なので、必要に応じてバトンタッチを行う方が安全であるかと存じます」



 ■



 穂芒の提案を呑まざるを得なかったのは、言うまでもない。何せ俺には、憑依したりされたりという感覚が、全くと言っていいほど理解できないのだから。

 ただ、ここへ至って思うのは。


 ――貨物に詰め込まれてた方がマシだったかもな。


 不思議なものである。着の身着のまま木箱へ忍び込み、そのままよく揺れる有蓋車へと放り込まれた昔が懐かしく思えるとは。

 それが今は何だ。濃紺のドレスに身を包んだ2体のお嬢様を囲みつつ、専用に仕立られたブラックスーツに骨身を包み、庶民には手の出しようがない高級列車の乗り場へ向かって歩いている。

 俺が気にするべきは、肉体的な疲労よりも心労の方だったらしい。


「ご安心を。私は慣れておりますので」


「レイスってのは、他のアンデッドの思考まで読めるのか?」


「今の貴方がわかりやすかった、というだけですよ。?」


 すまし顔でそんなことを言ってくる穂芒。もしかすると、今のはこちらの緊張を解こうとした、彼女なりの冗談だったのかもしれない。

 情けない話だ。不慣れな環境程度のことで、レイスとはいえ少女に気を遣われるなどと。


「お嬢様には敵いませんよ」


「くくく、まるで似合いませんなぁ」


「その舌引っこ抜きましょうかね、執事長殿」


 自分に表情筋があったなら、微笑みながら青筋を立てていたかもしれない。

 否、人間だった頃からそんな器用な表情ができる質ではなかったが。


「フォーリング・デッドマン号ご乗車のお客様はぁ、3番乗り場のゲートへお進みくださぁい! 車内への危険物、動植物等の持ち込みは禁止されておりますので、お手荷物にございましたら、駅員までお申し付けくださぁい!」


 深緑色の制服を着た駅員らしきミイラが、そう言って手を振る先へ視線を向ければ、どうやら改札が始まったらしい。既に着飾ったアンデッドの群れが、プラットホーム入口に設けられたゲートをくぐり始めていた。


「金属探知機か。大層な警備だな」


「そういえば素宮さん、拳銃とかはどうしたの?」


「もう積んである。昨日、別口でな」


「べつくち?」


 自分の手に戻ってこなかったからだろうか。お嬢様が体の奥に引っ込んでいるらしいイアルは、訝し気にこちらを見上げてくる。

 同じ身体でも、動き1つで随分違って見えるものだ。できれば、これが自分だけの感覚であってほしいと心の底から思う。


「次の方ぁ、切符を拝見――これはこれは、サウスモールの支配人様。いつもご利用ありがとうございます。どうぞ良い旅を。次の方ぁ」


 鷹揚に頷いてステッキをつく男。大きく膨らんだ身体はゾンビなのだろうが、その割に肉体が崩れているように見えない辺り、防腐処置に全力を注いでいるのが見て取れる。

 サウスモールとやらがどんな施設かは想像することしかできないが、要するに金持ちということだ。駅員の骨が恭しく腰を折るのも当然だろう。

 場違いが過ぎると思っていても、前が進めば自分たちの番がやってくる。


「切符を拝見。えー……」


 バンハルドから差し出された切符を手に、駅員はチラチラとこちらを視線を流してくる。

 何かの違和感。先ほどのような流れる所作とは違い、制服に身を包む骸骨は、何らかの困惑を抱いたらしい。暫く切符を眺めながら思案した後、意を決したようにバンハルドへ向き直った。


「穂芒家のご一行様。失礼ですが、ご当主様はどちらに?」


「何か」


 そうを呼ばれていいのは1人のみと、イアルの体が彼女らしからぬ凛とした動きで前に出る。

 穂芒の持つ特有の気配がそうさせるのか。この時点で、骸骨駅員は気圧された様子ではあった。

 しかし、骨もまたレイルマンとしてのプロ意識が強いらしい。申し訳ありませんが、と言って背筋を伸ばした。


「ご当主様は霊体でいらっしゃると伺っていたのですが、パーソナルチェックの程よろしいでしょうか?」


「ほう? では君は、この方が穂芒こだま様であるか疑わしいと、そう申されるのかな?」


 ギラリと青い肌をしたレヴナントの目が光る。全く、なんとも血の気が多い執事長殿であろう。

 一方の駅員は、明らかに荒事とは無縁の様子であり、慌てて誤魔化すように手を振ったが、それでもなお切符をこちらへ返そうとはしなかった。


「いえいえ、まさかそのようなことは。ただ、これも規則でございまして……」


 大した根性である。穏やかに凄む格上のアンデッドを相手に、保身を優先しないとは。

 感心する俺を横目に、バンハルドを小さな手が諫める。


「よいのです。素宮、身体を」


「はい、お嬢様」


 呼ばれるがまま、小さな体の後ろに立つ。

 何せ今の自分は肉体管理者ボディケアラー。言わば、お嬢様の依代をメンテナンスするような立場である。

 細い腰へ静かに腕を回せば、間もなく黒い影が滲み出す。同時にイアルの身体は力を失い、こちらへもたれるようにと崩れてきた。

 ふとその時、周りから雑踏の音が消えたように思う。


「シャドウレイスの女性、魂魄照合――はい確かに。お手間を取らせて申し訳ありませんでした。どうぞ良い旅を」


「貴方の真摯な職務の遂行に敬意を」


 霊体となった穂芒へ、何かの装置を向けていた駅員は、深々と頭を下げながら道を譲り、影の少女もドレスの裾を持ち上げるような素振りで応じる。

 が、気にするべきはそこじゃない。


「……周りの空気が変わったな」


「私が本物だという確信を得られたからでしょう。イアルも、よい演技をしてくれました」


 穂芒は何事も無かったかのようにそう言うと、染み込むようにイアルの身体へ戻っていく。

 俺の腕を支えに姿勢を戻した背中は、凛として堂々と、2体の使用人を引き連れて歩き出した。


 ――さて、この演技とやらは吉と出るか凶と出るか。

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